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荒船山登山記



INHALTSVERZEICHNIS

きっかけと準備

下仁田駅へ

タクシー内での会話(その1)

登山開始

頂上へ

慰霊

下山

タクシー内での会話(その2)

帰路

※本文の荒船山登山については、こちらのページもご覧ください。



きっかけと準備

2009年9月11日、一人の漫画家が、群馬県下仁田町と長野県佐久市にまたがる山へ登山に出かけ、そのまま帰らぬ人となりました。

その漫画家とは、クレヨンしんちゃんの原作者、臼井儀人先生。そして、その山は、荒船山。

おそらく、臼井儀人先生の作品のファンの間で最も有名となってしまったこの山で、2009年9月11日当時、一体何かあったのか。それを知る術はありませんが、この山で亡くなられたのは動かしがたい事実となってしまった以上、この山に登って、これまで素晴らしい作品の数々を世に送り出してきた臼井先生のための慰霊をしたいと思うファンが出てくるのも必然と言えます。そして、そのようなファンの一人となった私も、2010年8月4日、荒船山へ慰霊登山を行ってきました。当ページはその記録です。

私は元々登山に馴染みのある人間ではありません。子供の頃は、しばしば登山を経験しましたが、高校生くらいになってからは、登山をしなくなり、おそらく10年はまともな山登りを経験しなくなりました。そのため、荒船山に登ろうという考えも、全く無いわけではなかったものの、非常に弱いものでした。

そのような私の考えを変えたのが、当サイトの掲示板での一つの書き込み、そして一つのメールからでした。「はいじまゆきどっとこむ」はいじまさんからのメッセージで、同じくクレヨンしんちゃんをはじめとする臼井先生のファンである方です。はいじまさんから、臼井先生の命日に当たる9月11日に登山をする計画を立てており、同行者の募集をしてほしいという旨のメッセージが書かれていました。私はこの計画に賛同し、当サイトにもその募集の告知を掲載しました。

しかし、私は9月11日には行くつもりはありませんでした。というより、行くことが不可能でした。なぜなら、私は8月8日よりイギリスの大学院留学のために、6月の頭まで1年半滞在していたイギリスに、再び行くことが決定していたからです。そのため、9月11日の命日での登山はどうしても不可能でありましたが、はいじまさんからメッセージをいただいた私はどうしても行きたくなり、再渡英する前に荒船山へ一度行こうと決心しました。7月半ばのことです。

まず、私は「決定版 関東の山ベスト100」(JTBパブリッシング)という登山用のガイドブックを購入し、荒船山について調べてみました。それまでネットでも調べてはいましたが、やはりちゃんとした書籍で調べた方が良いですね。
ガイドブックによると、荒船山は以下のような特徴を持つ山なんだそうです。

標高:1423m、
総歩行時間:4時間(別のガイドブックでは4時間半)
総歩行距離:8.9Km
累積標高差:登り…642m、下り…642m
登山レベル:初級者向け

初級者向けの山とのことで、登山に馴染みの無かった私でもどうにか登れないことはないだろうと思いましたが、交通費がかなりかかるのは頭の痛い問題でした。高崎駅から荒船山の「最寄駅」に当たる上信電鉄の下仁田駅まで約1時間、1080円かかるそうで、これは良いのですが、問題なのはそこからタクシーで40分、約6700円かかるとのことです(後述しますが、実際にはもっとかかりました)。一応、バスで行くという方法もありましたが、荒船山の登山道の入り口に当たる内山峠まで距離があり、バスでは日帰りは難しいとのことでしたので、結局タクシーで行こうということになりました。

しかし、臼井先生の慰霊というハッキリした目的があり、しかもこの機会を逃したら、次はいつ登れるか分からない。8月8日に渡英した私は、少なくとも来年の9月までは帰国しません(来年の4月に一時帰国を考えていますが)。そして、帰国後は私の私生活はかなり多忙になると予想されるので、帰国後に荒船山に登る時間が取れるという保証もありません。

そこで、いくら費用がかかろうとも、私は8月4日(ちなみに水曜日)には絶対に行くぞと決断しました。ところで、なぜ8月4日なのか、8月8日以前なら他の日でも良いのではないかと思われるかもしれませんが、他の日は色々と用事が入っていたので、8月4日以外でスケジュールを合わせるのが非常に難しかったのです。



