オールナイトレポート9
(クレしん映画かく語りき・特別完結編)



INHALTSVERZEICHNIS


上映スケジュール

鑑賞前

トークショー

イデアとしてのノスタルジー

いかなる存在であるべきか

第15作目

鑑賞後






映画15周年記念
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ ドキッ!
オトナだらけの映画大会2007

「クレヨンしんちゃん」映画15周年記念,
4月21日公開の最新作「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」,
旧作2本を含めた計3本を特別上映。
恒例となった“オトナだらけの映画大会”を
TOHOシネマズ六本木ヒルズで今年も開催!

クレヨンフレンズ from AKB48がゲストとして登場することが緊急決定!

実施日時 4月27日(金)23:00〜

上映内容
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」

ゲスト:クレヨンフレンズ from AKB48 【予定】

料金:¥3,000





鑑賞前

2007年4月27日,TOHOシネマズ六本木ヒルズにて,「クレヨンしんちゃん」映画15周年記念という事で,「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ ドキッ!オトナだらけの映画大会2007」という,オールナイトが開催される事となりました。

実は,私はこのオールナイトが開催される事は,TOHOシネマズやクレしん映画の公式サイトに乗る以前から知っていました。4月19日,「ケツだけ爆弾」の公開も近いその日,私は大学の帰りに,テレビ朝日のスタジオショップに久々に立ち寄り,どんなクレしんグッズが売っているのか,様子を見てきました。

しかし,相変わらず大したものは売られていなかったため,私は帰ることにしましたが,すぐ近くにあったTOHOシネマズ六本木ヒルズに,ふらりと寄ってみました。すると,このオールナイトの告知が出されていたのです。この時点では,チケットはまだ発売開始ではありませんでしたが,私は行こうかどうか悩みました。

なぜなら,そのオールナイトの翌日,私は大学に用事があったため,オールナイトが終わったら直接行かなければならず,それは体力的に少々きつかったからです。また,さらにその日(28日)の夜は,大阪での映画オフ会のために,寝台列車で大阪へ行くことになっていたので,こういうイベントに参加すると,大阪オフ会でもまあ体力は十分もつ自身はありますが,あまりコンディションが良くないのはいかがなものかと思ったからです。

しかし,クレしんのオールナイトは,これが最後かもしれないと思ったので,せっかくだから行こうということになり,私は後日チケットを購入しました。席は指定で,私が選んだのはJ-14です。しかし,いざオールナイトでは,左隣のJ-13を買っておくべきだったと後悔することになりますが,まあそれは後ほど。

さて,4月27日の金曜日,その日のクレヨンしんちゃん「ぼく野原シロのすけです(1〜4)」を観てはシロのすけの可愛さに悶絶し,「映画をいっぱい見せちゃうゾ」ではこんなに見せていいのかよと思い,鑑賞は終わりました。

その後,私は21時過ぎに家を出て,秋葉原から日比谷線で六本木へ向かいました。この日比谷線が八丁堀駅で停まると,ディズニーランドの帰りの大の男4人が乗ってきました。何でディズニーランドの帰りか分かったかというと,4人ともディズニーのグッズを大量に持っていたからです。そのうちの一人の相当なイケメンの男性は,顔に似合わずミニーちゃんの帽子をかぶっておりました。よくもまあ,ああいう格好を堂々としていられるもんだと思いましたが,私もあまり人の事は言えなかったりして。

六本木駅には22時32分頃到着し,22時40分頃にTOHOシネマズ六本木ヒルズ入りしました。すると中は非常に多くの人でごった返していましたね。今までここでのオールナイトで,こんなに人が多かったのは初めてです。ちなみに,私はここでの試写会の時に持っていた,「踊れアミーゴ」公開時に買ったシロのぬいぐるみをぶら下げており,少々注目されていましたね。

22時45分頃,いよいよ入場開始という事で,私は入場しました。今回のオールナイトが開催される劇場は,SCREENAです。ここは,この映画館では2番目に大きい劇場で,座席数は369(+車椅子様子ペースが2)席,スクリーンサイズは縦5.5メートル横13.1m です。

