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臼井儀人先生の命日を迎えて


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臼井儀人先生の御逝去から一年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、ちょうど一年が経過しました。先生の遺されたクレヨンしんちゃんは優秀なスタッフたちによって原作もテレビアニメも映画も継続され、先生亡き後もますます多くの人々を惹きつけていくことでしょう。

クレヨンしんちゃんは今や日本で知らない人はいないくらいの国民的な作品として成長し、さらには海外にもその名が知れ渡り、スペインで批判され、インドで放映中止になるなど、まさに世界中で旋風を巻き起こしている感があります。

そのようなクレヨンしんちゃんが初めて公に登場したのは、双葉社発行の週刊誌「漫画アクション」9月4日号の発売日の1990年8月21日でした。前作「だらくやストア物語」の登場人物をモデルにした幼稚園児を主人公にしたこの作品が、これほどまでに人口に膾炙するようになるとは、一体誰が想像したでしょうか。

しかし、クレヨンしんちゃんをはじめ、先生の作品には多くの人々に受け入れられる素地があったようにも思えます。先生の遺されたクレヨンしんちゃんは、笑いとは何かという一つの問いかけに対して、様々な角度から回答を提示しているような気もしました。

「漫画アクション」に掲載されたクレヨンしんちゃんの第6話で、ネネちゃんのパパがしんちゃんに乗せられて、ビデオ男優を演じてしまうシーンがあります。この話は単行本に収録されることはありませんでしたが、私が図書館で初めて見た時の衝撃は現在も忘れられるものではありません。これだけ過激で、私の笑いのツボを的確に捉えてしまう絵は他にあまり無いでしょう。

一方で、「(株)くるぶし産業24時」という作品では、セールスマン撃退用の元グリーンベレーンの犬が登場しますが、犬であるにもかかわらず逆三角形の肉体を持つその姿は、笑ってしまうと同時に思わず感心してしまうシーンの一つでもあります。筋肉質で逆三角形の腹筋を持つのは人間だけという一つの固定観念を打ち破ったとも思える、見事な描写でありました。このようなセンスにも、クレヨンしんちゃんという世界中で人気を博す作品を生み出す才能の片鱗が垣間見られるような気がしてなりません。

そのような才能が多くの人々に受け入れられるほどにまで開花され、その才能が衰えることなく持続している最中に亡くなられてしまったのは、私を含め多くのファンにとって、あまりにも無念な事であります。

もし、魅力的な作品を生み出す才能が無くなってしまったとしても、それも全く構わないことでありました。クレヨンしんちゃんを生み出した偉人が現在もこの世に私たちと共に生存されている。それが、クレヨンしんちゃんのファンにとって、先生の新しい作品が楽しめることとは別の、最大の喜びでありました。

そのため、先生が亡くなられて一年が経過した現在では、ようやく先生がもはやこの世に方でないという過酷な現実にようやく慣れることができましたが、今でもクレヨンしんちゃんをはじめとする先生の作品に触れると、頭の片隅で先生が既に亡くなられているという事を思い出します。先生の存在感が私の中でいかに大きなものであったのか、改めて認識させられます。

私はかつて、一つの大きな夢を持っていました。それは、臼井先生に一度お会いすることでありました。先生は生前、公に自らの姿をさらすことは決してしませんでした。その理由は、ファンの夢を壊すからというものだったそうですが、たとえ実際にお会いしたとしても、私は先生がどのような人物であり、決して私の築いてきた先生の、クレヨンしんちゃんをはじめとした作品のイメージが壊れることなど決して無いと今も確信しています。あれほどの作品と夢を与えてくださった方が、ファンの夢を壊すような人物であるなど絶対にありえないからです。

しかし、その夢はもはや叶わなくなってしまい、非常に残念な気持ちであります。一度だけお会いして、ぜひお礼が言いたかったです。素晴らしい作品を生み出してくれたことに対して。そして、私の人生を豊かにしてくれたことに対して。

先生が亡くなられて一年が経った現在も、クレヨンしんちゃんは多くの人々を惹きつけてやみません。これほどまでに人気を博しているのは、スタッフの方々による尽力も非常に大きいですが、何よりも最大の功績は臼井先生が多くの人々を惹きつける世界観を含んだ作品を創造した以外に他なりません。

