転換期


12〜14巻





劇しんの3作目に当たる「雲黒斎」及び4作目の「ヘンダーランド」の興行収入は、それぞれ14.2億円、12億円で、過去2作の「ハイグレ魔王」の22.1億円、「ブリブリ王国」の20.5億円と比較すると、クレヨンしんちゃんの人気は明らかに落ちていることが分かります。

つまり、クレヨンしんちゃんは全盛期を過ぎたと言えるわけです。そして、全盛期を過ぎた頃、原作のクレヨンしんちゃんは大きな変化を迎えることになるのです。

その変化の最も大きな特徴の一つが、非日常の話を取り入れるようになった点です。単行本で言えば、12巻からとなります。

確かに、6巻、8巻、11巻にも非日常の話は取り入れられてはいますが、これらはあくまでも、映画化を前提としたものなので、原作における変化の一つとは言い難いでしょう。

12巻以降に収録されている非日常の話は、日常の話の設定は完全に捨てられ、登場人物以外、日常の話との共通点は見出せないことが多く、国、時代、年齢、果ては性別までもが変更されていることもあります。かと思えば、日常の話に、少しだけ非日常の要素を取り入れたものもあり、まさに何でもありの「てんこ盛り」パロディの極地であると言えます。

ただし、この頃の非日常の話は、後の「何でもあり」とは違い、ある特徴を見出すことが出来ます。それは、善悪がはっきり分かれていることです。後の作品は現実世界の要素も取り入れているためか、善悪が曖昧な話も出て来ているのですが、この頃の話は、絶対悪とされる人物が登場します。ただし、その「悪」の度合いは、殺人や強盗を企てる者から、単にイビリ好き程度であったり、話によって様々です。

ただし、悪とされる人物は、最後に相応の報いを受けることになります。これは、当時の非日常の話が、我々にも馴染みのある昔話(一寸法師、シンデレラ等)や西部劇など、善悪がはっきり分かれている話を元ネタにしていることが多いのが理由と考えられます。

それでは、なぜこういった非日常の話が取り入れられるようになったのでしょう。日常の話がネタ切れになったからだと考えられるかもしれません。確かに、この後のひまわり誕生からでも、そう考えられるかもしれませんが、少なくとも当時は、それは理由として成立しないでしょう。

ネタ切れが原因ならば、単行本にして40巻以上も発行される現在に至るまで続くとは考えられないからです。もちろん、これら非日常の話や、後に誕生するひまわりがクレしんの存続に大きく貢献したという面はあるでしょうが。

非日常の話を取り入れるようになったのは、原作者の余裕のようなものの表れだと言えるでしょう。クレヨンしんちゃんが爆発的な人気を博すと、原作者は主人公ら登場人物に様々なことを試したくなった、日常以外の世界でも活躍させたくなったと考えられます。

つまり、全盛期2で述べた、「春日部」の表記やテレビアニメのスタッフの名を拝借などの延長線上に、このような非日常の話があると言えるわけです。

ちなみに、臼井氏のクレしん以外の作品は、大部分は4コマ漫画で、一応一定の登場人物が登場する作品にも、登場人物やジャンルが全く違った4コマが時折見られます。つまり、このような、本来の設定を完全に捨て去った話(番外編?)を取り入れるのは、臼井氏の作品における一種の常套手段とも言えるわけです。

さて、非日常の話が取り入れられるようになった当時の、日常の話にも、いくらか変化が見られます。
全盛期では、サブタイトルはクレヨンしんちゃんという作品全体のの特徴を示すものが多く、後に見られる特定の話のみを指すものは、少数に過ぎなかったのですが、この頃になると、それが逆転しています。
「オラは名カメラマン?優秀賞をもらったゾ編」、「≪痔≫痛いんだって?父ちゃんが入院するゾ編」、「ななこおねいさん家にお泊りだゾ編」などです。

また、この頃になると、ギャグのどぎつさが影を潜め始め、「救いようのない」ラストを迎える話も減少傾向にあります。ゴルフクラブでカメラを壊してしまう話、デパートでマンモスを丸出しにされてしまうひろしの話など、無いわけではありませんが。

逆に、雨の中、みさえを迎えにデパート(サトーココノカドー)へ行くしんちゃんの話や、みさえとひろしの離婚話など、ホロリとくる感動系の話が増加傾向にあるといえます。これは、全盛期を迎え、それに伴い現れた世間の批判に応えるようになったのかもしれません。

週刊朝日(2003年5月16日号)には、「連載当初は、どぎついギャグがかなりあって、世間の批判を受けたりしたのだが、少しずつ、ホロリとさせるような家族愛、人間愛、夫婦愛を背景に描く内容が増えてきた。気がつくと、『クレヨンしんちゃん』は単なるギャグ漫画ではなくなったのである」という、臼井氏の語ったことが載せられていますが、そのような姿勢が既に表れてきています。

非日常の話を取り入れたのも、この姿勢の表れでもあるといえます。当時の非日常の話は、前述したように、善悪がはっきりと分かれており、当然主人公のしんちゃんは善の側にいるわけです。善の側、つまり正義の味方である限り、どぎついギャグの制約は必然であったと言えるわけです。

さらに、大原ななこの登場もその姿勢の表れの一つといえます。しんちゃんはななこに本気で恋をするのですが、今までのしんちゃんでは、このような事は有り得なかったはずです。

これは、しんちゃんの一種の人間的弱さが表れているといえます。劇場版では、「ハイグレ魔王」や「ブリブリ王国」などで悪に怯えるしんちゃんが登場しますが、これらの作品の原作のしんちゃんは、悪に怯えることはありません。

原作のしんちゃんはそれほどまでに、図太い神経(無神経?)だったのですが、ななこへの恋はその設定を大きく揺るがせたといえます。

このように、主人公の性格も変わり始めているという意味においても、この頃のクレヨンしんちゃんは大きな転換期であったのです。

また、全盛期2でも指摘した一種のストーリー漫画めいた傾向は、この転換期において、ますます露わになってきています。

銀之助の家出、ひろしの痔での入院、北海道旅行、みさえとひろしの離婚話等です。当時のクレヨンしんちゃんは、1話につき3ページだけの読みきり漫画だったのですが、これらのストーリー漫画めいた傾向の背景には、もはや3ページだけで収めるのが惜しくなった、または収められなくなっていったことが存在すると考えられます。

つまり、それだけ話の内容や登場人物の数や性格が多様化していったと言えるのです。ななこへの恋もまた、しんちゃんの性格の多様化の表れだという見方も可能です。

このような背景において、その後のクレヨンしんちゃんはさらに大きな曲がり角を迎えることとなるのです。それが、1話につき3ページだったのが、4ページになったことです。

そして、それと同時期に、クレヨンしんちゃんを根本からの変化を促す事態までもが起こります。それがひまわり誕生なのです。



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