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荒船山登山記 (2011年)



INHALTSVERZEICHNIS

準備

下仁田駅へ

登山開始

はいじまさん

第一発見者の方

下山

車内での会話

帰路




準備

2009年9月11日、一人の漫画家が、群馬県下仁田町と長野県佐久市にまたがる山へ登山に出かけ、そのまま帰らぬ人となりました。

その漫画家とは、『クレヨンしんちゃん』の原作者、臼井儀人先生。そして、その山は、荒船山。

おそらく、臼井儀人先生の作品のファンの間で最も有名となってしまったこの山で、2009年9月11日当時、一体何かあったのか。それを知る術はありませんが、この山で亡くなられたのは動かしがたい事実となってしまった以上、この山に登って、これまで素晴らしい作品の数々を世に送り出してきた臼井先生のための慰霊をしたいと思うファンが出てくるのも必然と言えます。そして、そのようなファンの一人となった私も、2010年8月4日、荒船山へ慰霊登山を行ってきました。その記録はこちらのページです。

当時の私はイギリスに留学していて、一時帰国のために日本に滞在しており、8月8日には再びイギリスに戻らなくてはならなかったため、臼井先生の命日である9月11日の登山はできませんでした。そのため、キング牧師ではないですが、私には夢がありました。それは、9月11日に荒船山に登ることでした。

今年、2011年は9月11日がたまたま日曜日と休日になったことで、私はこの夢を実現することができました。そういうわけで、私は『クレヨンしんちゃん分析録』の記事で、9月11日の日曜日に荒船山に登るという旨を書きましたら、『はいじまゆきどっとこむ』のはいじまさんから、自分も当日に登るというコメントをいただきました。とは言っても、はいじまさんと具体的に何時にどこでお会いしましょうといった約束をしたわけではありません。当日、会えればいいなあと思っていたまでです。



下仁田駅へ

9月10日、私は仕事やその後の要件を済ませた後、22時頃に家に帰り、23時には床に就きました。翌朝の11日、私は5時頃に目覚め、朝食や身支度などを済ませ、6時半少し前に自宅を出ました。今年の服装はTシャツに長袖のシャツを一枚着るというものです。で、そのTシャツも登山開始まで腕をまくって半そでといういでたちでした。

荒船山には既に昨年に行っていたので、私は荒船山まで一体いくらかかるのか、交通費の事は熟知しており、この日のためのお金をとっておきました。大宮駅に6時40分近くで、すぐに新幹線の乗り場へと歩きました。6時50分発の長野新幹線あさま501号長野行きに乗るべく、18番線のホームに向かいました。とその前に、昼食用のおにぎりと500mlの水2本を購入しました。6時50分に新幹線あさまは大宮駅を出ました。

私は6号車の指定席に座りまして、何をするわけでもなく、ただボーッと過ごしておりました。この新幹線は熊谷も本庄早稲田も通過し、一気に高崎駅へ向かいました。私はその事を知らなかったので、熊谷駅を通過したのを見た時は非常に得した気分になりました。ちなみに、高崎駅の次は軽井沢に止まるとのことでした。7時15分、わずか25分で高崎駅に到着しました。大宮駅から高崎駅までは74.7キロあるとのことで、平均で時速約180キロで走行したことになります。いやはやさすがですね。

高崎駅到着後、改札から出て上信電鉄の乗り場へと向かいました。昨年に既に言っているので、場所は分かっていました。7時33分発の下仁田行きの列車に乗る前に、ホームの自動販売機で330mlのペットボトルの水を購入しました。さきほど、少し水を飲んだので、この水を既に開けてある500mlのペットボトルに入れ替えました。残った水は、電車の中で飲んで、下仁田駅で空になった330mlのペットボトルを捨てました。

7時33分に高崎駅を出た上信電鉄は、下仁田へと向かいました。電車の中はあまり人は乗っていませんでしたが、途中で高校生が大勢乗ってきて、電車の中は賑やかになりました。大学受験を控えているのか、(実は私も使ったことのある)英単語の某参考書やセンター試験の過去問などを開いている生徒も多く見ました。しかし、彼らは上州七日市駅で一斉に降りました。それにしても、本日は日曜日なので学校は休みのはずですが、もしかして部活か何かがあったのでしょうか。