そして、先生の遺された作品が人々から忘れ去られることなどありえないことでしょう。かつては私の世代の子供たちに受け入れられ、年月が過ぎるにつれて下の世代へと引き継がれ、現在も多くの人々がクレヨンしんちゃんを受け入れています。クレヨンしんちゃんは永久に愛されつづけていくことでしょう。

たとえ先生が昨年の事故で亡くなられなかったとしても、人間である以上いつかはこの世からいなくなってしまう運命にあります。誰もこの運命に抗うことは不可能です。しかし、先生の遺された作品は人々に記憶に残り続ける限り、決してこの世から消えてしまうことはありません。そして、先生が亡くなられた後も、現在も存命中のファンが皆亡くなられても、クレヨンしんちゃんは新たなファンを生み出し、永遠に生き続けるだろうと確信します。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します




2010年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から二年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて2年の時が流れました。今から2年前、臼井先生が行方不明になられたということで世間が動揺していましたが、今ではずいぶんと落ち着いて先生の代表作である『クレヨンしんちゃん』も以前と変わらずに人々を楽しませています。

臼井先生の遺志を継いで始まった『新クレヨンしんちゃん』は、当初はどのような行方になるのかが不安でありましたが、スタッフの方々は先生の作風を再現して順調に連載が進んでいると感じられます。このまま、『クレヨンしんちゃん』は漫画もテレビアニメも劇場版も安泰であり続けるだろうと確信ができました。

2011年9月5日に発売された『まんがタウン10月号』では、ばら組の園児にボーリングの名人として「転がすことに全てを懸け、転がすこと全てが得意のローリング園児」である頃樫文五郎(ころがしふんごろう)なるキャラクターはかつて臼井先生がしばしば描いていたばら組の特異な園児であり、まさに臼井先生の遺志を十分に引き継いで連載が進められていると確信できる話でした。

もしかしたら、それでも臼井先生の真髄に到達しているとは限らないかもしれませんが、先生の関わっていなかったテレビアニメや劇場版でもおおいに人気が博している現状を考えると、おそらく漫画版も続いていくものであろうと思われます。

『クレヨンしんちゃん』という偉大な作品をはじめ、『だらくやストア物語』や『くるぶし産業24時』などといった、知名度は高くないものの名作も残された臼井先生が亡くなられて改めて、これらの作品の面白さが再認識できるようになった気がします。特に『だらくやストア物語』に登場する奇抜な従業員たちは、後の『クレヨンしんちゃん』の特異なキャラクターたちの造形につながっているような気がしてなりません。

『クレヨンしんちゃん』の形成には、実に多くの作品や臼井先生の実生活などが大きく関わっていたと思います。そこで描かれているのは、どぎついギャグである一方、どこか人情味に満ちた側面もあったでしょう。だからこそ、多くの人々に長年の支持を受け続けてきたわけです。

荒船山で臼井先生が崖から転落した瞬間、何を思ったのかは知る由もありませんが、もしかしたらご自身の『クレヨンしんちゃん』の今後を、頭のどこかで懸念されたかもしれません。しかし、『クレヨンしんちゃん』が無くなることはもはやありえないくらい、人気を博しており、先生がいなくなってもしんちゃんはきちんと独り立ちできていたのです。だからこそ、今後も、『クレヨンしんちゃん』は、しんちゃんは人々から愛され続けることでしょう。

しかし、それを最初に作ったのが臼井先生であることは紛れもない事実であり、改めて先生の偉大さを再認識させられます。

臼井先生が創られた『クレヨンしんちゃん』とその世界は、今後も永久に不滅であると信じています。今後も、『クレヨンしんちゃん』を見守っていてください。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します




2011年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から三年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、ちょうど3年目を迎えました。

臼井先生の代表作である『クレヨンしんちゃん』は『新クレヨンしんちゃん』というタイトルで連載が再開されて久しく、今年の7月には新たに単行本も出されました。もはや臼井先生から独立して、日本のみならず世界中の多くの人々の愛され、もはや存在し続けていくという作品にまで成長したわけでありまして、改めて臼井先生の偉大さを再認識しています。

