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原作について





1990年8月、「Weekly漫画アクション 9/4号」(双葉社)において、漫画家の臼井儀人氏によってクレヨンしんちゃんの連載が始まりました。この作品は主人公の野原しんのすけという5歳の幼稚園児を面白おかしく描いたギャグ漫画として連載されたのですが、実はこの主人公には元となったキャラクターがいます。それは、臼井儀人氏のデビュー作「だらくやストア物語」に登場する二階堂信之介という人物です。

ここで、「だらくやストア物語」という作品について述べていきます。「コミック文庫 クレヨンしんちゃん」に臼井氏の経歴が載っており、管理人が持っている5巻には以下のような記述があります。



県立春日部工業高校卒業後、イトーヨーカドーでアルバイトをしながら、夜はデザイン学校に通う。1987年、『だらくやストア物語』がWEEKLY漫画アクション新人賞佳作に入賞しデビュー。
(双葉社)



この経歴からすると、「だらくやストア物語』は臼井氏のイトーヨーカドーでのアルバイトの経験をもとにしていることが分かります。この作品の単行本には、「これは大型ストアを舞台にくり広げられる人間たちの戦いの記録である」と書かれており、だらくやというスーパー・マーケット(見た目の規模はデパートとも言える)が舞台にした4コマ漫画で、特定の主人公はいません。デパートそのものが主人公と言えるかもしれません。

だらくやは全国にチェーン店があり(この事は、だらくやが舞台のもう1冊の単行本、「すぅぱあみっくす」(双葉社)で分かります)、最も登場頻度の高い、というよりほとんどの話の舞台となっているだらくやの店は、藤枝店長(45歳B型)の北春日部店です。

そして、このだらくやの創設者であり社長が二階堂信之介です。しかし、野原しんのすけとは似ていませんが、それは彼が既に歳を取っているからです(だからといって、銀の介にも似ていませんが)。

しかし、彼が野原しんのすけの元となった人物と言える根拠は、「だらくやストア物語」の第3巻に収録されている「だらくや社長一代記」にあります。それによると、昭和元年生まれの二階堂信之介は、7歳の時に女装されて、おしんという名前で奉公に出されます。

やがて、信之介は運だけで大阪の機械器具問屋「二階堂屋」の支配人になり、大阪一の問屋にしますが、昭和18年に徴兵により軍に入隊します。ちなみに、信之介の頭はもともとざんばら髪といった感じでしたが、この入隊によって頭をくりくりにしています。その後、入隊した信之介は、動員下令により南方の戦場へ向かいますが結局米軍の捕虜になり、昭和20年、大阪に復員し、一代記はここで終わります。

この一代記の信之介は、野原しんのすけと同様、自分のことを「オラ」と言いますが、これは彼の出身地である東北(山形)からの方言から来ています。ちなみに、7歳から終戦に至るまで、信之介の背格好は全く変わっていません(クレヨンしんちゃんの「これが青春らしいゾ!」シリーズ(2003年1月11日〜2月1日放送)と同じです)。

この時代の信之介の外見や性格は、初期の頃の原作の野原しんのすけによく似ています。入隊によって頭をくりくりにした時の容姿はほとんど同じです。つまり、野原しんのすけの頭がくりくりである理由の大本は、旧日本軍の規律にまで辿りつくと言えます。

これに対し、「現代」(作品が連載されていた1987年〜1991年頃)の信之介は、自分のことを「私」や「わし」と言い、「オラ」とは言いません。前述したように、外見も野原しんのすけとは全く似ておらず(背格好も「一代記」の頃の比べるといくらか大きくなっています)、性格も真面目な部分が目立っており、かなり異なります。この事から、野原信之介の元ネタは、「現代」ではなく過去の信之介であることが分かります。

さらに、『だらくや社長一代記』は主人公が戦前の東北の貧しい村に生まれ、奉公に出されるという内容から、「連続テレビ小説おしん」のパロディーだと推測ができます。つまり、「しんのすけ」という名前はおしんから来ている可能性が非常に高いです。

また、「だらくやストア物語」と「すぅぱあみっくす」の一部を再編集した、「臼井儀人こねくしょん」第1巻(「だらくや社長一代記」は、「しんのすけ伝説[青春立志編]、[激動戦場編]」というタイトルで全て収録されています)が現在も発売されていますが、この本のサブタイトルが「しんのすけ伝説」であり、帯には「これがオラのルーツだぞ」と書かれていることからも、野原しんのすけの元ネタが二階堂信之介であると言えます。

さらに、もう一つの根拠が「だらくやストア物語」とクレヨンしんちゃんを連載していた雑誌「Weekly漫画アクション」の2007年8月7日号に収録されている「クレヨンしんちゃん誕生秘話」の中に、以下の記述があります。



そもそも野原しんのすけ(しんちゃん)にはモデルがいた。そのモデルとは、臼井先生が、”クレしん”を描く前、本誌に連載していたギャグマンガ『だらくやストア物語』《小社刊『臼井儀人こねくしょん@』に収録》の主人公・二階堂信之介。
(双葉社)



さて、その二階堂信之介をモデルにしたキャラクター、野原しんのすけを主人公にした作品がクレヨンしんちゃんですが、「Weekly漫画アクション」(双葉社)の2007年8月7日号の「クレヨンしんちゃん誕生秘話」によれば、クレヨンしんちゃんは以下のように、信之介を現代にいたらどんな子供になっていたかという想像から誕生したそうです。