8時37分、電車はようやく下仁田駅に到着しました。高崎駅から下仁田駅まで33.7キロの道のりを64分で進んだわけで、平均速度は時速約31.6キロとなります。先ほどの新幹線とは約六分の一程度の速度だったわけですね。時間はかかりますが、こちらはユルユルしていて良いですが。その後、下仁田駅前のトイレを用を済ませ、タクシーに乗って内山峠へ向かいます。

去年乗ったタクシーの運転手さんは、行きも帰りもかなり饒舌で、下仁田や荒船山に関する情報を色々と教えてもらい、臼井先生が亡くなられた後にも自殺者がいたという話も聞けたものですが、今回の運転手のIさんはかなり寡黙な方で、天気の話以外はほとんど話題にはしませんでした。途中、荒船山の全景が見えるところを通るはずなのですが、なぜか全景が見えませんでした。変だなと思いながら、9時20分過ぎに内山峠に到着しました。運転手のIさんに帰りのためにとタクシー会社の電話番号が書かれた名刺と上信電鉄の時刻表を受け取りました。まあ、どちらも帰りに使う事は無かったのですが。詳しい事は後述します。



登山開始

私が昨年に買った「決定版 関東の山ベスト100」(JTBパブリッシング)という登山用のガイドブックによると、荒船山は以下のような特徴を持つ山です。

標高:1423m、
総歩行時間:4時間(別のガイドブックでは4時間半)
総歩行距離:8.9Km
累積標高差:登り…642m、下り…642m
登山レベル:初級者向け


荒船山登山の一般的な入り口である内山峠には、昨年よりも多くの自動車が止まっていました。やはり昨年は平日で、今年は休日という違いが現れたのだと思いました。さらにバスも止まっており、年配の団体客の姿も目にしました。私はその団体客の後をついていくように登山を開始ました。既に去年登っていたので、MP3プレーヤーで音楽を聞きながら余裕をかましていました(まあ、こういう余裕こそが思わぬ事故に繋がったりするのですがね。山では用心するに越したことはないです)。

すると、前を進んでいた年配の方々は「よろしかったらお先にどうぞ」と言ってきました。私は断ろうかと思いましたが、せっかく譲ってくれているのだからと団体客を抜かして先へ進むことにしました。ここである女性が「はーい、新幹線が通ります」と言われたことが印象に残っています。いやはや、私が新幹線ですか。それでは、団体客の皆さんはなんでしょうかね。上信電鉄?と思ったりもしましたが、新幹線と上信電鉄には6倍も差があるのです。さすがに6倍もないでしょう。まあ、あの女性も粋な発言をしたものです。しばらく歩いていると、再び年配の団体客の姿は見えましたが、こちらの方々も、私に道を譲ってくれました。というわけで、先に進みました。

この辺りで段々とスタミナが無くなっていき、汗も出始めました。昨年、登山を開始した当初は、いや〜登山って楽しいな、今後山登りにハマっちゃうかもと思ったものですが、スタミナが無くなってくるともう山登りなんか二度とやらねぇ!と、思考が180度変化したものです。そして、今年もまさにその180度の転換がやってきました。あまりの暑さに長袖のシャツを抜いてTシャツ一枚となり、タオルを片手に汗を拭きながら登りました。そんなにつらいのなら休憩したらと思われそうですが、とりあえず限界が来たら休もうと思っていました。まだ限界には来ていなかったので、休まず進みました。

この途中で、比較的若い男性を抜かしました。その男性とあいさつを交わして、私はその男性を抜かして先へ進みました。実は、疲れていながらもその男性のリュックサックに花束が出ていることが確認できまして、この方が『はいじまゆきどっとこむ』のはいじまさんなのだろうと思いました。しかし、ここではあえて御本人か否かは確認せず、先へ進みました。というのは、この時の私はスタミナが無くなりかけており、誰かと会話しながら登るという余裕が全く無かったのです。はいじまさんであれば、上まで登ったじっくり話せればいいやと思ったからです。