臼井先生が亡くなられた3年前、ファンだけでなく世間全体にも大きな衝撃を与えました。しかし、今では臼井先生が亡くなられたことは、誰もが受け入れている一つの事実として定着しているという状況です。もはや、臼井先生は歴史上の人物になられ、人々の記憶の中に生き続ける方であり、改めて生前の偉業が輝くようになっているように見えます。

その最大の偉業といえば、言うまでもなく『クレヨンしんちゃん』という一つの偉大な作品を生み出したことでありますが、同作品が人気を博した背景には、やはり臼井先生の才能によるものであると確信しています。

ただ、かつて臼井先生は必ずしも多くの人々に愛される作品を書く漫画家ではありませんでした。それは、『クレヨンしんちゃん』以外の作品の多くがそれほどヒットせず、一部の人たちから人気を獲得していたからも言えます。しかし、そのような作品群の中に、後の『クレヨンしんちゃん』を大ヒットへと導く臼井先生の才能を多く見出すことができるとも言えるでしょう。

『おーえるグミ』の単行本第1巻(78頁)に、丁半を行う四コマ漫画が収録されています。つぼ振り銀次が出したのはサイコロではなくグリコのプッチンプリンだった、しかも銀次本人は真剣な表情でそれを披露するというその真剣さとプリンというギャップも描いている、あまりにもくだらないギャグには、個人的に大きな衝撃を受けました。

あまりにもくだらないのですが、そのくだらなさを極限までに突き詰めると、普遍的な笑いが顕在化するのではないかと思ったものです。このような笑いの描写こそに、『クレヨンしんちゃん』が人気を博す伏線が既に存在していたのかもしれません。

また、その後のつぼ振り銀次は行方不明との記述がありましたが、この記述には独特な怖さが含まれており、なおかつその怖さが笑いに内包されているという見事なさりげない記述でした。

そのような描写に長けているという特異な才能をもたれた臼井先生によって生み出され、多くのファンの愛されてきた『クレヨンしんちゃん』は、今後も多くのファンを獲得し、愛されていくことでしょう。

私個人としても、『クレヨンしんちゃん』を今後も応援していこうと思っていますし、私だけでなく多くのファンが応援し続け、その意思は次の世代、そしてまた次の世代へと受け継がれて行くだろうと思っています。

そのような偉大な作品を残された臼井先生の偉大な業績を、改めて賞賛したいと思います。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2012年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から四年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、ちょうど4年目を迎えました。

4年前、臼井先生の行方が分からなくなったという報道に大変な衝撃を受けたのは、ついこの間の出来事のようです。

臼井先生が亡くなられてから、『クレヨンしんちゃん』の漫画版は新たに『新クレヨンしんちゃん』として再開し、テレビアニメ、映画もいまだに人気を博しており、改めて臼井先生の遺した作品の偉大さを感じます。

さらに、『クレヨンしんちゃん』の舞台であり、臼井先生が在住されていた春日部市にある、第1児童センター「エンゼル・ドーム」では野原しんのすけらの像が初めて設置されまして、『クレヨンしんちゃん』は春日部市にとってもはや切っても切り離せない存在であることがうかがえます。

臼井先生の作品は、もともと大人向けであり、子供が読むことは想定されていなかったにもか関わらず、『クレヨンしんちゃん』はテレビアニメ化されてからというのも、子供の年齢層に大きく受け入れられ、現在に至るまで国民的作品と言えるまでになりました。

青年誌に連載されていた大人向けの作品が子供向けに変化した作品で、これほどまでに人気を博した例はおそらく存在しないのではないかと思います。

無論、原作がテレビアニメ化されたことで、『クレヨンしんちゃん』が世代を超えて愛される作品になったのは、アニメスタッフの方々の尽力も大きいですが、やはり『クレヨンしんちゃん』はそのように、広く愛される何かが原作に存在していたとも思えます。そのような何かを描いたところにも、臼井先生の真の偉大さが見出せると言えるでしょう。

臼井先生が最期を迎えた荒船山は、きっとちょうど4年前のこの日と変わらずにいることだと思います。臼井先生が亡くなられた際、あれほど世間が大騒ぎしても、荒船山の特異な姿は何一つ変わることがありませんでした。