下仁田駅へ

8月4日、早朝に目覚めた私は早速荒船山へ向かうべく、自宅を出ました。私は一応長袖も用意しましたが、半そでで家を出ました。大宮駅に着いた時、高崎線で高崎駅まで行くつもりでしたが、高崎駅まで行く高崎線の本数が少なく、なかなか来なかったのです。私は朝の10時過ぎ頃には下仁田駅に到着したいと考えていたのですが、このまま高崎線に乗って行くと、下仁田駅に到着するのは昼近くにもなりかねない状況でした。

大宮駅で大勢のビジネスマンや学生さんらが行き交う中、私は一人あちこち歩き回りながら、あれこれ考えました。そして、気が付いたら(?)新幹線の改札口に来てしまいました。それを見て私は決断しました。新幹線で行こうと。新幹線で行ってしまえば、1時間以上かかるところを30分弱で行けます。つまり1時間近くも時間が短縮できるわけです。

ふと新幹線の改札口の方に目を向けると、長野新幹線あさま563号が8時42分に出るではないですが、時計は8時40分近くを指していたわけでありまして、私はここで決断しました。新幹線で行こうと。下仁田駅からのタクシー代がかなり痛いですが、時間を節約するために仕方がないと思い、新幹線の料金2100円をさらに余分に支払い、高崎までの自由席の切符を購入しました。

新幹線の改札を通り、ホームに出るともうすぐあさま563号が到着するというアナウンスがされていました。8時41分に大宮駅のホームに新幹線が入ってきて、早速私は乗り込みました。車内はやや混雑していましたが、私はどうにか通路側の席に座ることができました。乗客は、家族連れの旅行客とビジネスマンが多く、私の左隣の2席に座っている二人の男性も、背広を着た中年のビジネスマンらしい人たちでした。

8時42分、新幹線が大宮駅を発車しました。私は本を読んで新幹線の中を過ごしましたが、この列車は熊谷駅も本庄早稲田駅も通過するものでした。そういえば、この日は8月4日でしたが、私はちょうど2ヶ月前の6月4日も長野新幹線に乗り、上田駅へ向かっていました。クレしんの映画を観賞するためです。結局、上田では鑑賞できませんでしたが、ちょうど2ヶ月後に再び長野新幹線に乗るとは、思わぬ偶然でした。6月4日に乗った時も、熊谷と本庄早稲田は通過していました。

9時7分、高崎駅に到着しました。乗車時間はわずか25分で、やはり非常に速いですね。2100円を支払って1時間近い時間を買ったとも言えそうです。

その後、私は改札を出て、上信電鉄の方へ向かいました。9時10分過ぎに、高崎駅の構内を横断して上信電鉄の改札を見つけ、高崎〜下仁田間の往復分の切符を購入しました。切符を駅員に見せて判を押してもらいましたが、自動改札でないのを見ると、かなり田舎に行くのだなと感じました。わずか2両の電車に乗り込みましたが、乗客はあまりいませんでしたが、乗客は旅行や私みたいに登山に行く人たちのようで、さすがにビジネスマンは乗っていませんでした。

9時18分、電車は高崎駅を発車しました。その後は、下仁田駅まで約1時間かけて、本を読みながら電車の中でゆすられていました。ちなみに、このページから上信電鉄の路線図と時刻表の確認ができます。

下仁田駅まで行く間、途中の駅で興味深いものを目にしました。途中の南蛇井という駅なんですが、「なんじゃい」と読みます。駅名も凄いですが、この駅から歩いて15分ほどのところに富岡製糸場があるとのことで、駅の看板にも「富岡製糸場を世界遺産に!」と書かれていました。なかなかの力の入れようですな。もし世界遺産になったら、この看板どうするのでしょうかね。「富岡製糸場が世界遺産に!」とでも書き換えたりして。

10時22分、終点の下仁田駅に到着しました。上信電鉄内は、途中で結構な人数の人たちが乗ったこともありましたが、あまり混雑しておらず、下仁田駅に着いた時には私を含め数人しか乗っていませんでした。ちなみに、私は進行方向から後ろの方の車両に乗っていましたが、この車両は私以外誰も乗っていませんでした。前の方の車両に乗っていた乗客は、みんな登山客のようでした。小学生くらいの男の子も一人乗っていましたね。夏休みの真っただ中なんですね。



