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このたびは、突然の訃報に驚きと悲しみの気持ちであります。臼井儀人先生が荒船山を登山中に崖から転落したことで逝去されてしまった事実は、クレヨンしんちゃんという作品を愛するものとして、極めて受け入れがたい事であります。しかし、事実であると受け止めなければならないとも強く思っています。そうでなければ、先生も安らかに眠りにつけないでしょうから。

私がクレヨンしんちゃんと出会ったのは、1992年9月14日でした。当時、小学校2年生で7歳だった私は、テレビをつけるとクレヨンしんちゃんの「食後のハミガキだゾ」が放映されており、しんちゃんの魅力にとりつかれました。後に、この話は単行本の4巻に収録されている原作を基にして作られた事を知り、同じ話が漫画でも読めるのを大変嬉しく思いました。私がクレヨンしんちゃんを好きになったのは、無論テレビアニメスタッフの方々の力もありますが、何よりも臼井先生の才能によるものであったのだと強く確信しています。

臼井先生は大変穏やかなお人柄であったと伺っていますが、その一方で破天荒なところがありました。私がクレヨンしんちゃんと出会った当時、私と同じように多くの子供たちがしんちゃんの魅了され、その真似をしては多くの先生や親御さんたちの頭を悩ませたもので、社会現象にまでなりました。その後、クレヨンしんちゃんは多くの親御さんたちから「子供に見せたくない番組」の定番になりました。

2007年には、しんちゃんの通うアクション幼稚園のまつざか先生の恋人である行田徳郎さんがテロにより死亡するという話を描き、一部のファンの間では騒然となりました。さらに、まつざか先生も徳郎さんの死を追おうとする陰鬱な描写は、これまでのファミリー漫画やギャグ漫画にはありえないものでした。しかし、そこで臼井先生は様々な事を私たち読者に伝えたかったのだと思います。

そして2009年の今年、原作者である先生本人が突然逝ってしまわれるという事態が起こりました。作品内においても、現実の世界においても、本当に騒然とさせてくれる方だと改めて思います。

さらに、臼井先生が亡くなられた9月11日は、ひろしがみさえにプロポーズした日でもあります。この話は原作に収録されていない、つまり先生が考えられていたわけではないかもわかりませんが、1995年9月11日に放映された「プロポーズ記念日だゾ」ではっきりと言及されていました。クレヨンしんちゃんという作品における重要なこの日に亡くなってしまわれるとは、きっと先生は最期までしんちゃんとどこかで縁があったのだと思います。

臼井先生が遺された作品を振り返りますと、先生の才能に驚かされます。天性とも言える数々のギャグセンスに大いに楽しませてもらいました。末梢的かもしれませんが、私がクレヨンしんちゃんで気に入っている場面を一つ挙げると、原作の29巻でオカマのスーザン小雪がみさえに呼ばれ、タコを口にしながらまたずれ荘の部屋から出てくるところです。みさえが慌てていた時、スーザンはのんきに部屋から出てくるのですが、タコを口にしていたというところに、絶妙な可笑しさが滲み出ているように感じられました。

また、先にも述べた「食後のハミガキだゾ」の原作の話の中で、しんちゃんが歯みがきをして口をゆすぎ、水を出すかと思ったらそのまま飲み込んでしまい、「うまいんだなこれが!!」と言うシーンがあります。ひろしが「きたね〜」とつぶやき、確かに汚いのに変わりはないのですが、しんちゃんが行うとなぜか爽快であり大変面白く、しんちゃんに共感できてしまうのですから不思議です。

汚い事が爽快に感じてしまうという点では、原作の35巻で、しんちゃんがいじめっ子に「うんちおパンツ友の会」の入会を勧め、「君なかなかいい付きぐあいだったよ」というしんちゃんのコメントもまた印象深く、まさに先生の才能が垣間見られる名言ではないでしょうか。

クレヨンしんちゃんという作品は、今では日本だけでなく、世界中にその名が知られるようになりましたが、これほどの人気を博すようになった原動力は、やはり臼井先生の才能が最も大きいでしょう。また、先生は静岡県出身であるにも関わらず、埼玉という地名、春日部という地名を人口に膾炙されたのは、埼玉県出身者の私としては大変嬉しいことでもあります。

さらに、臼井先生はクレヨンしんちゃんだけでなく、他の様々な作品においてもその天性の才能を発揮されていた事を思い起こさせます。「みっくす・こねくしょん」(双葉社)という単行本に、ヤクザの組長が銃で撃たれて、それを発見した組員が連れて行った場所は病院ではなくカラオケボックスで、血を流す組長が必死に歌う姿はクレヨンしんちゃんに劣らぬギャグであったと感じます。

「スーパー主婦月美さん」(竹書房)という作品では、登場人物の小学生の女の子朝美が、大好きな男の子に自分の素の側面を聞かれ、もしくは見られてしまい「グレてやる」と泣きながら走って行ってしまう一連の4コマの話がありましたが、こちらも素晴らしい出来であります。

先生自身のインタビューもまた、読むたびに素晴らしいセンスを感じていました。「Weekly漫画アクション」(双葉社)の2007年8月7日号に収録されている「クレヨンしんちゃん誕生秘話」の中で臼井先生はインタビューの最後で読者の方々へのメッセージとして、このようにおっしゃいました。


「『漫画アクション』の読者のみなさん。いつもありがとうございます。今後も『漫画アクション』を応援してください。それにしても『新・幸せの時間』の今後が気になりますねえ(ハート)」


最後で自らの私生活やその時の状況で気になる事をさりげなく語るという先生のインタビューはどこか滑稽であり、また暖かみが感じられるものでした。このような先生の人柄が天性の才能を呼びよせたのかもしれません。

私は臼井先生に多大な影響を受け続けてきました。先生の才能に、そしてその中から伺える人柄に。先生は、クレヨンしんちゃんの劇場版で「兄弟船」と「大都会」を熱唱され、その美声を私たちに披露してくれました。そして、その美声で「アディオース春日部〜!『また逢う日まで』は尾崎きよ彦〜!」とおっしゃっていましたが、まさか本当に「『また逢う日まで』は尾崎きよ彦〜!」が現実となってしまうとは。その先生がお亡くなりになられたという事実は、当然ながら痛恨の極みでありますが、大きな才能を持つ方が失われ、この世界に大きな損失をもたらしたという点においてもあまりにも残念な事であります。

個人的に、先生にはあと30年か40年、できれば50年も生きて、クレヨンしんちゃんなどギャグ漫画を描き続けてほしいとも思っていました。その頃には、私もかなり歳を重ねているでしょうが、先生の最新の作品を楽しんでいるおじさんに、そしてじいさんになるのが私の一つの夢でありました。

しかし、先生はいつかおっしゃっていました。クレヨンしんちゃんの原作の29巻で、人間界で最も過酷な職業はギャグ漫画家であると。そのギャグ漫画家という職業を1987年のデビュー以来、22年に亘って務められ、そして多大な業績を残された先生に敬意を表します。

22年の漫画家人生、そして51年の人生、お疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください。

臼井儀人先生のご冥福を、ここにお祈り致します。



2009年9月22日
クレヨンしんちゃん研究所
管理人チョルス





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