臼井先生が亡くなられた際、まだ世間には知られておらず、荒船山もいつも通り静かであったと思います。臼井先生の荒船登山から数日経って、広く報道されたのですから。

自然の偉大さと比べ、人間がいかに小さな存在であることか。どんなに偉大な作品を生み出しても、人間である以上、なんともあっけなく亡くなってしまうのだと、人間の弱い存在を痛感させられる出来事でもありました。

しかし、たとえ弱い存在であろうと、『クレヨンしんちゃん』のような偉大な作品を生み出すのもまた人間であり、人間の底知れぬ偉大さ、その内面の小宇宙を臼井先生が体現したのだと、『クレヨンしんちゃん』を通じて感じます。

臼井先生の他の作品も、紙の単行本は徐々に入手が困難となってきましたが、電子書籍という新しい媒体で、再び容易に読めるようになってきています。世代のみならず、時代も超えて臼井先生の作品が親しまれていくと思います。

『クレヨンしんちゃん』をはじめ、臼井先生の遺した作品は、いつまでも忘れ去られることはなく、いつまでも多くの人々に愛されていくことでしょう。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2013年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から五年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、本日でちょうど五年を迎えました。

この五年の間、『クレヨンしんちゃん』は、原作の続編となる『新クレヨンしんちゃん』をはじめ、テレビアニメと映画も継続されて、また東武鉄道でのスタンプラリーなどのイベントも開催されて、臼井先生が亡くなられた後も人気を博しています。臼井先生の残した作品がいかに偉大であったかが分かります。

臼井先生の亡くなられた荒船山では、臼井先生の後を追う事故が後を絶ちません。登山者が注意を払い、荒船山での事故が起こらなくなるように、そして荒船山に平穏な日々が戻ることを願ってやみません。

荒船山には既に四回登りましたが、土地勘が僅かながらついてきて、臼井先生がどのような状況で崖から転落して亡くなられたのか、その死亡した現場がどのようなところかが、徐々に分かってきました。

荒船山がどのような場所なのかを知れば知るほど、あの断崖絶壁の上から転落して、誰にも知られずに亡くなられたことを思うと、今も胸が痛みます。

荒船山の転落事故が起こるたびに、臼井先生が亡くなられた山でという報道がなされますが、臼井先生の名をこれだけ有名にしたのは、やはり『クレヨンしんちゃん』と言えます。そして、臼井先生の代表作である『クレヨンしんちゃん』の前身となった作品が臼井先生のデビュー作である『だらくやストア物語』でして、この作品があったからこそ、『クレヨンしんちゃん』が生まれたと言えます。

『だらくやストア物語』は、スーパーマーケットについての話を面白おかしく描いた作品ですが、特に最初の頃の話は『クレヨンしんちゃん』に比べると、やや面白味に欠ける印象を受けます。

しかし、時が経つにつれて『だらくやストア物語』は非常に面白い作品に仕上がるようにあり、それが『クレヨンしんちゃん』の大ヒットへ繋がったと感じられます。初期の『だらくやストア物語』を読み返してみると、『クレヨンしんちゃん』とは絵柄が大きく異なります。

また、初期の『クレヨンしんちゃん』と後期の同作品も絵柄に変化が出ていますが、臼井先生の20年以上に亘る漫画家人生の長さを実感することができます。その間に、臼井先生が読者をいかに楽しませようとするか、その努力を垣間見ることができ、その努力で今の『クレヨンしんちゃん』があるのだと思います。

臼井先生の漫画家人生が五年前に突然終わりを告げてしまったことは、実に残念なことでしたが、臼井先生が生み出した作品である『クレヨンしんちゃん』は、多くの人々の手によって新しい話が作られ続けています。

『クレヨンしんちゃん』という作品が消え去り、忘れ去られることは決してないだろうという確信が持てるというのが現状であり、そして臼井先生の偉大な活躍を実感することができます。

今後も、臼井先生の遺した『クレヨンしんちゃん』が多くの人々に笑いや感動を与え続けることでしょう。そして、『クレヨンしんちゃん』が存在している陰で常に臼井先生がいたのだと思います。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2014年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から六年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、本日でちょうど六年を迎えました。