タクシー内での会話(その1)

下仁田駅前にはタクシーが数台止まっており、私は隣りのタクシーの事務所らしきところで乗せてくれと頼みました。一人の年配の運転手の方のタクシーに乗せてもらい、荒船山の内山峠までと頼み、タクシーは走りだしました。

私はあまりおしゃべりな人間ではないと思いますが、これから40分間ひたすら沈黙を貫くのはつらい、というわけで何か話そうかなと思いましたが、運転手さんの方から話し出してきました。

お客さん、下仁田は初めてですか。下仁田はねぎが有名ですよね、と。

私は、下仁田は初めてで、下仁田はこんにゃくも有名ですよねと返しました。ねぎは深谷ねぎが思いつくと言ったら、深谷ネギも有名ですよね、ただ焼き鳥に向いているのに対して、下仁田のねぎはすき焼きに向いていますよ、といった返答が帰ってきました。

他にも、荒船山付近には温泉がある、さらに牧場もあって、こちらもなかなか良いところですよ、といったことも話していました。

そして、忘れてはいけないのが、荒船山で起こったもっとも有名な大事件についてです。当然ながら、運転手さんも話していました。荒船山では、クレヨンしんちゃんの作者が亡くなってしまったところですからねぇと。私は自分がクレしんファンであり、今回の登山目的も慰霊であることはあえて話しませんでした。

ちなみに、登山と言えば、運転手さんは登山はどのくらいやっていますかと訊いてきまして、私は最近はあまりやっていませんと答えましたが、実際は「最近」どころでは無かったりしますが。ですから、不安はありましたが、初級者向けの山なので大丈夫だろうとタカをくくっていました。

さて、段々タクシーは山道の中を進み、荒船山という名前が示すように、船の形をした山容も見えてきました。運転手さんは荒船山の絶好の撮影地点で止まり、私に写真撮影をする機会を与えてくれました。私は車内から撮影しましたが、その日は天気が曇りで、映りはいまひとつでありました。

さて、タクシーは山道を登り、段々標高が高くなってきました。午前11時頃、タクシーは荒船山の登山道の入り口に当たる内山峠に到着しました。料金は7000円強もかかってしまいました。

ここで、私は帰りのタクシーの予約も入れました。登山時間は4時間あれば十分とのことでしたが、私は念のために5時間確保することにして、午後4時にこの内山峠に来てくれという旨を伝えました。



登山開始

タクシーから降りた時、空気はかなり冷えていました。やはり、標高はかなり高いのですね。長袖を持ってきてよかったと思った私は、早速登山を開始しました(結局、長袖は使いませんでしたが)。本格的な登山は本当に久しぶりで、強いて言えば2009年4月以来になります。この時、私はスロヴァキアに旅行に行っており、エリザベート・バートリのチェイテ城がある山に登ったのです(バートリについてはWikipediaでも参照してみてください)。もっとも、あれは山というより丘といった方が良いようなもので、荒船山に比べたらたかが知れているわけで、本格的な登山は前述したように10年くらいしていませんでした。

そういうわけで、最初は久しぶりの登山に心躍り、デジカメでやたら写真を撮りながら登山道を進んでいきました。しかし、途中で何度も道が整備されていないところを通ることとなり、備え付けられていたロープや鎖を伝っていきました。子供やお年寄りでも気軽に登れると言われる荒船山ですが、道になっていないところを通るのは、子供やお年寄りではちょっときついのでは、と思いました。まあ、私の運動神経の無さもあるのですがね。ただ、後で知ったのですが、実は以前に荒船山で大雨が降っており、登山道の一部が崩れてしまったとのことです。それが、そういう道になっていないところだったそうです。

さて、しばらく歩いていると、さすがに疲れてきて、歩くのもきつくなりました。そういえば、「ちびまる子ちゃん」の初期の頃の原作で、まる子たちが学校の遠足で山に行くという話があり、一人のオサーン(学校の先生?)が体を前に倒すと足が勝手に前へ進むと言っていたのを思い出し、やってみました。ただ、アフォらしくなってすぐにやめましたが。

