変わりゆくクレヨンしんちゃん2


41〜43巻





単行本にして40巻を越えたクレしんは、2005年には連載15周年という節目を迎えることになります。そして、このような記念すべき時期を迎えても、クレしんは常に変わり続けていると言えます。

40巻頃までは、感動や教訓を前面に押し出した話が散見されましたが、41巻以降になると、それが段々と弱まっていく傾向を示しています。
例えば、41巻の最初に、時を止める砂時計の話が収録されています。

このような、単行本の冒頭のカラーページに非日常の話が収録されているのは、最近のものでは39巻の「空飛ぶフートン」があります。砂時計を止める話では、最後の方でお婆さんを救うという展開であり、これは空飛ぶフートンがマサオ君を、また34巻の「不思議な軍手」という話の中で、お爺さんを救うのと同じです。

しかし、39巻と34巻の話では、ラストには何のギャグのオチもありません。これに対し、41巻の話ではラストのコマに「帰宅後 やっぱりおしおきされたしんのすけであった」という注釈があり、話を感動や教訓で締めくくっているわけではない事を示しています。

また、それは同じ41巻での鬼瓦親方と白猪天子のデートの話からも、同様に傾向が見られます。34巻の時のデートの話では、親方は天子に嫌われ、その次の話の最後で、仲が修復された事が描かれています。このような、一旦嫌われ、その仲が修復されるという大きな波のある展開から、一種の感動を呼び寄せる効果をもたらしていると言えます。

これに対し、41巻では、特に喧嘩はありませんが、代わりに親方は肩を脱臼し、そのおかげで天子の手を握れたというポジティブとネガティブの両出来事が同時に描かれています。これは、単に感動や教訓の押し付けの類以上に、内容に大きな深みをもたらしていると言えます。

しかし、これらはあくまでも、そのような兆しを見せたという事だけであって、感動や教訓を前面に押し出す作品が無くなったわけではありません。

例えば、同じ41巻の中で、シロが千住平八というお爺さんのところへ引き取られてしまい、しんちゃんは元気を失くしますが、シロが帰ってきた時、うれしさで泣くという話が該当します。また、よしなが先生の夫婦、つまり純一とみどりが子育ての事で喧嘩をし、最後は仲直りする話し、スーザンが近所と上手くいかなかったのが、たかりを追い出した事で、近所の住人と上手く行くようになる話などもそうだと言えます。

さて、単行本の41巻から42巻にかけて、椎造先生の話が大詰めを迎えてきます。当初は暑苦しいという理由から、園児達から嫌われていた椎造先生ですが、その情熱が園児達にも伝わるようになり、40巻ではクラス対抗のサッカー大会を通じて、男子と打ち解けていきます。

そして、41巻では「プチ ファイヤー」なるものの提唱で、女子とも打ち解けるようになります。しかし、女子の中でもネネちゃんだけが、頑なに椎造先生に対して心を閉ざし、遂には幼稚園まで休んでしまいます。

しかし、椎造先生が、自身が苦手としていたウサギを克服する姿を見て、逆に惹かれるようになります。そして、40巻のサッカー大会とは違い、42巻の大なわとび大会ではひまわり組が優勝します。しかし、優勝して喜ぶのも束の間、この直後には椎造の転任に悲しむことになります。

そして、園児達は椎造先生を辞めさせないために、職員室に立てこもります。この時、大なわとびで負けたばら組までもが椎造先生を止めるのに協力しています。ばら組の河村君は、協力するのは面白いからだと言っているものの、ひまわり組の情熱がばら組にも伝わったと言えます。

遂には先生達も皆(園長先生を含め)、椎造先生が辞めることに反対の意思表示をすることになりますが、現実ではどうしようもないという事を園児達は認識し、立てこもりをやめます。この立てこもる園児達の姿を見て、副園長先生は自分たちで考え主張するなんてすばらしいと、彼らの行動を高く評価していますが、その後園児達が自ら現実を認識し、立てこもりをやめるのも、潔さという点で立派な行為であり、彼らはこういった出来事を経て、大きく成長したとも言えます。