臼井儀人先生の代表作である『クレヨンしんちゃん』は、劇場版で、遂にそれまで興行収入が一位だった『アクション仮面VSハイグレ魔王』の記録を、今年の映画『オラの引越し物語 サボテン大襲撃』が塗り替えました。『クレヨンしんちゃん』の歴史における快挙です。

『クレヨンしんちゃん』の漫画版の『新クレヨンしんちゃん』とテレビアニメも継続しており、漫画版の話がテレビアニメ化されるようになりまして、先の映画の記録の更新も含めますと、『クレヨンしんちゃん』は既に臼井儀人先生から独り立ちしているように見えます。

『クレヨンしんちゃん』のような偉大な作品を生み出したのは、やはり臼井儀人先生が最大の功労者であることは言うまでもありませんが、もはや臼井儀人先生亡き後もずっと続き、終わる気配を感じさせません。『クレヨンしんちゃん』が終わる日は想像ができないほとです。

2015年9月11日は、奇しくも臼井儀人先生が亡くなられたのと同じ金曜日でした、この日に荒船山に登ることができたのは、本当に幸運でした。予報では雨だったものの、実際は天候に恵まれ、登山道もぬかるみがいくつもあったものの、かなり楽に登山を行うことができました。

この日は平日で、雨と予報されていたこともあってか、登山客は少なく、ファンが置かれていったと思われる花束を見かけることもありませんでした。今後、他のファンの方々による慰霊登山も行われるでしょうが、今年の9月11日は、『クレヨンしんちゃん』の人気ぶりとは対照的な、静かな雰囲気でして、あれほどの人気作を生み出した方が亡くなられた地とは思えないほどでした。臼井儀人先生が亡くなられたあの日も、きっとあのように静かな地であったのだと想像します。

一方で、『クレヨンしんちゃん』という作品は、廃れるどころか世代を超えてさらに多くの人々の心を捉えています。最近では、子供にも安心して読ませられる「ジュニア版」の『クレヨンしんちゃん』が刊行されました。

『クレヨンしんちゃん』が人気を博すまでの間、試行錯誤があり、子供に見せるには憚れるような描写も、最初期の『クレヨンしんちゃん』や他の臼井儀人先生の作品にはありました。『クレヨンしんちゃん』ではありませんが、『お−えるグミ』という作品に見られた「バター犬」はその最もたるものでしょう。

最初期の『クレヨンしんちゃん』にも、大人向けの描写が多々あり、これらを修正、削除した「ジュニア版」が刊行されることにより、今の世代の子供たちにも、臼井儀人先生の作品に触れることで、『クレヨンしんちゃん』はテレビアニメや映画の前に、これほど面白い臼井儀人先生の漫画があったからだという事が分かると思います。

これは、臼井儀人先生の元の作品の改竄行為でありますが、多くの世代に読ませられるということであれば、生前ではテレビアニメや劇場版の製作に寛容だった臼井儀人先生も、きっと「ジュニア版」の刊行を歓迎してくださると確信しています。

臼井儀人先生は亡くなられた今も、そして今後も、多くの人々を魅了してやまない存在であり続けることでしょう。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2015年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から七年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、本日でちょうど七年を迎えました。

この半年後に始まった『新クレヨンしんちゃん』は、今も連載が続き、またテレビアニメや映画も続いています。

テレビアニメの視聴率は、アニメの中では『サザエさん』に次いで2位になることが多くなり、また映画も興行収入が20億円以上をここ数年維持し続けていて、臼井先生の偉大な作品は多くの人々の手によって、新しく生まれ変わっている状況を見ると、臼井先生の偉大さを改めて認識させられます。『クレヨンしんちゃん』という作品は、臼井先生と共に歴史の中で記憶されていくことでしょう。

その『クレヨンしんちゃん』は、最初期と臼井先生が亡くなられた頃では、作風も絵柄も大きく異なります。単行本が50巻にまで達するまでの間、野原しんのすけと周囲のキャラクターたちが常に変化し続けていったと言えます。

そのような、臼井先生の仕事ぶりがどのようなものであったのか、我々ファンが直接見ることができる、「クレヨンしんちゃん展」が日本全国で行われています。今年の9月には青森県で開催される予定で、半年前に東京で初めて開催されてから、現在も終了の予定は発表されていません。

