またずれ荘にて


29〜33巻



またずれ荘見取り図

2階

204号室

スーザン小雪
(玄武岩男)



















203号室

四郎



205号室
にがりや京助
汚田急痔

(当初は空き部屋)

202号室

野原一家


206号室

オマタ



201号室

役津栗優




1階

大屋主代






「シロアリ・台風・ガス爆発等の影響で家が壊れた野原一家は建て直しのため 一時アパートへ引っ越した」

単行本29巻の中の一節です。野原一家は上記の理由でまたずれ荘への引越しを余儀なくされた、つまり、クレしんでも幼稚園と並ぶ重要な舞台の消失が(一時的であれ)起こったのであり、これはクレしん史上、稀有な出来事と言えます。

そして、それは作品が(これまで繰り返し述べてきたように)多様化しているという意味でもあります。そして、日常の話の非日常化の表れでもありますが、もはや(日常の話においてすら)非科学的な要素が入り混じっています。

野原家はガス漏れによって爆発してしまうのですが、そもそも家の壁や材木などを吹き飛ばすほどのものであるにもかかわらず、野原一家の体は黒焦げになるだけというのは、明らかに科学的現象を無視したものです。これほどの爆発が起きれば、野原一家の体はバラバラになってもおかしくないのですが、そうならないのは、日常の話の中に非日常の要素が入っている証拠に他なりません。

そして、またずれ層へ引っ越しをするわけですが、いったいどのような過程で、引越し先をまたずれ荘に決めたのかの話はありません。ただし、テレビアニメにはその話はあり(「新しい家を探すゾ」(2001年5月18日放送))、これはおケイの結婚や、ひまわりの名付けの話が原作には無い事を思い起こさせます。

さて、そのまたずれ荘の住人達の大部分は明らかにまともな人達ではありません。このあたりも、非日常化が垣間見れるところです。そしてその事は、その住人達が野原一家が引っ越して来てから、次々と大きな転換点を迎える事からも言えます。

まず、四郎(「しろう」ではなく「よんろう」と読むところは、ギャグとなっている)が大学に合格し、続いてスーザン小雪の経歴が判明し、かつての仲間や家族たちと一斉に再会し、役津栗優がオーディションに合格します。

そして、野原家が完成間近になると、さらなる急展開を見せ、役津栗優とオマタがまたずれ荘を出て、にがりやと汚田の事件も大詰めを迎えます。そして、野原家完成間近とほぼ同時に、またずれ荘が崩壊してしまうのですが、この流れは現実ではあまりありえない、極めて都合の良い展開です。

そのような露骨な展開は、初期の頃にはあまりありえなかったもので、クレしんが大きく変化した事を示しています。そして、このような展開で繰り広げられるまたずれ荘での話は、もはや一話完結の読みきり漫画とは言えず、ストーリー漫画と紙一重という状態になっています。

この側面においても、ここまでクレしんが劇的に変化した例はやはり無く、またずれ荘に引っ越し中の一連の話(つまり日常の話)は、野原家が舞台であるクレしんから事実上独立したものであると言えるのです。

さらに、このような大きな展開は、またずれ荘の住人だけでなく、またずれ荘からは外部の、しかし野原家のガス爆発のために登場した(つまり登場のきっかけはまたずれ荘の住人達と同じ)、キャラクターにも及んでいます。それが、鬼瓦一家(親方の築造とその妹カンナ)と、社員のコージです。

まず、カンナとコージの交際が親方にバレ、それに親方は当初猛反対したものの、最終的に認めるようになります。さらに、親方は白猪天子に一目惚れし、こちらもやがて付き合うようになります。

これらは、またずれ荘の住人達と同じ、何人もの人間達の物語がそこにあり、こちらも一種の「ご都合主義」的な展開ですが、親方と天子との付き合いは、むしろ野原家完成後に本格的になってくるようになり、またずれ荘の場合ほど露骨ではありません。

もっとも、クレしんの舞台はアクション幼稚園など、他にもあるのであり、またずれ荘だけが(日常の話における)クレしんの舞台ではありません。そして、この中にも新しい境地を切り開こうと(つまり多様化)し、そして初期の頃への回帰も見出すことができます。

例えば、多様化と言えば、マサオ君が極めてきれい好き(そしてそれが過ぎて、お片づけ症候群なる病気にかかってしまう。なお、この病気は当然実在しないもので、これも日常の非日常化の表れである)であったり、ボーちゃんにとって自分の鼻水は生きがい的存在である事など、新たな設定が追加されています。

こういった事例から、多様化の傾向が見てとれますが、これらの設定はその後あまり活かしきれているとは言えず、一過性のものに過ぎません。

さて、回帰の傾向を見せていると言えば、前回(多様化と継続2)に引き続き、ネネちゃんが挙げられます。ネネちゃんが32巻でマサオ君をリアルままごとに引きずり込み、しかもマサオ君がそれまでしていたソリを自分のものにし、しかもマサオ君をこき使うという事をしています。

これらは、その後現れる不良たちより悪質なもので(彼らはソリを取り上げるだけ)、このように、ネネちゃんには相当なずるがしこさが一層表れている一方、33巻ではお餅の入っていないおしるこにむずかり、ネネママが(うさぎのぬいぐるみを振り回しつつ)怒ると、泣き出す話があります。

また、この話では、ネネちゃんはしんちゃんに体温計を貸していますが、しんちゃんが体温計をお尻にはさんで計っているのにも、特に気にしていない様子です。21巻の「こ、こいつのがウチのトイレに」と思っていた時とは大きく異なります。これも、初期の頃への回帰と見ることが出来ます。