つまり、39巻から42巻にかけての椎造先生の話は、園児達(特にネネちゃん)の成長の記録とも言え、かつての武蔵野剣太としんちゃんの剣道シリーズと同類のものです。このような話が繰り返されるのは、クレしんは変わり続ける一方、変化を見せていない側面も存在するのだと考えられます。

これとは似た展開のもので、42巻に収録されているオマタの結婚の話があります。(にがりやと汚田と役津栗優以外の)またずれ荘の住人とかつてそこに住んでいた野原一家は、彼の結婚式のためにモロダシ共和国へ招かれます。

しかし、この話では、オマタとしんちゃんが結婚式の前日に誘拐される事態に陥ります。 そして、この誘拐事件はモロダシ共和国のクーデターへとつながっていき、政府内部での裏切りもあり、人間関係の複雑さやストーリーの緻密さから言うと、またずれ荘でのにがりやと汚田の事件と似ています。

つまり、このクーデターの話も、クレしんが変化を見せていない側面であると言えるのです。ただ、この話は一国の運命が左右されるほど規模の大きなもので、これほどのものは劇場版としても使用可能なテーマであり、まさに非日常化の極みを行くものであると言えます。

さて、日常の話での非日常化が極地を迎える一方、同じ42巻に収録されている「埼玉紅さそり隊物語 不良の涙」は非日常のカテゴリーの中に収録されているにもかかわらず、その内容は日常の話と全く変わりがありません。なぜ、この話が非日常として扱われているのかは非常に不思議で、こちらはまさに非日常の話における日常化の極みであると言えます。

ただし、単行本の43巻になると、このような日常と非日常の混同化の傾向は無くなり、日常の話において、(モロダシ共和国のクーデターのような)過激な話は影を潜めるようになります。また、非日常の話も日常の設定からは完全に切り離され、非日常の話が登場し始めた頃(12巻から登場している)に回帰しているかのようにも見えます。

ただし、初期の非日常の話は、一寸法師やシンデレラなど、おとぎ話を題材にしたものが多く見られましたが、43巻に収録されているものは、「ロード・オブ・ザ・リング」と「オペラ座の怪人」が元ネタとなっている話であり、これは明らかに原作者の趣味に則ったものであると言えます。

そして、「ロード・オブ・ザ・リング」を元にした話(「ロード オブ ザ イカリング」)は、第一部のみが43巻に収録され、第二部へと続く形となっており、「オペラ座の怪人」を元にした話(「ノハラ座のゴースト」)も前編と後編に分かれており、より徹底して趣味に走ろうという意欲が垣間見られます。さて、原作者の趣味や嗜好と言えば、キャラクターの台詞にも表れています。

39巻で椎造先生が「ロード・オブ・ザ・リング パート3」の感想をしんちゃんに訊かれ、答える場面があり、また42巻ではしんちゃんが「ダークエンジェル」の、43巻ではナナコ(「ノハラ座のゴースト」の登場人物)が「アレキサンダー」の感想をさりげなく言う場面があります。これらは、明らかに原作者自身の感想をキャラクターに代弁させたものであり、作品に自らの趣味や嗜好を見せていることが分かります。

このような趣味の表れは、41巻の韓国旅行(「夏のトダナ」ロケ地巡り)や43巻の美少女七楽棒など、より露骨な形となっているものもあります。
さて、非日常の話では、ここまで露骨に走ってはいないものの、やはりどこかマニアックな雰囲気のある作品が見られます。