これは、日本全国に、臼井先生のファンが大勢いることを示唆します。ここでも、臼井先生の、『クレヨンしんちゃん』という作品の偉大さが改めて分かります。

この展示では、臼井先生が実際に使用されていたペンなどの道具が展示されていて、『クレヨンしんちゃん』がこれらの道具から生み出されたことが分かりましたが、そのペンが市販のものであり、偉大でありながら身近な作品でもあるという二面性の存在を改めて知りました。

『クレヨンしんちゃん』は、今年で25周年を迎えたと、テレビアニメで毎週宣伝されていますが、25年を迎えても、人気が急落する兆しが見られず、今後も続くと、自信を持って断言できるほど、国民的な作品として定着しています。25年続けばファンの世代も変わり続けていますが、今後も多くのファンを獲得し、何十年も続くことでしょう。

現在『クレヨンしんちゃん』のテレビアニメは、制作スタッフの方々が実際に体験したと思われる、どこにでもあるごく普通の家庭の出来事を面白おかしく描いており、過激な言動は以前よりも控えられる傾向にあります。

それは、世間の目を気にするという事でもありますが、世の動きと折り合いをつけることに成功していると言えます。時代の風潮を的確に読み取り、どのような作風にすれば視聴者を惹きつけることができるのか、今の『クレヨンしんちゃん』のテレビアニメはそれに長けているのだと思います。

今年の9月11日、荒船山は気温が16度から20度ほどで、天気は曇りのち晴れとのことで、絶好の登山日和になっているようです。臼井先生が亡くなられた、ちょうど5年前も、このような天気だったかもしれません。

臼井先生が亡くなられたのは、ほんの偶然だったかもしれません。荒船山の崖から足を踏み外すことが無ければ、臼井先生の命が失われることは無かったでしょう。しかし、そこで何があったかは知る由もありませんが、何か悪い偶然がおそらくあったからこそ、あの悲劇が起こってしまったのでしょう。

臼井先生が亡くなられ、多くのファンが悲しい思いをしましたが、『クレヨンしんちゃん』という作品は生き続けています。そして、臼井先生が亡くなられても、臼井先生の名が人々の間から忘れられることは、決してないでしょう。臼井先生の名は、いつまでも記憶されることでしょう。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2016年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から八年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、本日で八年を迎えました。

臼井先生が亡くなられた直後は、『クレヨンしんちゃん』のテレビアニメを打ち切りにするという話も出ており、同作品は存続の危機に一時陥りましたが、その後も通常通り放送続くこととなりました。

また、原作が終了した後も、『新クレヨンしんちゃん』と題して連載が再開されました。もはや『クレヨンしんちゃん』は多くの人々に共有される作品となっており、臼井先生の手から離れて、さらに人気を博していく、偉大な作品へと成長したと言えます。このような作品を生み、育てた臼井先生には改めて尊敬の念を禁じえません。

そのような国民的作品の名を広めた双葉社が発行している、週刊誌の『漫画アクション』は今年で創刊50周年を迎えました。『クレヨンしんちゃん』も、連載開始からおよそ10年に亘って同誌で連載されていました。『クレヨンしんちゃん』は『アクション』によって大ヒット作へと成長しました。このような漫画雑誌と出会えたことも、臼井儀人先生にとって幸いだったのでしょう。

『クレヨンしんちゃん』の作中でも登場し、きっと臼井先生とも親交があったであろう、双葉社の戸塚源久氏は同社の社長を何年も務めています。臼井先生に作中で面白おかしく取り上げられていたことは、会社を背負うに相応しい優秀な方なのだと想像します。その『クレヨンしんちゃん』を世に送り出した双葉社にとっては、現在も『クレヨンしんちゃん』が最も偉大な作品であることに変わりはありません。

『クレヨンしんちゃん』の漫画版『新クレヨンしんちゃん』は、現在も『まんがタウン』で連載中であり、単行本も既に7巻まで発売されました。今後も、末永く続いていくことでしょう。

また、テレビアニメも放送回数はかつてより少なくなっているものの、視聴率は常に上位を維持し、テレビ朝日における『ドラえもん』と並ぶ主要なアニメ作品と言っても良いほどです。そして、『新クレヨンしんちゃん』のテレビアニメ化も増えてきており、漫画版とテレビアニメで連携を取って、臼井先生が存命だった頃の人気を保ち続けています。