で,驚いたのはそれだけの規模の劇場で,8〜9割ほどの席が埋まっていたのです。なぜ,こんなに多くの観客が入ったのでしょうかね。私は,以下のような予測をします。

@クレヨンしんちゃんの映画が15周年という節目だから。
Aトークショーがある,ゲストにAKB48が来るから。
B「オトナ帝国」と「戦国大合戦」が公開されるから。

何はともあれ,クレしんに多くのお客さんが入ってくれているのは嬉しい事ですね。

さて,上映時間ですが,以下の表は,私の腕時計の時間からメモを取ったものから作成したものです。


トークショー 23:00〜23:24

「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」 23:28〜0:57

「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」 1:15〜2:48

「嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」 3:07〜4:49


22時50分過ぎ,まだ開始時間でないのに,突然場内は暗くなり,別の映画の予告が流れました。そして,またすぐに明るくなりました。この時58分頃でした。





トークショー

23時,いよいよトークショーの開始ですが,例によって(?)まずは場内撮影禁止の注意です。

そして,いよいよトークショーが開始されましたが,私の感じでは,トークショーというより舞台挨拶でしたね。まず,司会役を務める,テレビ朝日の田畑祐一アナウンサー(46歳)が登場しました。田畑アナは,このTOHOシネマズ六本木ヒルズでのオールナイトは毎年恒例と言いつつも,去年から開始したばかりとも言っていましたね。

そして,AKB48の登場です。登場したメンバーは,有楽町での初日舞台挨拶でも同じメンバーだったと思います。つまり,

「ひなげし歌劇団員くらら」役の折井あゆみさん,
「ひなげし歌劇団員さらら」役の大島麻衣さん,
「空港の歌劇団員」役の今井優さん,
「UNTI新人女性隊員」役の浦野一美さん,
「UNTI先輩女性隊員」役の野呂佳代さん

の計5名です。つまり,実際に声を当てられた方全員というわけです。

ここでは,有楽町での初日舞台挨拶のように,“炎上”することはありませんでした・つまり,「あゆみさ〜ん,好きなんです」を掲げた男性もいませんでした。もちろん,声援はありましたから,まあちょっと火が付いたって感じですかね。「プチ ファイヤー ポ」です。

トークショーでは,今井優さんだったと思いますが,2度3度観て下さいというよな事を言っていました。この時,私は既に7回観ていたのですがね(笑)。それで,今井さんは,まいまい(大島麻衣さん)は「鷹の爪」が好きで,マニアなんだというような事も話していましたね。「鷹の爪」って何かだって?まあ,後述する事にします。

そういえば,2年前のオールナイトでは,しんちゃんが会場にやってくるという事がありましたが,このオールナイトではそういう事はありませんでした。まあ,しんちゃんは5歳ですし,春日部のおうちで寝ているのでしょうね。と,いう話も,司会か誰かが話していました。

ここで,しんちゃんと「鷹の爪」のコラボ映像を流すという事になりました。鷹の爪秘密結社 鷹の爪というのは,そういうアニメのタイトルなのです。

で,ここで今年の3月17日に公開された,劇場版秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE〜総統は二度死ぬ〜の特報か予告だったと思いますが,そのしんちゃんとのコラボ映像が制作されていたのですね。というのは,鷹の爪団の総統は,実はしんちゃんファンだったというのです。

なんと,この映像は全くの非公開で,このオールナイトのみ公開する事になったという,非常にレアなものなのです。まさに,ここだけの映像というわけで,私は「鷹の爪」は全く聞いたことがありませんでしたが,そこまでレアならしっかりと凝視する事にしました。

AKBも田畑アナも一旦スクリーン前から離れ,劇場内は暗くなり,いよいよたった一度だけの公開となりました。映像の内容は,「総統は2度死ぬ」の予告編を装った感じで,そこで総統がケツだけ星人などをやったりするシーンがありました。しかしまあ,AKBのメンバーもこの後言っていましたが,大の大人のケツだけ星人は気持ち悪いですね,やはり。