以下が、同記事から臼井氏のインタビューの引用です。


「小さな子どもは、何をするか、何を言うか、予想もつかないところがあります。その反応を見ていると、ストレートな球を返してくることもあるけど変化球もあり、時にはボークだったりもします。そのあたりを面白く表現したかったんです」

クレヨンしんちゃんのテレビアニメのプロデューサー(チーフプロデューサー)を務める茂木仁史氏も、同様の発言をしています。劇場版作品の「暗黒タマタマ大追跡」のスペイン版(スペイン版のタイトルは「失われた玉を求めて」)のDVDに特典映像として収録されているインタビューにおいて、クレヨンしんちゃんがなぜ成功したかについて、どこの国でも子供はやっていけない事をやり、いたずらをする。国が違ってもそれが理解してもらえるのではないかと語っています。


連載初期の頃の野原しんのすけは、表情がかなり乏しく、また作風も主人公のしんのすけが母親のみさえをはじめ、大人や友達を振り回すという内容でほぼ一貫していました。さらに、当時連載していた「Weekly漫画アクション」(双葉社)が大人の男性向けの漫画雑誌であったことから、ギャグも子供には理解できない、もしくは子供が見るにはやや不適切とも言える部分が散見されました。

しかし、テレビアニメ化されて子供にも人気が拡大すると、しんのすけが周囲の人物を振り回すという点では大きく変わらないものの、少しずつ作風が変化していき、大人向けのギャグは少しずつ影を潜めていき、時には涙を誘うような話など、様々な話が生まれるようになります。

また、単行本の12巻からクレヨンしんちゃんの番外編の話が収録され始めます(厳密に言うと、単行本の6巻と8巻と11巻にも番外編の話は収録されていますが、これらは劇場版作品の原作に当たります)。これまでの春日部市に住む5歳児という設定ではなく、シンデレラや桃太郎などおとぎ話をモデルにしたような設定の話です。このような番外編の話は、おとぎ話だけでなく、刑事ドラマや洋画、「ルパン3世」などの他のマンガのパロディーとも見られる内容の話も多く見られるようになります。クレヨンしんちゃんは、作風の変化のみならず、もはや単に日常の世界のみを舞台とした作品とは言えなくなっていったわけです。

そして、クレヨンしんちゃんという作品に決定的な転換が訪れたきっかけとなったのが、しんのすけの妹に当たるひまわりの誕生です。


臼井氏は先に取り上げた「クレヨンしんちゃん誕生秘話」のインタビューで、ひまわりを登場させたきっかけを以下のように話しています。



「ひまわりを誕生させたのは、当時、とうとうネタ作りに限界がみえてきたからです」
(双葉社)



ただし、「アニメーション監督 原恵一」(晶文社)によれば、ひまわり誕生は当時低下しつつあったテレビアニメの視聴率のテコ入れのために、テレビアニメの制作サイドで決定されたという記述、それも当時制作スタッフの一員でひまわり誕生後に監督に就任する原恵一氏が語っています。

このような矛盾から、ひまわり誕生を先に決定し、その最大の理由は何であったかについては、明確に分かりかねる部分も存在しますので、上記の臼井氏の発言の信憑性も疑問の余地があるように思います。

いずれにせよ、ひまわりが誕生してから、しんのすけは妹のひまわりに振り回されるケースが多くなり、また共にみさえたちを振り回すといった作風も目立つようになります。

その後、クレヨンしんちゃんはしんのすけの記憶喪失、野原家の自宅爆発によるアパート(またずれ荘)への一時的な引っ越し、剣道シリーズ、幼稚園のまつざか先生の悲恋など、様々な話が描かれるようになります。これらの中には、初期の作風からすると想像もできないくらい過激な展開の内容も含まれ、読者の間で賛否両論を巻き起こした事もあるほどです。

2000年11月、クレヨンしんちゃんは「Weekly 漫画アクション」から「まんがタウン」へ移動し、現在もさまざまな作風を取り入れながら連載中です。ただし、最近は(2009年)単行本の発売されるペースが遅くなってきています。元々、単行本は年に3冊発行されていましたが、2006年からは年間2冊に、そして2009年には1冊のみとなっています。

原作者の臼井氏も、さすがにペースを維持するのが困難になってきたようです。元々、臼井氏はアシスタントなどを雇わずに一人で原稿を仕上げてきたようです。「クレヨンしんちゃん誕生秘話」の記事インタビューで以下のように話しています。



「原稿がほとんどでき上がった時点になっても、フッと別のギャグが浮かぶと、慌てて台詞やコマ自体を変えることがあります。そんなふうに最後の最後まで原稿から目が離せないから、なかなか他の人に手伝ってもらうことができなかったのです」
(双葉社)



しかし、一方でこのような発言もしています。



「でも、今年(引用者注:2007年)になってからはアシスタントさんに手伝ってもらうようになりました。さすがに歳には勝てませんな」
(双葉社)



これらの発言から、アシスタントの方に任せる事となると、これまでの臼井氏によるギャグの面白みが減る可能性があります。しかし、それもまた作風の変化として捉えることもできるかもしれません。クレヨンしんちゃんは今後も変化しながら続いて行くこととなるでしょう。





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