実は、はいじまさんも私の姿を見た時、私を『クレヨンしんちゃん研究所』の管理人なのだろうと思ったそうです。というのも、明らかに他の登山客と比べて軽装で、かなり異質であったことと、私の昨年の登山記を読まれた際、私がかなりハイペースで登っていると感じたらしく、途中で抜かされるだろうという事は想定していたからだそうです。

さて、その男性を抜かした後、私はさらに先へ進み、10時頃になって鋏岩修験道行場跡(鋏岩)にたどり着きました。登山開始から40分ほどで到着しまして、これは昨年と同じペースで進んだことになります。私の体力は昨年と変わっていないということでしょうか。

途中、人とすれ違いましたが、この時間帯に下っている人は、ずいぶん朝早くに登り始めたのでしょうか。あるいは、別の登山口から登って、内山峠を下るというルートを通っていたのかもしれませんが。10時20分ごろ、一杯水の地点に着きました。この一杯水の前後がキツイのですよね。急坂や露岩などが多く、とにかく登りづらい。私の体力を容赦なく奪うところです。前述したように、もう二度と登山なんかやらねえと思いながら先を進みました。



はいじまさん

10時35分頃、これまで続いていた急坂などがなくなって、急に道が平らになりました。「みんなで楽しむハイキングコース 荒船山コース 荒船艫岩西端」という「マツダランプ」の看板が見えた時、「やった」と思いました。ここから艫岩まではもう急な道が無く、楽に進めるからです。さて、その後しばらく歩いたところで休憩を取りました。もう、臼井儀人先生を慰霊するところまでは近いので、花を取り出してしばらく汗が引くのを待ちました。ただ、慰霊はまだしばらくしませんでした。というのは、ある方を待っていたからです。ここまで読まれればお分かりでしょうが、その「ある方」とははいじまさんです。

しばらくすると、赤ん坊を背負った登山客の姿が見えました。はいじまさんはまだかなと思ったら、一人の男性が近寄ってきました。リュックからは花が見えています。男性は私に「あなたはインターネットで有名な方ではないですか」と尋ねてきました。この方の質問の意図は丸分かりでしたが、私はわざと「何のことでしょうか」とトボけてみせました。そして、男性が「クレヨンしんちゃん研究所」と、このサイトの名前を口にしたところで、私が自分がチョルスであると名乗り、相手ははいじまさんであると名乗りました。こうして、私たちは自己紹介をして正式にお互いの顔を合わせることとなりました。

私は、最初にはいじまさんを抜かした際に、おそらくこの方がそうだろうと気付いていたものの、疲労で会話をする余裕が無かったの先に行くという話をしました。はいじまさんも自分のペースで歩いていたので、おそらく登山の途中で名乗っても、私が先に行って会話が行われるのはこの場になっていただろうという話をしました。で、さっそくはいじまさんからあるものを見せてもらいました。1991年12月23日に発行された『クレヨンしんちゃん特集号』です。

この『特集号』は最初期の単行本未収録作品も第3話以外全て収録されている超レアなものです。私は手渡された『特集号』をパラパラめくりながら、この雑誌の凄まじい「威力」をはいじまさんから聞きました。この『特集号』の表紙は黄色でしんちゃんが大きく描かれており、結構目立つのですね。2009年11月30日に行われた「臼井儀人先生の思い出を語る会」に持っていたところ、大人気だったそうです。ある女子高生は、この雑誌が1991年に発行されたと知るや「私が生まれる2年前だ」と言っていたそうです。『クレしん』の歴史の長さを実感しました。