上映終了後,23時19分,AKB48による抽選会が行われました。これは,AKB48のメンバーがクジを引いて,そのクジに書かれた座席のお客さんは,スクリーン前まで来て,AKB48のメンバーから,キャラメル味のポップコーンが手渡しでプレゼントされるという企画です。クジは計5回引かれます。つまり,5人の幸運なお客さんが出てくるわけです。

まず,クジを引いて出てきた数字は,H-18でした。そこに座っていたのはメガネをかけた男性で,既にポップコーンを持っていましたね。まあ,もちろん受け取っていましたが。この男性は,隣に女性を連れていました。

2番目のクジに書かれていた数字は,J-9でした。これは,女性でしたね。どんな女性だったかは,よく覚えていませんが・・・。

3番目は,J-13です。どこかで見た番号だと思いませんか。そう,J-14に座っていた私の左隣に座っていた,男性だったのです!この時,私がチケットを買う時14ではなく13を選べばよかったと大いに後悔した事は,言うまでもありません。

メガネをかけた長髪のこの男性は,ポップコーンを受け取って席に戻ってきた時,左隣(J-12)に座っていた,付き添いの男性から,「奇跡のキャラメルじゃん」と言われていました。

4番目は,K-13です。何か,13が連続で続いていますね。しかも,この日は金曜日だったのですよね・・・。まあ,それは措いといて(このオールナイトでは,別に何事もありませんでしたし),この席にはメガネをかけた男性が座っていました。

5番目,つまり最後の座席は,C-9です。ここに座っていたのも,メガネをかけていた男性でした。何か,メガネをかけている男性ばかりが当たっていましたね。やはり,AKBが来るというので,ヲタクというか,そっち系の人が多くかけつけたのでしょうか。まあ,私もメガネをかけていますが。

この抽選会で選ばれた座席番号と,その席に座っていた人をまとめると以下のようになります。

H-18 (男性)
J-9 (女性)
J-13 (男性)
K-13 (男性)
C-9 (男性)

抽選会が終了した23時24分,トークショーは,終了し,AKB48も田畑アナも退場,数分の休憩を挟んで,「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」が上映されることとなりました。





イデアとしてのノスタルジー

23時28分,「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」の上映が開始されました。

今年の2月にはスペインでも公開されたこの作品,私は今まで散々感想を書いてきたので,ここではこの映画で気付いた事などを書いてみようかと思います。

子供達の間では分かりませんが,少なくとも大人達の間では,最も人気の高い作品である事は間違いないでしょう。

なぜそこまで人気が高いのでしょうか。まず,感動作というのが挙げられますが,感動作なら,後述する「戦国大合戦」,他にも「ブタのヒヅメ」や「カスカベボーイズ」,そして今年公開の「ケツだけ爆弾」もその部類に入るはずです。何が,これらの作品と「オトナ帝国」は違うのでしょうか。

この事について,私は取り上げられたテーマが大きいのだと思います。それは,「ノスタルジー」というもので,先行き不安な未来から逃れ,過去の懐かしい思い出という居心地の良い世界へ逃避する。そして,もう一度自分の成長の軌跡を見直し,たとえそれが理想でなくても,我々は未来へ生きていかねばならないんだという事を,この作品は訴えているのですね。

それで,こういったノスタルジーや,過去から現在への軌跡,そして未来へ向かう家族としての野原一家の姿が,映画編でもチラッと書きましたが,大人の観客に対してイデアとしての効果をもたらしているのだと言えます。

ここで言うイデアというのは,古代ギリシアの哲学者プラトンのイデア論の事ですが,どういう理論か分かりやすく言うと,以下のようになります。

まず,以下の写真は何に見えますか?もちろん花ですよね。電車じゃありませんよね。

花の写真です

では次に,下の絵は何に見えますか。相当へたくそな絵ですが,これも花ですよね。そう見えますよね?少なくとも,クレしんのDVDではありませんよね。

花の絵(?)です

上の写真と絵は,全く別物です。しかし,我々はなぜこれらを同じ「花」だと認識するのでしょうか。第一,写真の方の花は,確かに花を写し取ってはいますが,正確に言えば,これは花の一種に過ぎません。この世界には,無数の種類の花が存在します。

