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荒船山登山記 (2012年)



INHALTSVERZEICHNIS

準備

出発

登山開始

慰霊

行塚山

崖の下

相沢登山口

帰路


※この慰霊登山について、『クレヨンしんちゃん分析録』でも簡潔に書きました。




準備

2009年9月11日、一人の漫画家が、群馬県下仁田町と長野県佐久市にまたがる山へ登山に出かけ、そのまま帰らぬ人となりました。

その漫画家とは、『クレヨンしんちゃん』の原作者、臼井儀人先生。そして、その山は、荒船山。

おそらく、臼井儀人先生の作品のファンの間で最も有名となってしまったこの山で、2009年9月11日当時、一体何かあったのか。それを知る術はありませんが、この山で亡くなられたのは動かしがたい事実となってしまった以上、この山に登って、これまで素晴らしい作品の数々を世に送り出してきた臼井先生のための慰霊をしたいと思うファンが出てくるのも必然と言えます。そして、そのようなファンの一人となった私も、2010年8月4日と2011年9月11日に荒船山へ慰霊登山を行ってきました。その記録がこちら(2010年)こちら(2011年)となります。

そして、2012年にも荒船山へ慰霊登山をしたいと思っていましたが、私の方で色々と事情がありまして、臼井先生の亡くなられた9月には登山ができませんでした。また、10月と11月にも登山ができず、いや思い切って登山しようと思えばできたと思いますが、どうも登山する気が怒らなかったのです。

12月、いよいよ2012年も終わりに近づいてきました。いかん!登山しなければという思いが大きくなってきました。そして12月28日の金曜日、平日でありましたが色々と事情があって休みとなりまして、急遽この日に駆け込み登山をすることにしました。夏休みの宿題を8月の終わりになって慌てて始めるカツオ君的行動に近いです。

今回の登山は真冬に行うわけでして、冬の登山して大丈夫だろうか、遭難してしまうのではないかという様々な懸念が生まれてきました。ああ、大丈夫かなと思いましたが、普段よりも厚着をして、かつ動きやすい格好でいればなんとかなるだろうと楽観的に考えることにしました。

今回の登山は25日の夜にやろうと決めまして、26日と27日に準備をしました。準備といっても、たいしたことはしていませんが。どういう服装で行ったら良いかを決めたりとか、その程度です。



出発

28日の明け方、あまり眠れず体調が万全とは言えない状態でしたが、登山できないというほど調子が悪いわけではないので、起きて行くことにしました。私は6時50分に大宮駅を発車する予定の長野新幹線あさま501号に乗車する予定でしたが、大宮駅に到着した時は既に40分を過ぎていましたので慌てました。

というのも、このあさま501号に乗り遅れたら、高崎駅を7時33分に発車する上信電鉄に乗れなくなり、そうなると次の上信電鉄は8時14分発になるわけで、下仁田駅到着が40分遅れることになります。高崎駅で長時間も待ち、かつ40分も時間をムダにするのは嫌だったので、かなり急ぎました

大宮駅の新幹線に乗り換える改札口前にある券売機で切符を買う際、指定席を選ぶ余裕はなかったので、高崎までの自由席をサッと買って改札に入りました。そして、18番線の改札に入ると、1分もしないうちにあさま501号が滑り込んできました。私は5号車の自由席に乗り、7Dの通路側の席に乗りました。隣の窓際の席には背広を着た男性が寝ていました。

6時50分、あさま501号は発車しました。走行中に窓から見える日の出がなんとも印象的で、何度か通路の向こう側への窓に映る太陽に見入っていましたが、あまり寝ていないので寝ようと思いました。しかし、なかなか眠れない。眠いのだけど眠れないという状態に悩まされつつ、7時16分に高崎駅に到着しました。

私は2011年4月に高崎駅に行った時のことを思い出しつつ、改札を出ました。改札を出て、途中で昼食用のおにぎり二つとペットボトルのお茶、水分補給のことを考えて水も買いました。上信電鉄のホームに行くと、既に電車は止まっていました。私が電車に乗って数分後(7時33分)に発車しましたが、この時点で席は7〜8割ほどが既に埋まっていました。私は2両編成のこの電車の前の車両の座席に座りました。