また、「ちびまる子ちゃん」のこの同じ話の中で、後ろ向きになって歩くと良いのもありましたが、これはしませんでした、危なっかしいので。もし後ろ向きになって歩いていたら、私も臼井先生と同じように・・・、いや登山道には艫岩展望台のような絶壁はなかったので、登山道から落ちても死亡には至らないでしょうが、大怪我していたかもしれません。そうなると、8月8日に再渡英することもままならなかったかも。

11時40分頃、お堂らしき建物の礎石のあるところにたどり着きました。ここは、鋏岩修験道行場跡(鋏岩)と呼ばれるところで、ガイドブックだと通常は内山峠からこの鋏岩まで55分かかるそうですが、私は約40分でたどり着きました。どうやら、私の体力ならこの荒船山も大したことはない、などとうぬぼれていました。しかし、その後の艫岩までの道のりがかなり悲惨でした。というのは、急坂や露岩が多く登りづらく、私のスタミナを容赦なく奪っていったからです。この頃から汗だくとなり、タオルを肩にかけての登山となりました。とにかく、大汗をかいてしまい、実はこの時、500mlのペットボトルの飲み物を2本持っていたのですが、2本持ってよかったと思いました。気温はあまり高くないのに、とにかく汗が止まらなかったので。

ところで、この日は平日だったため、登山客とすれ違うことはあまりありませんでした。とはいっても、やはり登山客も多くはないもののいくらかはいて、途中で中年の夫婦の登山客に追いついた時、一言挨拶をして追い抜いて行きました。



頂上へ

その後、一杯水という地点を過ぎて、12時20分近くになって、「トモ岩で転落死亡事故発生 足元注意」という看板を目にしました。その目の前には小さな絶壁があり、そこが艫岩なのかと思いましたが、その割には小さいので、おそらくこの先にあるだろうと思い、先に進みました。ここから先は、急な坂が存在せず、事実上頂上へ来たのだと実感しました。そして、ところで、この時の時刻は12時20分前後でしたが、ガイドブックで書かれている45分という目安の道を約40分で着いたことになります。最初の内山峠からの登山に比べるとややスピードが落ちています。やはり、スタミナ切れが大きいようです。

そして、いよいよ本物の艫岩展望台に到着しました。ここで臼井儀人先生が亡くなられたのかと感慨にふけりました、と書きたいところですが、私が到着した時、艫岩展望台にはビニールシートを広げて騒いでいる年配の人たちが何人もいたので、あまり慰霊を行える雰囲気ではありませんでした。

そこで、私はまず艫岩展望台の近くにある小屋に前にあるベンチで休んでから、さらに先の経塚山へ行くことしました。この小屋の裏にあるトイレに行って、小さい方をしてきましたが、電気が無くて真っ暗でしたね。なんか、臼井先生ではないですが、幽霊か何かが出そうな雰囲気で。もっとも、トイレの中をフラッシュで撮影しましたが、心霊写真のように怪しいものは映っていませんでしたが。

ただ、ある意味幽霊よりも恐怖だったのか、大きい方の和式便器です。山の中のトイレってああいうものだと思いますが、それでも(私からすると)恐ろしく汚れていたので。大きい方を催さなくて良かったです。そういば、前述した「ちびまる子ちゃん」の中でも、まるちゃんが「山にはトイレがない」と嫌がっていましたが、お母さんから「草むらの中ですればいい」と返されるシーンを思い起こしました。荒船山には一応トイレはありましたが、恐ろしく汚かったです。

そういえば、先の写真で思い出しましたが、私は今回の登山では一人で友達を連れてきているわけではないですが、休憩中に心霊写真集を見ることはしませんでした(笑)。第一、心霊写真集など持っていないし。先の「ちびまる子ちゃん」の話で友達のいないクラスメイトで心霊写真を見ていた男子が登場しているので。

さて、12時40分頃になって、艫岩展望台から経塚山まで歩き出しました。私はスタミナが休憩である程度回復していたこともあり、かつ急な坂が無いため、簡単に進めました。しかし、途中で私はとんでもない過ちを犯しかけることになります。