そもそも,「花」とは何なのでしょうかね。もちろん,学術的な定義はあるのでしょうが,完璧に定義に即した花というのは存在するのでしょうか。おそらくしないでしょう。

先ほどの問題に戻りますと,上の写真と絵を,我々はなぜ同じ花だと認識するのでしょうか。

この事についてプラトンは,「花という観念的なものが存在する」という主張をしました。
この観念的なものというのがイデアであり,そのイデアが存在する観念の世界がイデア界というところです。

人間は,この世に生まれる前にイデア界におり,そのイデア界で,花を含めあらゆるもののイデアを見ているのです。そして,この世に生まれた人間は,そのイデア界で見たものを忘れてはおらず,この世で花を見た時に,イデア界で見た「完璧な花」,つまり花のイデアを頭に思い浮かべて,上の写真の花も絵も花も,「花」だと認識する事が出来るのです。

つまり,そのイデア界に存在する観念的なもの,イデアこそが普遍的であり,本質的な存在であるというわけです。プラトンの考案したイデア論というのは,そういうものですが,なかなか凄い事を考えるものだと感心させられます。

さて,「オトナ帝国」に話を戻しますと,劇中では,大人達はイエスタデイ・ワンスモアの放つ「匂い」によって,子供に戻ってしまうわけです。それは,その「匂い」の「懐かしさ」に惹かれてしまっているからなのですが,よく考えると,大人全員と言うのは不思議ではありませんか?

そもそも,一言に「懐かしい」と言っても,何が懐かしいのかその具体的な内容は皆異なるわけです。例えば,ひろしは大阪万博やヒーローSUN(ウルトラマンのパロディ?),みさえは魔女っ子さゆり(サリーちゃんのパロディ?),幼稚園の女性の先生達はセーラームーンらしき美少女ヒーローです。

それに,ひろしは夕日町の街を「何だってこの町はこんなに懐かしいんだ!」と言っていますが,ひろしは秋田出身です。ああいう昔の東京の下町にあったような商店街の中で,ひろしが生まれ育ったとは思えません。ひろしがあの町を見て,懐かしいと思うのは変なのですね,普通に考えれば。

つまり,ここにこの作品の凄さがあるのです。私は映画編で,「温泉わくわく」には大人の観客を惹きつけるだけの普遍性は無かったが,「オトナ帝国」にはその普遍性があると書いていますが,その普遍性こそが「懐かしさ」のイデアにつながると思うのです。

この作品で描かれるノスタルジー,懐かしさ,それは大阪万博や夕日町の町並みが中心に描かれ,その派生として,みさえの魔女っ子さゆりや幼稚園の先生達の美少女ヒーローがあります。つまり,大阪万博一辺倒,夕日町一辺倒というわけではないのです。

この作品は,確かに大阪万博や夕日町をかなり重点的に描いていますが,それだけでは単に大阪万博を知る世代や下町生まれにしかウケず,普遍性は存在しなかったでしょう。そこで,映画公開時2001年,つまり21世紀最初の年を生きる大人達全員にウケる「何か」が必要だったわけです。その「何か」こそが,20世紀博だったわけです。

21世紀の最初の年である以上,大人達が過去を振り返る時,そこには必ず20世紀があるわけです。そこで,21世紀を現実の醜い世界,20世紀を過去の心地よい世界に分断する事で,あらゆる大人を懐かしい世界へ,つまり20世紀へ引きずり込むわけですが,そもそも時間そのものというのは皆共有しているものです。この作品が20世紀そのものを懐かしいとみなしたから,劇中のみならず現実の多くの大人の観客の共感が得られたわけです。

つまり,この21世紀における,「懐かしさ」のイデアとも言える20世紀を持ち出したことが,この作品が他の感動作と一線を画される最大の理由だと考えられるわけです。

さらに,もう一つのイデアが,ひろしの成長の記録です。「ケツだけ爆弾」の初日の舞台挨拶でも実感しましたが,ひろし(藤原啓治氏)の人気って,まあ本当に凄かったですね。あのひろしの人気は,おそらく「オトナ帝国」のこの靴の匂いによる回想シーンから急上昇したと思いますが,このシーンも,子供から大人へ成長していくまでの回想をを写し取った,つまりこれも,イデアとしての効果をもたらしているのだと思えるのですね。