7時49分、西山名駅で多くの男子高校生が乗ってきまいて、電車の中はかなり混雑していました。大学受験用の参考書を手にしている学生も多く、自分が受験生だった頃のことを思い出したり、彼らが都内のそれなりの大学に行くことになったら、都内で下宿とかするのかな、ここから通うのはちょっと無理だよなと思ったりしていました。

8時17分、上州七日市駅でこの男子高校生は降りていき、電車の乗客の数は一気に減りました。さらに、8時20分に上州一ノ宮駅に到着すると、電車の中の乗客は数えるくらいにまで減りました。8時37分、電車は下仁田駅に到着しました。駅の改札出た後、私はトイレで用を済ませました。荒船山では、小さい方はともかく大きい方は絶対にしたくなかったので。この事については後述します。

その後、タクシーに乗って内山峠に向かいました。ここまでの私の行動は、2010年や2011年の時と同じですが、この時の運転手さんのSさんとの会話で、帰りは異なるものとなるのです。Sさんは、荒船山に登った後は荒船の湯に行くことを勧めていました。

荒船の湯から内山峠までかなり距離があって、歩くのはかなりきついのではないかと思っていましたが、荒船山の頂上の艫岩から荒船の湯まで歩いていけるかもしれない、それならタクシー代をかなり浮かすこともできるだろうと思いました。この日、天候は曇りでしたが、以前登った時のように霧は出ていなかったので、タクシーから荒船山の艫岩がかなりはっきりと見えました。



登山開始

9時15分頃、タクシーは内山峠の登山口に到着しました。料金は7280円で、私は10300円を支払い、3020円のお釣りをもらいました。毎度思うのですが、このタクシー代はかなりの出費でして、どうにかならんものかと思っており、荒船の湯まで良ければタクシー代を安くできるだろうとますます真剣に考えるようになりました。

ちなみに、私が一昨年に買った「決定版 関東の山ベスト100」(JTBパブリッシング)という登山用のガイドブックによると、荒船山は以下のような特徴を持つ山です。


標高:1423m
総歩行時間:4時間(別のガイドブックでは4時間半)
総歩行距離:8.9Km
累積標高差:登り…642m、下り…642m
登山レベル:初級者向け


さて、タクシーが走り去ると、人も動物もおらず、何も物音がしませんでした。音が何もしないのです。静寂のみが支配するその空間に、私は底知れぬ恐怖を覚えましたが、とりあえず登山を開始することにしました。なお、登山口には熊谷ナンバーのライトバンが一台止まっていまして、私の他にも登山客はいるようだと思いました。

山を歩いていると、ようやく鳥の飛ぶ音や風で木の枝が揺れ動く音などがしてきて、少し安心しましたが、登山客を全く見かけなかったので、少し寂しい気がしました。また、途中で「クマ出没注意!」の注意書きを見かけ、もし熊が現れたらと恐怖を感じました。

前に読んだことのある『羆嵐』の内容が頭に思い浮かんだりしましたが、冷静に考えれば今は冬、熊は冬眠の最中だったと思います。それなら、寝ている熊さんと会うこともないだろうと安心しましたが、どういうわけか恐怖心を完全に払拭することはできませんでした。

途中、登っていると滝になっているところが凍っており、ちょっと感動しました。ここは山の上で、気温がかなり低いのだと実感しました。ただ、私はかなり厚着をしていて、それでも下仁田駅到着時はかなり寒く感じられましたが、登山をしていると体が火照ってきて汗も出てくるようになりました。とは言っても、2010年8月や2011年9月に登った時に比べて気温が著しく低いので、汗の量は非常に少なく、少し休めばすぐに体温も下がりました。

昨年、私は『はいじまゆきどっとこむ』のはいじまさんと臼井儀人先生の遺体の第一発見者のゆうらんせんさんと共に下山した際、ゆうらんせんさんから臼井先生の遺体の発見現場の艫岩の下に行く道を教えてもらい、その道はどこだろうかと重いながら登っていましたが、思い出せませんでした。また、そこまでの道は今はちゃんとした登山道になっているわけではないので、行かない方が良いかなと思ったりして、艫岩の頂上を目指すことにしました。

昨年や一昨年はあまり休みを入れないで一気に登りましたが、今回は少しこまめに休憩を入れながら登りました。あまり汗が出るのが嫌だったからです。8月や9月に登った際は汗だくになっていたので、汗をかくことに抵抗感は無かったのですが、今回はそうではなかったのです。