途中で道が分かれていました。私はまっすぐ進めば経塚山に到着するだろうと安易に考え、そのまま先へ進みました。しかし、ここからやたら長い木の階段があり、それを下って行きましたが、途中でぬかるみに滑って転んでしまいました。そのおかげで、手やズボンに泥がついてしまいましたが、泥まみれというほどではありませんので、さらに下りました。しかし、何か変だと気付きました。先を見るとひたすら下りの道が広がっており、このまま進むと、別の麓に着いてしまうのではないかと思うようになりました。

そこで、私はいったん先ほどの分かれ道のところまで戻ろうと決心し階段を上りましたが、スタミナが容赦なく奪われていきました。それでも、どうにか分かれ道のところに戻り、先ほどの曲がっている方の途こそ経塚山に行くのだと考えました。

ただ、この時点では、経塚山に到着できなくても良いかなとも思っていましたが。私の目的はあくまでも艫岩展望台での慰霊ですから。ここから先の山道は上り坂になっていましたが、最近起きたとかいう嵐の影響で、木があちらこちらで倒れており、進むのに苦労しました。また、頂上の直前のところは急坂であり、これは登るのが非常に大変でした。途中、何度か諦めようかとも思いましたが、そのたびに行ってみようかと思い、遂に荒船山の頂上に当たる経塚山に到着しました。13時35分頃でした。

艫岩から55分かかったわけで、ガイドブックの目安の40分よりも遅れています。これは、前述したように別の道を行ってしまい、思わぬロスが生じたためです。ガイドブックによると、ここの標高は1423mとのことですが、その頂上にあった祠によると、1422.5mとのことらしいです。

まあ、あまり細かいことは気にせず、頂上にたどり着いて感激しました、と書きたいところですが、頂上に登ることは私の本来の目的ではなかったので、あまり感激はしませんでした。早く艫岩に戻ろうという気持ちも強かったです。また、頂上は霧がかなり濃く、誰も人がいなかったので、あまり長時間いたいと思うようなところでは無かったです。



慰霊

そういうわけで、13時40分頃、わずか5分の滞在の後、頂上の経塚山を後にして、艫岩へ戻ることにしました。それにしても、帰りのタクシーを16時にして良かったと思ったものです。やはり、なんにでもできるだけ余裕をもって行動することが重要ですね。

先ほどの分かれ道を通り、14時8分頃に、艫岩にも近い荒船山水源に着きました。小さな川が流れていましたが、ここで私は泥の着いた手を洗いました。水道などありませんし。前述した小屋のトイレには水道はありましたが、水が出ません。

14時14分頃になって、ようやく艫岩にたどり着きました。頂上から34分かかったわけで、ガイドブックの目安の35分とほぼ同じくらいの時間です。水源の川で手を洗っていたりしたので、そこで多少時間を食ったからでしょう。

艫岩展望台には男女のアベックが休んでいました。様子を見たところ、ずいぶんと登山をこなしてきた感じですが、意外と初心者なのかもしれません。荒船山のような初級者向けの山に登ってきた割には、登山グッズをやたら抱えていましたので。まあ、山は油断禁物ですから、過剰な装備というほどではないかもしれませんが。

そのアベックに写真撮影を頼まれ、また私も写真を撮ってもらい、その二人は去って行きました。

そして、慰霊を始めました。と言っても、大したことはないですが。私はあらかじめ調達していた花束を出して、絶壁の方に捧げました。艫岩展望台はそこそこ広かったのですが、具体的に臼井儀人先生がどこから転落したのか分からなかったため、岩がむき出しになっていて、かつそれほど絶壁でもない左の方に花を捧げました。環境の事も配慮して、ビニールやゴムは全て外し、あくまでも花だけを捧げました。その後、お祈りをしました。

お祈りを済ませた後、しばらく絶壁の方を歩き回ってみました。もちろん、あまり身を乗り出すようなことはしませんでした。それで思ったのが、臼井先生は本当に事故に遭ったのだろうか、という事です。もちろん、ここから滑落して亡くなられたのは事実でしょうが、事故ではなくて誰かに突き落とされたのではと思ったのです。というのは、この絶壁からではよほど身を乗り出すなど危険な体勢を取らない限り、滑落するとは思えなかったからです。もちろん、「実験」はしませんでしたが、今一つ腑に落ちなかったりします。もっとも、今となっては藪の中ですから、あれこれ考えても仕方ないですが。ちなみに、自殺説もあったりしますが、臼井先生は死の数日前に双葉社の方々と食事をした際、自殺をほのめかす言動などは全くなかったそうなので、私は自殺説を信用していません。