41巻に収録されている「アクション仮面MUSUME」は、しんちゃんはただテレビを観ているだけで、内容のほとんどはテレビ番組の内容という構成になっています。これは、初期のテレビアニメ版にしばしば見られたスタイルのもの、つまりしんちゃんはただアクション仮面やカンタムロボなどのテレビ番組を観ているだけで、メインの内容はテレビ番組の内容という話(例えば「無敵のカンタムロボだゾ」(1993年9月27日放送)や「アクション仮面パワーアップだゾ」(1995年9月25日放送)など)と同じです。つまり、初期のテレビアニメ版でなされていた形式を、なぜか今頃になって原作に取り入れているのです。

さて、「アクション仮面MUSUME」に登場する郷さん(郷太郎という下の名前は言及されず)は、外見がテレビアニメ版とは異なっており、また敵の組織もジミテロ団というもので、テレビアニメ版で登場した組織(ブラックメケメケ団、スズメの涙など)とは異なるものです。

これは、かつてテレビアニメ版で使用されていた形式の話を、新しく原作で復活させようとしているのだと思われます。そして、このような手法は、これまで原作には登場していなかったものであり、原作に新たな要素を取り入れるということにもなります。

また、非日常の話には、ぶりぶりざえもんの話にも変化が見られます。32巻の「オオアライの人魚伝説」では、ぶりぶりざえもんは、「人を愛するとはどーゆーことか」を教えてもらった事を報酬とし、それに対して特に不満を持っていないとまたずれ荘にてで書きましたが、これは、テレビアニメでぶりぶりざえもんを演じてきた塩沢兼人氏に対する哀悼の意を表しているという解釈が出来ます。そして、39巻の「眠れる美のアドバイザー」からは、再び元の性格に戻り始める兆しが表われているものの、ラストに法外な報酬を要求する姿は見られません。

さて、42巻では、ぶりぶりざえもんはお礼として上戸彩がCMで着ていたパンダの着ぐるみをもらい、それを着て喜んでいます(実は上戸彩のものではなく騙されているのだが)。つまり、法外な救い料を要求するという姿はもはや過去の姿となり、別のキャラクターとしての道を歩み始めているわけです。

そして、このようなキャラクターの変化は、日常の話においては43巻から大きな変化を見せるようになります。まず、みさえの妹のむさえが再登場していますが、仕事をやめ、アパートを追い出され、何の希望も持てない状況で野原家に上がりこむことになります。35巻の初登場時、最後にむさえは「ガンバるぞ!!」と希望を抱いていましたが、43巻ではそれが失われています。そして、野原家に上がりこんだ後は、非常に堕落した生活を送り、35巻の時とは大きな変化を見せ、それはまるで「救いようのない姿」であると言えます。

また、ミッチーとヨシリンにも変化が表われており、今まではこの二人が野原一家に絡む時、一方的に迷惑をかける存在でした。しかし、ひろしと同じ会社の営業部になったヨシリンは、自分の事で世話をかけたひろしに頭を下げて、礼をする場面が描かれています。これは、今までのヨシリンにはあり得なかった事だと言えます。

さらに、同じ43巻の中で、ヨシリンがアダルトDVDを隠していた事が、ひまわりによってミッチーにばれる話もあります。これまで、二人は些細な事で喧嘩をしたのは何度かあっても、ヨシリンがミッチー以外の女性に関心を持つというのもあり得なかった事です。当然、ヨシリンはミッチーに(グーで)殴られます。

この話の冒頭では、二人はそろそろ赤ちゃんが欲しいと言っていますが、もし二人が子供を持つようになれば、野原一家のような家族へと変化していき、アダルトDVDの話は、その前兆であると解釈する事も可能となってきます(なお、このミッチーとヨシリンの話は「ひまわりパワー 大爆発!!編」の中のもので、この同じサブタイトルの中に収録されている話の中に、ひまわりがひろしのパソコンをいじり、アダルトサイトにつながってしまい、それを見たみさえがひろしを殴る話があるが、これもまたその前兆を示していると言える)。

このような、話やキャラクターに変化がなされ、それはさらに進んでいくと予想されるクレしんは、ますます目が離せない展開となっていると言えるわけです。



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