休んでいる最中、やはり人の気配は全く感じられませんでしたが、鳥の鳴き声や麓の方で車を走らせる音がわずかに聞こえてきたりしました。内山峠の時は音らしき音が全くと言っていいほど聞こえてきませんでしたが、ある程度登ったところで、色々と音が聞こえてきたわけですから、内山峠はそもそも外部からの音が流れにくいところなのでしょうか。それと、この日は霧が無かったので、登っている最中にも、荒船山の艫岩が何度も見えました。良い風景でした。



慰霊

その艫岩を登りきって、「みんなで楽しむハイキングコース 荒船山コース 荒船艫岩西端」という「マツダランプ」の看板が見えた時は10時35分頃でした。この看板から先は、展望台まで急な上り坂はありません。

内山峠から登り始めてから約1時間15分ほどで着いたことになります。昨年や一昨年も大体そのくらい時間で登りきりました。今回は少し多く休憩をとったはずなのですが、総時間があまり変わらないということは、登るスピードが速かったのかもしれません。

確かに、冬の寒い時期で、地面には霜が降りていましたが山道は乾燥していて、土がぬかるんでいた昨年や一昨年に比べると歩きやすかったです。それと、登山客が全くいなかったので、ひたすら一人で黙々と登ったこともスピードを速めたのかもしれません。

そして、臼井儀人先生を慰霊するところまで歩いて行きまして、慰霊を行いました。臼井先生が転落した(とされる)場所に向かって、花束を投げて、臼井先生に手を合わせました。

さらに、私は持ってきた缶ビールを注ぎました。ちょっと崖に近づくのが怖かったので、崖っぷちに生えている木や草にビールがかかって、なかなか下まで流れませんでしたが。臼井先生がどこかであきれながらも笑っているような気がしました。

臼井先生はこの崖から下に向かって写真撮影をしようとして転落したようですが、崖を見ていると、私はあるヘリコプターのラジコンを思い出しました。このヘリのラジコンにビデオカメラを取り付けてで飛ばし、遠隔操作で撮影できないものかと思ったりもしました。ところで、展望台には既に枯れていたものの、花束が置かれているのを見かけました。慰霊登山をされた方が他にもいらっしゃるのだと実感しました。



行塚山

その後、ブラブラと歩いていましたら、内山峠のライトバンの所有者らしき人たちがいました。若い数人の男性で、荒船山の山頂の山小屋の前で何やら色々と話をしていました。私は挨拶しようと思いましたが、男性たちは話に夢中になっていること、それと男性たちの外見がアウトローと言いますか、なんか良い印象を受けなかったので、そのまま素通りしました。

だいたい、こんな年末の平日にわざわざ荒船山に登るのも、ちょっとおかしいですし。お前が言うな!って言われたら返す言葉もないですが。

私は山小屋の裏に入るトイレにも入ってみましたが、女子トイレの入口が木材で釘が打たれて塞がれていて、女子トイレのドアの鍵の調子が悪いから、気になる方は男子トイレの方を使ってくれという貼り紙がありましたが、あんな風に塞いでいたら入れんでしょう。

男子トイレの方は一昨年の時と様子が変わっていませんでした。私が下仁田駅でトイレを済ませておいたのは、荒船山では唯一と思われるこのトイレを使いたくなかったからです。小さい方はまだしも、大きい方は和式便器の汲み取り式なんですね。

そこまでは山だから当たり前と割り切ることができるのですが、このトイレ、何年も清掃が行われていない感じで、便器のそこら中に糞がこびりついていて、しかもドアを閉めるとかなり暗く、幽霊でも出てくるのではという不気味な雰囲気が漂います。おぞましいのでこのトイレだけは使いたくないですが、怖いもの見たさでついついトイレの中を覗いてしまうのですね。

その後、荒船山の本当の頂上(最高地点)である、行塚山に行こうと思いました。ガイドブックでは標高1443mですが、頂上にある祠によると、1422.5mとのことらしいです。行塚山へ行く途中、川がありましたが、この川も凍結していました。私は遊び心から川の上を歩いてみましたが、氷がミシッと音を立ててヒビを作ったので慌てて川から出ました。