ちなみに、この艫岩展望台には「トモ岩で転落死亡事故発生 足元注意」という立札があり、これを見た時、臼井先生の事だなと思いました。しかし、それは事実とは若干異なっていることを帰りのタクシーの中で知ることとなりました。それについては後述します。

ところで、この艫岩から行きに通った道路などが見えましたが、この日は曇りだったので、雲の動きで見えたり見えなかったりと、景色はあまり良くありませんでした。次来る時は、天気が良い日が良ければと思います。



下山

艫岩展望台にしばらくいましたが、時計は15時14分を指していました。つまり、1時間もいたわけですね。さあ、これはまずいです。というのは、ガイドブックによると、帰りは艫岩から鋏岩まで30分、鋏岩から内山峠まで35分、合わせて65分かかるからです。しかし、タクシーが到着する16時まであと46分です。

そういうわけで、私は内山峠までの下山を開始しましたが、走れるところは走って急いで降りていきました。とは言っても、どうしても間に合わなければ電話で遅れる旨を伝えれば良いのですがね。山の中でも携帯の使用は可能で、行きのタクシーを降りる際にもらった、平和タクシーというところの電話番号も分かっていたので。

それでも、間に合いそうな感じはしたので、あえて電話はしないで急いで下山することにしました。途中で、艫岩にいたアベックに追いつきました。二人は私が速いことに驚いていましたが、急いでいた私はそのアベックを追い抜かしてとにかく急ぎました。下山なので、比較的楽に進みました。



タクシー内での会話(その2)

そして、15時54分、遂に内山峠に到着しました。タクシーは既に止まっており、私はすぐに乗せてもらいました。タクシーの運転手さんは行きとは別の人で、少し若い人でした。とは言っても、50歳くらいの年配の方ではありましたが。

ただ、この運転手さんですが、とにかく饒舌な人でしたね。私はかなり疲労であまりしゃべると少し苦しくなるので、それほど話しませんでしたが、運転手さんの方がやたら色々と話していました。

それで、話の内容は1985年8月12日(月曜日)に発生した日本航空123便の墜落事故がメインとなりました。というのは、実は下仁田駅は鉄道駅としてはこの事故の現場から最も近い駅とのことだからです。実際に、この運転手さんも過去にマスコミ関係者を下仁田駅から事故現場の御巣鷹山の麓の方まで乗せたことがあるようです(Wikipediaによると、実際の事故現場は御巣鷹山から少しずれているらしいですが)。

そして、タクシーの運転手さんも一緒に事故現場に行ったことがあるそうですが、犠牲者の写真が多く貼られた小屋の中などを見た時には涙が出そうになったそうです。身内に犠牲者がいない自分でさえそういう気持ちになったのだから、遺族の方々は本当にやりきれない思いでしょうね、といったことを話していました。

また、事故直後の現場に実際に行ったことのあるマスコミ関係者の人を乗せたこともあるそうですが、その関係者によると、とにかく飛行機の残骸や遺体の損傷が凄まじく、直視しがたいほどの惨状だったそうだとも言っていました。

ちなみに、私はこの話を非常に興味深く聞いていました。というのは、私も123便の事故にはいくらか関心があり、これまでも書籍やテレビなどでこの事故についてあれこれ情報を仕入れていたからです。イギリスに来てからも、英語力を上げるという目的も兼ねて、You Tubeの以下の動画を観賞したりもしました。アメリカのナショナルジオグラフィックチャンネル(Ntional Geographic Channel)が制作した123便事故のドキュメンタリーです。


http://www.youtube.com/watch?v=BbsIcq29rV4
http://www.youtube.com/watch?v=Z9dVwxHpfZE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=G0bvH12vlyY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=g5rK5XNPxrY&feature=related


さて、タクシーが下仁田駅にだんだん近づいきた時、話題は荒船山の方に移ります。クレヨンしんちゃんの作者が亡くなってしまいましたね、という事を運転手さんは行きの人と同じように語っていましたが、その直後に私は「分析録」の記事で書いた、恐るべき話を聞かされました。以下、太字部分は登山の当日に書いた「分析録」の記事からの引用です。