人間が子供から大人へ成長する過程において,親の背中に寄りかかり,やがて成長していき,思春期の恋愛,社会人としての仲間入り,そして生涯の伴侶との出会いなどなど,多くの大人が体験してきたであろう,成長の軌跡がそこに描かれているわけです。

もっとも,大人達全てが,あのひろしと同じような成長を辿ったわけではないでしょう。しかし,いかにも子供が大人から成長する軌跡としての描かれ方が,ステレオタイプであるという点も窺えます。このステレオタイプさが,イデアとしての役割を果たしていると思えます。

ただ,子供から大人への成長,これが懐かしさに当たるのであれば,ひろしの成長の軌跡は大阪万博など,その懐かしさの「具体例」に当たると言えます。つまり,ひろしの子供から大人への成長の場合,それはあくまでも一例であって,必ずしもイデアとして機能するわけでもないと思われます。大阪万博を,必ずしも大人全員が懐かしがるわけではないです。

そこに,しんちゃんの役割が出てくるわけです。つまり,ひろしはそういった軌跡を息子のしんのすけによって辿ることになるわけですが,ここに家族愛という要素が登場するわけです。現在は独身である大人でも,かつて子供の頃には家族がいたわけで,その家族と共に過ごすという事を理解できるはずで,今も家族のいる大人はなおさらでしょう。そのような,家族の中に存在する愛によって,ひろしは子供から大人へと戻るのです。

さらに,なぜ大人達は懐かしさに惹かれ,なぜ自分達は大人で苦労しなければならないのか,その真の意味がここで明かされることとなるのです。大人はなぜ懐かしさに惹かれた,つまりなぜ子供の頃はあれほど心地が良かったのか,それは,彼らが子供の頃にいた大人達に守られていたからなのです。子供の頃に守られていたからこそ,彼らの子供の頃は,非常に心地が良いものとなった。今度は,その心地よさを自分達の子供に与えなければならない,なぜならそれが大人としての役割だからです。それを忘れていたからこそ,大人としてのつらい現実から目を背け,自分達が子供に戻ってしまっていたのです。

ひろしが子供から大人に成長する間,子供としての心地よさから,大人としての役割を果たすという役割を担うようになった,その過程をもう一度思い返すことで,ひろしは大人に戻ったわけです。つまり,家族があろうとなかろうと,そもそも大人とは子供を守り,彼らに未来への道しるべを作っていかなければならないという点で,ここでも全ての大人に通じるという点で,イデアを描いていると言えるわけです。さらに,そこへ家族愛に対するイデアも描いているとも思われます。こういった点で,名シーンとしての非常に高い評価を受けたのだと言えます。

そして,一旦はそのような未来から目を背けてしまった大人達は,再び絶望の,しかし未来へ向かって希望を見出していく決意をするわけです。それは,希望を求めるという点で,一旦過去へ向かう事と同じであり,それを促すのが夕日であると言えます。

「オトナ帝国」のラストシーンは,人々が夕日の中で,春日部に戻るシーンであり,つまり未来へ向かっていくわけです。また,ケンとチャコが最後にどこかへ行くシーン,つまり彼らも未来へ生きようと実行を果たした時,そこにあるのは夕日なのです。そう,ケンが言っていた「夕日は人を振り返らせる」は,まさに未来へ生きていくことに対する伏線でもあったわけです。

そういえば,上映中,ところどころですすり泣く声や,涙を拭くしぐさが見受けられましたね。

0時57分,映画が終了しました。この次の上映まで時間があったので,私はロビーをふらついていたり,売店でクッキーを買って,その次の上映中にボリボリ食べていました。まあ,前半部分で全部食べてしまいましたが。

1時15分,その次の上映作品「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」が始まりました。





いかなる存在であるべきか

「戦国大合戦」は,クレしん映画の中でもおそらく唯一,複数の様々な賞,それも中には文化庁という政府のお墨付きの賞までもらってしまった,日本政府もある意味トンデモない事をやってくれるもんだと実感させられた作品です。そういう点で,劇しんの中でおそらく社会的な評価を最も高く受けた作品である事は間違いないでしょう。