このままだと、『クレヨンしんちゃん』の単行本20巻の64〜67ページの話に登場する犬のグレイシーみたいに、氷の下の水の中へ溺れるのではという恐怖心が湧いてきました。まあ、一昨年も行ったので分かるのですが、この川は非常に浅いので溺れることはないのですが。

で、私はちょっと川を下って行って、氷がしっかり張っていそうなところでまた凍った川に乗り込んで楽しんでいると、滑って転びました。しかも、氷の上の川を滑っていきました。私は慌てるもなかなか起き上がれず、近くに生えていた木の幹にしがみついて川から出ました。

山には山の神様がいると言います。この時、荒船山の神様が私に対して、「あまり調子に乗るな」と叱ってきた気がしました。私はキリスト教(一神教)の信者なので、山の神様といった多神教的な信仰は持っていないつもりなのですが、私も中学生になってキリスト教と出会うまでは、普通に多神教的な考えを無意識に受け入れてきたわけでして、信仰が明確になっても、人間は幼少期からの刷り込みから逃れることができないみたいです。

登山している最中もそうでしたし、艫岩の上を歩いていて、人間がいない自然だけの世界に身を置いてみると、なんか独自の多神教の世界観を形成した日本の原始的風景を見ている気分でした。あるいは、横溝正史の小説で表れている独自の作風が垣間見えるような気もします。

しばらく歩いて、行塚山へ通じる急坂へ着きましたが、この急坂を登るのが恐ろしくきついのです。しかも、けっこう雪が積もっているので少し歩きにくくなっていますが、一昨年と同じで木があちらこちらに倒れており、進みにくいです。気が倒れているのは台風の影響かと思いきや、いつも木が多く倒れている感じみたいです。

それで、再び体が火照って汗が出てきた頃に、頂上にたどり着きました。この時、11時40分頃でした。例のトイレにいたのが11時5分頃なので、大体35分くらいで着いたわけです。一昨年に登った時、この行塚山は霧が凄かったですが、今回は霧が無いので見晴らしが良かったです。私はこの行塚山で昼食をとることにしました。私が朝食をとったのはかなり早かったのですが、どういうわけかあまり空腹ではなかったものの、もう食べてしまおうと思いました。

昼食を食べながら、私はどこから下山しようかなと思いました。あのタクシーの運転手さんが荒船の湯に行くことを勧めていたのを思い出して、内山峠ではなく別ルートで降りてみようかなと思ったりしました。ここでスマートフォンを取り出すと、ちゃんと電波が通じるのを確認できました。一昨年にタクシーの運転手さんが、頂上でも電波が通じるという話を思い出しました。



崖の下

12時ちょうどになって、とりあえず艫岩展望台の方に戻ってみようと思いました。行塚山の頂上から急坂へ降りようとすると、雪で滑りやすくて降りにくかったです。気を脱がしていると転落してしまいそうな感じで、艫岩からの転落みたいに即死にはならないかもしれませんが、ひどい怪我になりそうだと思いながら、細心の注意を払いながら降りていきました。急坂は距離にするとそれほど長くはないので、かなり早く楽な平らの道に戻ることができました。

12時23分頃、展望台へ向かう途中、「皇朝最古修武之地」の石碑に立ち寄ったりもしました。笹の葉に覆われて行きにくかったですが。12時35分頃になって、艫岩の展望台に戻ってきました。例の男性たちは既におらず、この荒船山は私しかいないのではという気がしました。ここで、私はスマホをもう一度出して、内山峠以外での下山ルートを調べましたら、このサイトを見つけました。

リンク先のページによると、「相沢」というところを通れば荒船の湯まで行けるということが分かりました。私は森鴎外の『舞姫』の登場人物の相沢謙吉を思い出して、その名前を頭に叩き込みました。

この後、私は崖の辺りをウロウロしていましたが、驚きました。崖の下、つまり臼井儀人先生の遺体発見現場の辺りが丸見えなのです。一昨年や昨年に行った時は霧が凄くて崖から下の様子はまったくわかりませんでしたし、はいじまさんが一昨年行かれた際は木の葉が覆われていて、やはり下の様子は分からなかったそうです。