他にも、31巻には幼稚園のクラス対抗水球大会の話が収録されていますが、この話ではひまわり組とバラ組の対決にスポットを当てており、初期の頃から変わっていない、この二つのクラス(担任のよしなが、まつざか両先生も含めて)がまさに永遠のライバルである事を示しています。

つまり、クレしんはまたずれ荘への引っ越しという大きな変化を迎えても、初期の頃への回帰、それは別の言い方をすれば、初期の頃の話の設定の保守する姿勢も見られるのです。

また、この頃のクレしんには、他にも大きく特筆すべき事があります。それは、原作者はこの頃、劇場版の影響を受けていると思われている事です。

31巻に収録されている「黄金のトンカチ」の中のコンテストにおいて、しんちゃんが必死に部屋造りをするのですが、その時の気迫は「オトナ帝国」のラストで、しんちゃんが階段を必死に駆け上がるシーンを意識していると考えられます。実際、この話は「まんがタウン」の(2001年)7月号〜10月号のどれかに掲載された作品で、つまり「オトナ帝国」公開(2001年4月)後である事からも、その可能性は高いと言えます。

また、33巻ではにがりやと汚田がモルヒーネ・ファミリーのヒロポン・本駄という殺し屋と勝負し、最後はしんちゃんの活躍(?)で、殺し屋の逮捕に至った話で、殺し屋は逮捕される時、「おかげで人をあやめずにすんだ」と、しんちゃんに礼の言葉をかけるシーンがありますが、こちらは「戦国大合戦」で、又兵衛が大蔵井高虎の命を救うシーンを意識していると考えられます。そして、この作品は「まんがタウン」の(2002年)3月号〜6月号のどれかに掲載された作品、つまり「戦国大合戦」の完成間近、ないしは公開後である事からも、31巻のケースと同様、その可能性は高いと言えます。

そして、それ以降のクレしんは感動すべき、教訓とすべきという話が増加していくようになります。そして、それは初期の頃ようにテレビアニメの影響というより、むしろ劇場版、それも前述した「オトナ帝国」と「戦国大合戦」の影響が大きいと考えられます。

31巻で「オトナ帝国」を意識した話というのは、非日常の番外編での話ですが、その非日常の話にも大きな変化が加わっています。そして、その最もたるが30巻以降に収録されている「プッチプチひまわり」と29巻以降の「えんぴつしんちゃん」です。

「プッチプチひまわり」は、多様化と継続でも触れたように、ひまわりが主人公の座を「下克上」した現象だと見られますが、これは全くの日常の世界を描いているもので、もはや「非日常」とは言えないものです。ただし、日常の話では、野原家はまたずれ荘に引っ越しており、「プッチプチひまわり」は野原家が舞台で舞台であるため、こちらは日常の話ではない、「非日常」の番外編となります。

そして、それと同様なのが「えんぴつしんちゃん」です。こちらもまた、SFなどの非日常の要素が全く見られず(ただし、近未来が舞台であるが)、「非日常」とは言えないのですが、あくまで非日常の方に属することになります。この二つの話は、日常の非日常化の極みと見ることが出来ます。

非日常の話の中で、長く続いている作品の一つに、「ぶりぶりざえもんのぼうけん(当初は「ぶりぶりざえもんの冒険」)」がありますが、ぶりぶりざえもんの性格にも変化が表れています。

26巻の「ゴールドフィンガーの銀ちゃん」では、ラストはいつものように法外な救い料(この時は1億万円、ローンも可とのこと)を要求しますが、28巻の「美女と野獣としんのすけ」に収録されている話では、法外な救い料は要求しません。その代わりに森のごちそうをもらい、それに喜ぶのですが(結局食べることはできなかった)、もちろんその森のごちそうは彼がいつも要求する法外な救い料ほどの価値がない事は容易に想像がつきます。

つまり、(ぶりぶりざえもんからすれば)わずかなお礼に喜んでいるという、今までには見られなかった現象が生まれているのです。そして、決定的なのは、32巻の「オオアライの人魚伝説」です。この話では、ぶりぶりざえもんは当初(金や物品等の)報酬目当てで、ピンチになったら逃げるなど、これまでの性格を見せますが、最後は(ヒマだからという理由ではあるものの)しんちゃん達を助け、「人を愛するとはどーゆーことか」を教えてもらった事を報酬とし、それに対して特に不満を持っていません。

このぶりぶりざえもんの変化の背景には、テレビアニメや劇場版で彼の声を当てていた塩沢兼人氏が、2000年5月10日に亡くなった事が存在するものと思われます。26巻の初版発行日は2000年5月13日、つまり「ゴールドフィンガーの銀ちゃん」がまんがタウンに掲載された時は、塩沢氏はまだ存命でありました。

そして、28巻の初版発行日は2001年1月8日、32巻は2002年5月10日、つまり両作品が掲載された時は、塩沢氏は既に亡くなっていた考えられます。要するに、塩沢氏の死を境にぶりぶりざえもんの性格に変化が表れたわけですが、裏を返せばこの現象は、塩沢氏に対する哀悼の意を表しているものだという解釈ができます。

日常ではもちろんのこと、非日常の話でも大きな変化をクレしんは遂げてきたわけですが、それでもクレしんが続く限り、(日常、非日常を問わず)変化し続けていく事になるのです。



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