ところで、この『特集号』は少し汚れやヨレヨレ感がありまして、20年も持っていれば必然的にこうなるのかなと思っていたら、この時の「語る会」で一気に劣化が進んだそうです。つまり、あまりに多くの人がこれを見ていたらこうなったそうで。さらに、双葉社関係者の方がこの『特集号』を見たとき、驚かれたという話をしていたそうです。当時イギリスにいた私は「語る会」に参加できませんでしたが、当時の楽しそうな雰囲気が伝わってくる話でした。「語る会」はファンにとってのお葬式であり、楽しいと言ってしまうのは不謹慎かもしれませんが、ファンとしては楽しんだ方が臼井先生も喜んだだろうと思います。

さらに、『クレしん』以外の臼井先生の作品も色々と見せてもらいました。実は、私も臼井先生の作品は、『(株)くるぶし産業24時』など何冊か持っていますが、『お−えるグミ』など持っていないものもあり、はいじまさんに見せてもらいました。ここで、『クレしん』以外の臼井先生の作品と熱く語り合えるのはなかなか貴重な体験でした。『クレしん』と熱く語り合える方は結構いても、臼井先生の作品全般の場合はほとんど無いからです。

『(株)くるぶし産業24時』で、セールスマン撃退のために当初は自らワニに化けて、後にジェニファーという名前の本物のワニを飼う主婦の名前が「みさえ」だということを私が言うと、はいじまさんは当時の臼井先生の作品に登場する女性キャラの名前は大抵みさえで、『クレしん』もその一つだということを教えてもらいました。いやはや、私はそこまで知らなかったので、はいじまさんの臼井先生への思い入れぶりが垣間見られました。

私が『クレしん』以外の臼井先生の作品を読み始めたのは中学生の頃を言ったところ、中学生が読む内容ではないのではとはいじまさんは疑問を呈していましたが、確かにそうかもしれません。とは言っても、当時私の周りには修学旅行で『ふ●り●ッチ』なる漫画を持ちこんでいたヤツもいましたし、大したことではないような気もしますが、そう考えるのはやはりおかしいかも。

その後、私たちは臼井先生が亡くなられた(とされる)場所に向かって、花束を投げて、臼井先生に手を合わせました。そして、私は持ってきた缶ビールを注ぎました。というのは、はいじまさんが昨年に缶ビールを注いだということをメールで書いてください、私もやろうと思ったからです。今回、はいじまさんはビールを持ってきていませんでしたが。



第一発見者の方

それからしばらくすると、一人の年配の男性がやってきまして、はいじまさんは挨拶をしました。私もつられて挨拶をしましたが、誰だか分かりませんでした。しかし、すぐに推測ができました。実はこの方、「ゆうらんせん」というハンドルネームで『クレヨンしんちゃん分析録』の記事のコメント欄に投稿された、臼井先生の遺体の第一発見者の方です(というわけで、以下「ゆうらんせんさん」と書きます)。はいじまさんは昨年にゆうらんせんさんと一緒に登山をされたことがありますが、私は初対面でした。

当時、私はイギリスに留学していた関係からか、ゆうらんせんさんは私をイギリスの人だと思っていたそうです。ここで余談ですが、昨年に9月11日、私はイギリスのレスターという街に滞在しており、その日はノッティンガムというロビン・フッドゆかりの街に日帰りで旅行に行っていました。しかし、当日は寝坊してしまって予定よりも少し遅れてノッティンガムに到着したものの、行ってみたい観光名所は思ったほど多くなく、予定よりも早くレスターに戻ったのは、今となっては良い思い出です。ノッティンガムにいた時も、臼井先生の事が頭から離れませんでした。

他にも、ゆうらんせんさんは『クレしん』の連載は他の人がまだ続いているのですか、作風は変わっていませんかというような事を私に訊いてきて、私はアシスタントだった方々が続いていますが、絵柄も作風も臼井先生のものに極力近づけていますという答えをしました。話は劇場版の方に移り、今年の『黄金のスパイ大作戦』の事が言及されると、はいじまさんは同作品を絶賛していました。私もこの作品は非常に気に入っており、2011年9月現在、管理人のページでの好きな劇場版作品として、『スパイ大作戦』は2位にしています(DVDが出たら一位にするかも)。