実は、臼井先生が荒船山で亡くなられた後、同じ場所で2、3人の方が転落死していたというのです。ちなみに、荒船山は臼井先生が亡くなられるまでは、少なくとも公的には遭難死した人がいない安全な山とされていました。

ところが、臼井先生の事故の後に相次いで死亡事故が起こり、そのうちの一人は自宅に書き置きを残していたというのです。驚くことにその書き置きの内容が、自分はクレヨンしんちゃんの大ファンだったので臼井先生の後を追って同じ場所で死にます、というものだったそうです。

そのため、死亡事故が相次いで起こった時は警察の方もかなりピリピリしていたんだそうです。臼井先生は著名人なのでニュースでも大きく取り上げられましたが、その後の方々は一般人なので大きなニュースにならなかったため、地元の人々以外ではあまり知られていないんだそうです。

そういうわけで、前述した立札は、実は臼井先生だけでなく、他の死亡事故も含めたうえでの警告だったわけです。

それにしても、臼井先生の後を追って自殺とは。その話をしてくれた運転手さんは、よっぽどクレヨンしんちゃんがすきだったんでしょうねぇと言っていました。ファンと鑑と言えるのかどうか・・・。



以上が引用です。運転手さんによると、艫岩の絶壁の下も昔は登山道が存在していたそうですが、今は整備されておらず、進むのにかなり難しいそうです。臼井先生の遺体は男性客によって絶壁の下で発見されたそうですが、よくそんなところまで行って、臼井先生の遺体を発見することができたものだと思います。

16時25分頃、下仁田駅に到着して、7000円強という高い金を払ってタクシーを降りました。かなり高くついてしまいましたが、貴重な情報を得た代金だとも思っています。



帰路

下仁田駅の時刻表を見ると、16時45分に電車が発車するそうなので、とりあえず自動販売機で飲み物を買い、改札に入ろうとしました。しかし、駅員に止められました。待合室で待っていてくれ、時間になったら呼ぶからとのことでした。そういうわけで、私は地元の高校生らしきアベックと一緒に待ちました。
しかし、電車は予定より少し遅れており、50分頃になって改札に入りました。その後、電車は数分ほどしてから発車しました。

帰りの電車は行きと違って、駅で停車するたびに人が乗ってきて、かなりの人が乗っていました。それでもわずかに空席はありましたが。

17時45分頃に高崎駅に到着しました。行き1時間かかったのに、帰りは若干早く到着しました。まあ、もともと遅れていましたからね。

さて、ここで「おや?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私、荒船山では何も食べていませんでした。飲み物は飲んでいましたが、食欲が湧かなかったので、朝食を自宅でとってからは、何も食べていませんでした。

そういうわけで、高崎駅に着く頃には空腹の状態になっており、高崎駅の名物「だるま弁当」しました。それを、高崎駅のホームのベンチで食べることにしました。

その後、私はホームに入ってきた湘南新宿ライン快速の国府津行きに乗りましたが、大宮駅の手前の宮原駅で停止してから、全く動かなくなりました。というのは、池袋か新宿で事故か何かが発生し、それで運転を見合わせているとのことで。しかし、上野行きには影響がなかったので、普通に運転されていまして、私は宮原駅のホームに出て、そちらに乗り換えようかと考えましたが、あえてとどまることにしました。(行きと違って)少し遅くなっても良いと思っていたので。しかし、いくら待っても電車が動く気配がないので、私は結局上野行きに乗り換えることにしました。

こうして、19時35分に大宮駅に到着する予定が、20時近くになってしまいました。その後は、順調に自宅へ到着できました。臼井先生も、あの9月11日、私のように自宅へ到着できればと思うと、やりきれない気持ちでありますが。

イギリスに再渡航する直前に、こうして荒船山に登って、今まで私の人生を楽しませてくれた臼井先生の慰霊ができて良かったと思っています。事故当時は新興宗教に入信していたとかどうかという報道もありましたが、私にとっては人生を豊かにしてくれた恩人でありますので。

次はいつ荒船山に登れるかは分かりませんが、機会があれば、できれば命日の9月11日に登れればと思っています。





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