映画は、2年前の2015年に歴代最高に興行収入を記録し、その後は減少したものの、臼井先生が存命だった頃に比べると、非常に高い水準を維持しています。『クレヨンしんちゃん』の人気が今も衰えていないことが分かります。

また、昨年の11月より、『クレヨンしんちゃん』のラッピングトレインが走りました。春日部を含む埼玉と東京で、鉄道を利用する不特定多数の方々の注目を集め、ますます『クレヨンしんちゃん』は国民的作品として馴染みのあるものとなっていくはずです。

昨年、臼井先生が亡くなられた荒船山へ慰霊登山をした時、道に迷って、危うく遭難しそうになるという体験をしました。この時、私は本気で山に対する恐怖を感じました。臼井先生が命を失った山は、決して油断してはならないことを、痛感しました。

山から二度と生きて帰ってくることができなかった臼井先生は、あの日、何を思われたでしょうか。今となっては分かりませんが、臼井先生がいなくなっても、臼井先生が生み出した『クレヨンしんちゃん』はいつまでも多くの人々を楽しませ続けることでしょう。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2017年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス






臼井儀人先生の御逝去から九年を迎えて

臼井儀人先生が亡くなられて、ちょうど9年目を迎えました。

9年も前となると、臼井先生が存命だった頃は遠い過去になりつつあるように見えます。今の『クレヨンしんちゃん』のファンでは、亡くなられたという衝撃を知らない子供も多くなっているそうです。

そのような中でも、偉大な漫画家であった臼井先生を忘れないように、今年も荒船山へ慰霊登山をして参りました。臼井先生が転落したと思われる崖の前に立った時、その光景は当時と変わっていないと思います。しかし、崖の前では転落事故の注意を呼び掛ける看板と、柵の代わりと思われる木の枝が置いてあり、臼井先生がここで亡くなられた事実が伝わってきました。

あれから9年が経ち、『クレヨンしんちゃん』も変化しつつあります。特に、今年は主人公の野原しんのすけの声を演じていた矢島晶子氏が降板し、小林由美子氏が新しく声を担当することになりました。このような日がこれほど早く来ることは予想していなかったため、ファンの間では大変な驚きとなりました。幸いなことに小林氏の声はファンの間から好意的に迎えられ、テレビアニメは今後も人気番組として続いていくことでしょう。

『まんがタウン』でも『新クレヨンしんちゃん』が続いていて、臼井先生の世界観を継承した内容が今も生み出され続けています。双葉社のキラーコンテンツとして続いていくことを期待しています。

今年の4月に公開された劇場版作品『爆盛!カンフーボーイズ 〜拉麺大乱〜』も18億円近い興行収入を記録し、来年も間違いなく新作が作られると思われます。現在はまだ新作の発表はありませんが、また大いに楽しめる作品となるでしょう。
もちろん、その作品の原点は臼井先生の天賦の才能と努力であったことに疑いの余地はありません。『クレヨンしんちゃん』以外の作品にも、その事が伝わってきます。たとえば『あんBaらんすぞ〜ん』という作品では、音楽教師の五和(ごわ)まゆみからピアノの個人レッスンを受けるサチコが数々の「成果」をあげていく場面、家庭科の(さい)()調理(ちおり)が生徒たちに行う数々の意地悪、炎の美術教師吾津保(ゴッホ)のひまわりに対する異常なこわだりなど、数々の奇人変人たちで笑わせる才能を感じずにはいられません。

このような才能の上に、テレビアニメスタッフの尽力もあって、『クレヨンしんちゃん』が誕生から30年近く経った現在も、多くの人々を惹きつけてやまないのでしょう。今後も臼井先生の業績が忘れられることはないと確信しています。

また、今年の8月には臼井先生と同じ静岡出身で、同様の才能と努力で多くの人々を魅了した漫画家さくらももこ氏も亡くなられました。今頃、もしかしたら臼井先生はさくら氏とお会いしたのではないかとふと思います。

今後も、『クレヨンしんちゃん』は変化しつつも、多くの人々に愛される作品であり続けることでしょう。

臼井儀人先生の御逝去に心より哀悼の意を表します。




2018年9月11日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス





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