はいじまさんによると、この映画は何がすごいかと言うとレモンちゃんがラストで「ぶっ放した」からだと言っていました(ご覧になられた方なら分かりますよね)。『コナン』で言えば、蘭ちゃんかその友達の女の子(鈴木園子)か歩美ちゃんがぶっぱなすようなもの。興行収入はともかく、小学生の間では今年の『コナン』は『クレしん』に内容負けしていたということを語っていました。ちなみに、はいじまさんには小学生の娘さんがおられるので、その辺りの事情も詳しいみたいです。

さて、この後は私とはいじまさんとゆうらんせんさんで昼食を食べました。私の昼食は大宮駅で買ったおにぎり3つです。昼食を食べている時、他の登山客の方々、それも私が山を登る際にいた年配の方々の団体がおり、ゆうらんせんさんがこの方々と色々とお話をされていました。昼食を食べている間とその後では、ゆうらんせんさんは登山に関するお話を色々としてくれました。

はいじまさんもそうなのですが、かなり山登りをされてきたようで、様々な登山の体験談を話してくださいました。中には、命の危険にさらされたこともあるようで、一歩間違えていたら臼井儀人先生と同じことになっていたという話も聞きました。私たち3人は、その後も色々と話し込んだ後、13時過ぎになって下山しようということになりました。

それにしても、この日の荒船山は霧がすごくて、周囲がかなり見づらかったです。行きのタクシーの中から荒船山の全景が見えなかったのも、霧によるものでした。帰りもやはり霧が見えませんでした。そういうわけで、展望台からの眺めも全く見えませんでした。そこにあるのはただ真っ白な霧だけだったので。



下山

さて、下山ということになりましたが、私が昨年登った頂上の経塚山は、既に行ったことがあり、また疲れをなるべく翌日に持ち込みたくないという理由で私も下山して帰ろうと思いました。なお、昨年の9月11日は土曜日で、はいじまさんによると昨年は2人の男性の『クレしん』ファンの方がいらっしゃったとのことですが、今年ファンの方が誰もいませんでした。はいじまさんは、この日は日曜日で、翌日の月曜日に登山の疲れを残さないために、ファンの方々でも登りたがらないのではと言っていましたが、私もそうなのだろうと思いました。

下山をする際、ゆうらんせんさんが先で、次に私、最後にはいじまさんという順で降りて行ったのですが、ゆうらんせんさんはかなり降りるスピードが速くて、私はついていくのが少し大変でした。はいじまさんも同様だったそうです。登山道がぬかるんでいるところもあり、滑って転んでしまいそうな時もありましたが、幸い転ぶことはありませんでした。

14時近くになって、鋏岩修験道行場跡(鋏岩)に到着しました。ここでしばらく休憩して、下山中の会話の続きに花を咲かせました。その後、再び下山開始です。ゆうらんせんさんの話で印象に残ったのは、群馬県の県庁所在地は前橋市なのに高崎市と間違えている人がよくいるということです。前橋市は元々養蚕で有名な地で、当時はまだ機関車だった鉄道が前橋に敷かれることに地元住民は猛反対したというです。養蚕が機関車の煙で被害を受けてしまうという理由だからだそうです。結局、群馬県の交通の要衝は前橋ではなく高崎になってしまったのだそうです。物事を長期的に見る重要さを思い知らされる話でした。

そして、もう一つ印象に残ったのは、埼玉県の県庁所在地はかつて熊谷市にあったことです。現在も熊谷市に気象台があるのは、その頃の名残りなのだそうです。浦和区(さいたま市)の方に県庁が移ってしまった現在、埼玉県の県庁所在地は大宮区にあると思っている人も少なくなかったりして、その事をゆうらんせんさんに話すと、大宮は交通の要衝である以外、街としては意外にこじんまりとしているそうです。長年さいたま市で暮らしている私も、その事には気づきませんでした。

14時半近くになって、鎖のある登山道を下りました。鎖のあるところは、急斜面になっており、その先には崖になっているのです。鎖が付けられる以前は、この崖に落ちて死者が出るという事故が起こったことがあるそうです(臼井先生との事故とは関係ありません。また、この事故は臼井先生の事故よりも前に起こっています)。14時40分頃になって、ようやく内山峠が見えてきました。ようやく下山が終了したのです。