この日は真冬で葉っぱは枝からなくなっており、霧もないですし冬なので空気も澄んでいたせいか、本当に下の様子が丸分かりなんですね。ああ、あそこで臼井先生は亡くなられたのかと、感慨深い思いにとらわれました。それで、崖の下を眺めていると、次第にあの下の地へ行くことができないだろうかと思うようになりました。

007ことジェーム・ボンドが持っていそうな秘密兵器でもあればなあと思ったりしました。また、昨年に内山峠へ降りる途中に、ゆうらんせんさんから遺体発見現場へ通じる道を教えてもらったのですがよく覚えておらず、正式な山道ではないので登山のド素人の私にとっては安全性にも問題があると思いまして、結局断念することにしました。でも、いつかは行ってみたいという気持ちは今もあります。

ところで、崖の下を眺めていると、崖から飛び降りたくなるという衝動に駆られそうになりました。というのも、崖の高さがたいしたことなく、簡単に飛び降りることができそうな錯覚にとらわれそうになったからです。しかし、臼井先生の後を負うことになってしまうと、死(悪魔?)の誘惑を振り切り、このままここにいたらまずいと思い、崖から離れました。



相沢登山口

13時頃なって、「相沢」というところから下山してみることにしました。小屋を通り過ぎて行塚山と同じ方へ再び歩くと、途中で分かれ道があり、「相沢・三ッ瀬 相沢登山口まで2.6km」という標識を見かけました。前述のサイトにある「枯木ノ分レ」なのでしょう。よく見たら、小さな道があってそちらに行ってみました。さらに進むと長い階段を見つけ、ひたすら降りていきました。ここも正式な登山道だと認識しましたが、階段を抜けるとどこか登山道なのかよく分からない、けもの道ではないかと思えるところもありました。

途中、落ち葉に覆われているところがありまして、どこが山道なのか全く分からないところがありました。私は適当に進んだら、落ち葉に足を深く突っ込んでしまいまして、パニックになりかけました。一旦元の山道に戻り、どこが道になっているのかよく見ました。

すると、さきほどの落ち葉の少し横のところに山道があることが分かりました。というのも、その先には落ち葉がなくなっていて、山道が見えていたからです。落ち葉で山道が隠れていて、さきほど私が足を突っ込んだところは、山道から少しはずれたところだったのです。そうして、無事に落ち葉だらけの道も通り抜けて、再び急な坂を降りて行きました。

それにしても、相沢登山口に向かう内山峠に比べると山道は急な坂が多く、かなり足の筋肉を使った気がしました。足の筋肉を酷使しつつ、私は「明日は筋肉痛だな」と自嘲気味になっていましたが、実際はその日のうちに筋肉痛となりました。この事については後述します。下りは上りよりも楽かと思いきや、再び体が火照って汗が出てきて、途中で転んだりもしたので一概にそうは言えないかも思ったりしました。

それで思い出したのが、私の知り合いの60歳台の男性が、40歳を過ぎると下りの階段を降りるのがきつくなり、手すりをつい探してしまうという言葉でした。10数年後に自分もそうなるのかなと思いました。

相沢登山口までの山道は、山道とは言えないような感じのところも多々あり、間違えてけもの道に迷い込んだのではという不安もありましたが、「登山口 DOOR WAY 30分 荒船山 Mt. ARAHUNE 70分」といった標識を見かけるたびに安心しました。14時頃に車が通れそうな道路を見つけました。

ようやく人間が常駐していそうなところに戻ってきたようです。その道路の横にはダムと川があり、さらに先を進むとビニールハウスや倉庫らしき建物をいくつも見かけました。その建物を通ると、白いヒゲをたくわえたおじいさんが出てきて、「山から降りてきたの?」と私に訊いてきました。私がそうですと尋ねると、いつごろ登ったのかと訊いてきて、9時半頃ですと答えると、早いねと言われました。私は内山峠から登ってきましたと言うと、そのおじいさんは「ああ、あそこからなら早いからね」と言いました。やはり、相沢登山口からだと少し時間がかかるようです。



帰路

その後、私は道路を歩いていますと、ヤマト運輸の車などが私を追い越していったり、相沢川取水ダムという比較的大きなダムを見かけたり、段々人が多くなっている感じがしました。14時44分頃、私は三ッ瀬のバス停に到着しました。前述のサイトによると、三ッ瀬からバスが出ているとのことですが、バス停の時刻表によると次のバスは15分44分に来るとのことで、ちょうど1時間もあるのですね。

