嵐を飛ぶ園児の復活


19〜22巻





ひまわりが生まれる前後の頃のクレヨンしんちゃんは、ひまわりを中心に描く話が多く、それによってしんちゃんは人間的、子供としての弱さを露わにしていました。

しかし、それもある程度の期間が過ぎると歯止めがかけられるようになりました。しんちゃんは「嵐を呼ぶ園児」と呼ぶにふさわしい存在に回帰したとも言えます。具体的に言うと、しんちゃんがひまわりに振り回される話が目に見えて減り、その逆の(つまりひまわりがしんちゃんに振り回される)話までもが現れるようになったのです。

そして、ひまわりから元々の主人公であるしんちゃんが中心に動くようになります。ひとつ例を挙げると、18巻のハワイ旅行の前半はサブタイトルでも分かるように(「ひまわりちゃんのハワイでビュー た〜い た〜よ キャイ・・編」)、ひまわりが重点的に描かれているのに対して、19巻の韓国旅行ではひまわりは同行しないことからも、それが分かります。

もっとも、この韓国旅行は漫画家よしいうすとを中心として動いており、しんちゃんが中心とは言いがたいですが。なお、この韓国旅行から、原作者の韓国に対する関心の高さが伺え(ハングルの表記や、韓国語のセリフもあり)、これもまた一種の趣味の表れだといえます。

この頃のクレしんでは、主人公や4人家族となった野原一家をどう動かしていくのか、その方向が示されるようになったと思われます。原作の単行本の20〜21巻にかけて、まつざか先生としんちゃんの接骨院での入院話が収録されており、これら一連の話この頃のクレヨンしんちゃんが、具体的にいかなる変化をしようとしていたのか、さまざまな角度から読み取れます。

まず、クレしんがストーリー漫画めいた傾向があることは以前から指摘していましたが、これもその一つです。もはや、クレしんにこのような話は無い方がおかしいというくらいです。また、この入院話ではひまわりの登場が必然的に少なくなり(しんちゃんの骨折の原因はひまわりだが)、ひまわりが主人公を脅かす存在としては機能しなくなっています。

そして、病院内(あるいは外)で起こるどたばたの多くはしんちゃんが原因となっているものが少なくなく、ここでも昔ほどではないものの、「嵐を呼ぶ園児」としての「活躍」が見られます。

さて、この入院話における最も重要な点は、まつざか先生に初めて恋人(行田徳郎)ができた事です。まつざか先生の彼氏いない歴と年齢が同じという設定に終止符が打たれたのです。

これは、クレしんが大きく転換した後も、作品の変化は絶えず起こり続けている、そしてキャラクターにおいても例外ではない事を示す一つも事例です。 また、このまつざか先生の骨折に伴い、上尾先生が登場し、また同じ頃ロベルトも登場しています。

そして、ロベルトの登場によって、隣のおばさんの名字が「北本」(ちなみに、埼玉県の地名のひとつでもある。臼井氏が埼玉県を作品の中に意識していることが分かる事例の一つ)で、英語がペラペラ(バイリンガル)だという事も判明しています。しかし、隣のおばさんのこのような設定や、ロベルトというキャラクターは、その後あまり活かしきれているとは言えず、上尾先生の場合とは違い、一過性のものに過ぎないとも解釈ができます。

さて、この頃のクレしんには、性格が急激に変化するキャラクターがいます。それがネネちゃんです。ネネちゃんは元々、マサオ君のように泣き虫で素直な子でしたが、クレしんが転換期に入る頃になると、段々とネネママ性格がに近くなり、19巻に至ってウサギのぬいぐるみを殴ることをやってのけます。また、20巻ではネネママと一緒にぬいぐるみを殴っており、もはや「いつものママじゃない」の面影は影も形もなくなっています。

21巻ではしんちゃんが桜田家のトイレを借りようとした時、ネネちゃんはネネママと一緒に一緒に「こ、こいつのがウチのトイレに」と思っており、その後はネネママにウサギのぬいぐるみを渡そうとしています。仮にも友人であるしんちゃんに対し「こいつ」と思うというところから、行動だけでなく思考様式に至るまでネネママに近くなっているのです。22巻では、マサオ君を無理やりリアルおままごとに誘っており、大人的なずるがしこさまでも加わっていることが分かります。

クレしんにおいて、キャラクターの性格の変化はさほど珍しいことではありませんが、ネネちゃんほど激しい変化を見せる例は他にありません。ネネちゃんがここまで激しい性格の変化を見せたのには、マサオ君が大きな原因と考えられます。

前述したように、ネネちゃんの性格はは元々泣き虫で素直、つまりマサオ君と似ていたのです。しかし、ネネちゃんとマサオ君は共にクレしんの主要なキャラクターです。このように、性格の似た主要なキャラクターが2人揃うと、どちらかは不要となるか、「主要なキャラクター」の地位を降りざる得なくなるものです。

しかし、ネネちゃんの場合はそうではなく、全く別の性格のキャラクターを模索したことにより、主要なキャラクターであり続けることとなった、つまり、ネネちゃんの性格の変化は「主要なキャラクター」の地位を保つための、一種の自衛的な現象と言えるでしょう。

ではなぜ、その性格の変化がネネちゃんに起こり、マサオ君に起こらなかったのか。これは、母親の性格に起因している、つまり血筋を考えれば、マサオ君よりもネネちゃんの性格の変化の方が自然だからです。また、これ以降のネネちゃんとマサオ君には上下関係のようなものが形成されていきますが、その関係が逆というのは、倫理上よろしくないからだと思われます。

さて、非日常の話ですが、最初の頃とは違い日常に手を加えた程度の話(「ターミネーターvsしんのすけ」、「ミクロキッズしんのすけ」など)が目に見えて増加し、新たに登場した北与野博士の存在が、それに拍車をかけるようになります。

逆に、21巻の日常の話の中に、2匹のゴキブリ(ポニーとクライド)が人格を持つという設定で、そのゴキブリの司会から野原家を描くという話が登場しています。

つまり、非日常の話の日常化、日常の話の非日常化という現象が見られ、この事から非日常の話の変化は、単に初期の頃とは性質が異なるというものではないのです。

さて、その21巻の非日常の話の中に、しんちゃんとみさえが入れ替わってしまう話(「オラが母ちゃんで母ちゃんがオラで・・・!?」)が登場し、これもまた非日常の話の日常化を示す話の一つと言えます。

この話では、しんちゃん(中身はみさえ)が正面から笑う場面が(泣く場面も)描かれており、逆にこの時のみさえは、中身がしんちゃんであり、みさえの身体を通じてしんちゃんが如何に特異なキャラクターであるかを、より一層際立たせています。

この事により、野原しんのすけというキャラクターそのものに更なる変化を加えつつも、嵐を呼ぶ園児としての基本的な内面を復活させ、保たせるという、2重の意図を読み取ることが出来ます。

クレヨンしんちゃんは大きな転換期を迎えた後、「嵐を呼ぶ園児」としての原点を復活しようとする一方、この後も絶えず変化し続けていくのであります。



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