車内での会話

この後、私はどうやって帰ろうかとなり、タクシーを呼んで昨年と同じく下仁田駅まで行くことも考えていましたが、はいじまさんが車に乗せてくれるとのことでしたので、途中まではいじまさんと一緒になることにしました。ゆうらんせんさんとは、この内山峠でお別れということになりました。

はいじまさんにどこまで送ってもらえるかなと考えていたら、八高線の駅ならどこでも大丈夫と言ってくれたので、私は高麗川駅まで乗せてもらうことにしました。高麗川駅から川越線で川越を経由して帰ろうと思い、はいじまさんの助手席にお邪魔しました。

車の中では、『クレしん』のこと、臼井先生のこと、サイト運営のことなど色々話しましたが、1985年8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故についても詳しく話をしました。昨年の登山記にも書きましたが、、下仁田駅は鉄道駅としてはこの事故の現場から最も近い駅とのことだからです(ただし、はいじまさんによると小海線の駅からの方が近い可能性もあるとのことです)。

私自身、この事故には結構関心を持っていた方ですが、はいじまさんは中学生の頃にこの事故に遭遇して大きな衝撃を受け、それで乗り物のメカニズムなどを徹底的に勉強したのだそうです。私もその博識ぶりには驚かされました。この日航機の事故については色々と批判もありますが、これらの批判は全くの筋違いなのだそうです。専門的には、日航機の事故の対応はまさに最善を尽くしたものであり、よく調べれば当時の状況などを考えると、批判する余地など全く無くなるとのことです。

私自身はその手の専門家でもなければ専門知識があるわけでもないので、あまり詳しくは書けませんが、未だにこの事故について、ああすればよかったのではないか、こうすればよかったのではないかという人たちが未だにいることについて、はいじまさんは専門知識があればそんなことなど言えなくなるという事を改めて強調していました。私も大した専門知識が無い故に誤った事を書いて、専門家の方からご指摘をいただいたこともありましたので、自分自身に対する戒めとも捉えました。

日航機の事故に関しては、遺族の方々による団体の8・12連絡会のサイトにも資料が掲載されているので、そちらをご参照するのが良いかと思います。ある程度の専門知識が求められますが。

『クレしん』のテレビアニメに関する話も色々しまして、現在のテレビアニメは原作を基にしていないオリジナルの話ばかりが目立ちますが、はいじまさんは『ドラえもん』みたいに昔の原作をリメイクした話を放映するのが良いのではないかと提案していました。ファンだけでなく声優の方々も喜ぶのではないかと言っていましたが、確かにそれも妙案だと思いました。

それにしても、日航機だけでなく、『クレしん』や他のアニメ、臼井先生の作品などに関してここまで熱く語る方も珍しいと思いました。『クレヨンしんちゃん的ページ』さんのMr.Kさんは、かなり知識はおありですが、ここまで熱く語る方ではありませんでしたし、他のファンの方でも割と熱く語り合える方はいないわけではないですが、はいじまさんほどではありませんでした。おかげさまで、私も『クレしん』に対する視野もかなり広まりました。



帰路

17時40分近くなって、ようやく高麗川駅に到着しました。内山峠を出発してから3時間弱かかりましたが、時間の長さを全く感じませんでした。それだけ、はいじまさんとの話に夢中になっていたのですね。

私ははいじまさんの車を降りて別れを告げた後、駅の改札に向かいました。すると、電光掲示板には41分に川越行きの電車が出るとありまして、改札を出てすぐのところで止まっていた川越線に乗りました。いやはや、良いタイミングでしたね。その後、川越駅で乗り継ぐ際もあまり待ち時間がかからないで、スムーズに進みました。おかげて、予定よりも早く自宅に到着できました。

こうして、私の荒船山登山は幕を閉じました。また来年も登れたらと思いますが、来年の9月11日は平日になるので、ちょっとズレるかもしれません。その時には、クレしんファンの方ともお会いできないものかと思ったりします





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