周囲を見ると、荒船の湯が付近にあることを知りまして、行ってみようと思いました。なお、この付近には荒船山の頂上まであと2時間という標識を見ましたが、私は約1時間44分で降りてきたわけです。登りだともう少し時間がかかるでしょうから、確かに2時間はかかるだろうと思いました。

さて、荒船の湯はどこにあるのかなと思い、周囲を歩き回っていましたが、見つかりませんでした。後で知ったことですが、もう少し歩いていれば荒船の湯へ着くことができたようです。

せっかく近くまで来たのに、温泉に入ることができなかったので少し残念でした。フラフラ歩いていると、雪が降ってきました。私はその日の荒船山は午後から雪が降るという予報をチェックしていましたので、折りたたみ傘を持ってきていました。折りたたみ傘を開いて三ッ瀬のバス停に戻っていると、体がかなり寒く感じられました。

山を登ったり降りたりしている時は、汗をかくほど体が火照っていましたが、こうも寒い思いをすると、明日は風邪をひいてしまうのではと思いましたが、幸い風邪は免れました。ちなみに、私はこの日かなり重装備をしていると書きましたが、手袋はスキー用の手袋で、帽子はニット帽をかぶっていたので、風邪をひかずに済んだのはこういういでたちのおかげかもしれません。

私が三ッ瀬のバス停に戻った時は15時15分頃で、あと20分ほどでした。私はバスが来るまでおとなしく待つことにしました。そして15時44分、バスが来ましたが、私は最初バスとは思えませんでした。そのバスはマイクロバスの中でもかなり小型、というよりちょっと大きめのワゴン車だったのです。

どういうものかというと、下仁田町の公式サイトに画像がありました。車体にはしっかりと「しもにたバス」と書かれていて、これがバスなのかと驚きました。バスに乗ると、前の席の男性が運転手さんと、年末年始はバスが休みになっていることなどについて談笑しているのが印象的でした。定期的に乗っているので、顔なじみになっているのかもしれません。私は前から2番目の客席に座りました。途中、学校帰りの小学生やおばあさんなど数人の乗客が乗ってきました。

バスの時刻表では16時11分に下仁田駅に到着する予定でしたが、実際は少し早く16時7分頃に到着しました。このバスは一般人も乗車可能のスクールバスということでしたので、無料で乗れました。スクールバスでなくても、料金は200円とのことで、行きの7280円は何なんだよという気分にさせられます。次回以降は、バスに乗って相沢登山口からから行こうかなと考えたりもしました。ちなみに、内山峠までは公共交通機関で行くことはできません。

さて、下仁田駅から16時20分に上信電鉄が発車するので、バスの到着時間はちょうど良かったです。私は改札を通ってホームに行き、上信電鉄に乗りますと、2両編成のこの電車の後ろの車両の座席に座りました。つまり、行きと同じ車両になります。

16時20分に発車した電車の中では、私は疲れていたのでひたすら寝ていました。高崎駅に着いた17時18分、私は目が覚めて降りようとしましたが、体がうまく動きません。足が筋肉痛になっていたのです。激しい運動したその日のうちに筋肉痛になるとは初めての経験で、私は軽いショックを受けましたが、電車から降りねばということで、どうにか体を動かして電車から出ました。

その後、JR線に乗り換え、17時26分発の通勤快速の高崎線に乗り換えました。18時36分に大宮駅に着くまでの間も、やはり私はずっと寝ていました。大宮駅で降りる際も足の痛みに耐えなければなりませんでした。きつかったです。

しかし、今年もかなりギリギリではありましたが、無事に荒船山に慰霊登山がすることができて良かったです。タクシーの運転手さんのSさんから、雪が積もっていると危ないという話も聞いていましたが、雪はあまり積もっておらず、また雪が降ったのは既に下山した後だったので、登山しにくいと感じることはあまりなかったです。

むしろ、山道がぬかるんでいた8月や9月よりも登りやかったですし、なによりも臼井先生の遺体の発見現場の周囲である崖の下をはっきり見ることができたというのも、大きな収穫でした。来年も、また慰霊登山ができればと思います。その際には、遺体の発見現場にも行ってみたい気がしますが、無理でしょうかね。





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