なぜ,この作品が最も高い評価を受けたのか,私が思うに,クレヨンしんちゃん色とでも言うべきでしょうか,クレヨンしんちゃんの雰囲気を最も排した作品だからという理由が大きいと思います。映画編の方でも書いていますが,「しんちゃんは泣かない」という原則を根底から崩壊させてしまった事からも,この作品は劇しん史上最大の異色作になってしまったのです。

しかし,異色と言うのは,あくまでも劇しん,クレしんから見た場合であって,そもそもクレしんは際物という印象が世間に今も浸透しているという状況でにおいては,世間一般から見ると,そのような異色作こそが世間から見ると,最も際物から遠ざかった,一般的な良作という認識があったのだと思われます。

さて,この「戦国大合戦」は時代劇で,時代考証の正確さが大きな評判を呼びました。おそらく,本作品の評価を高めた一要素である事は間違いないでしょう。

素人の私が見ても,非常にリアルな作風だと思います。例えば,この作品に登場する,井尻又兵衛由俊(いじりまたべえよしとし)ですが,この人物の苗字は「井尻」であり,名前は「由俊」だと思われます。それでは,「又兵衛」は何かというと,これは通称です。

当時の日本では,他人を実名で呼ぶことは大変失礼な事とされていたのです。それは,目上の人間に対してはもちろんのこと,たとえ同等か目下の人間であっても,それはタブーとされていた事です。

そこで,人を呼ぶ時に使ったのが,通称というものです。当時の身分の低い人や子供は,実名そのものが存在しませんでしたが,この通称自体は誰でも持っているものです。例えば,木下藤吉郎秀吉の場合は藤吉郎が通称です。ここから,又兵衛というのは通称であり,実名ではない事が分かります。決して,ヨーロッパのようなミドルネームではないのです。

劇中でも,廉姫や康綱も「又兵衛」と呼んでいるため,これが通称である事が分かります。また,前述した子供の通称というのが,幼名になるのです。「オオマサ」,「かずま」,「ねね」,「ぼうしち」,全て幼名です。今のように風間トオルなどという本名など存在しなかったわけです。

そこから,おそらく「廉」や「吉乃」も本名ではないでしょう。なお,女性の場合は名前が分からんというのは珍しい事ではなく,例えば平安時代の紫式部も清少納言も,本名は何だったのかは分かっていません。ただ,紫式部は「香子(こうこ)」というのが本名ではないかとも言われていますが。さらに,春日家の家系図があれば,廉姫の箇所は単に「春日康綱の女(むすめ)」としか書かれていないはずです。まあ,女性の名前は男性以上に不明な点が多いわけで。なお,「源氏物語」の登場人物名も,ほとんどが後世の学者が便宜上付けたものです。原文には,階級や肩書きなどでしか書かれていないため。

さて,時代考証の正確さが評判を呼んだ戦国大合戦ですが,私に言わせれば,時代考証が多少いい加減でも,その作品の評価を貶める事にはならないと言えます。例えば,イギリスのシェイクスピア(1564〜1616)は時代考証に関してはいい加減です。

彼の代表作「リア王」は、紀元前8世紀のイギリスが舞台ですが,なぜか(それより後の時代の)紀元後6世紀(アーサー王の時代)のマーリンという預言者への言及があったり,また「マクベス」には、登場人物のスコットランド王ダンカンが,自分の王位継承者として長男のマルカムを指名する場面がありますが,「マクベス」の舞台である11世紀当時のスコットランドに長子相続制度はありません。

なお,作家の瀬戸内寂聴さんは,自分が行ったこともないようなところを舞台にするような作家は信用できないというような事を,著書の中で書いています。それじゃあ,瀬戸内さんはシェイクスピアを信用できない,駄作だと評価するつもりなのでしょうかね。というのは,シェイクスピアは,「ハムレット」(デンマーク)や「ベニスの商人」(イタリア)など,あちこちの国を舞台にした作品を書いていますが,彼自身は生涯に一度もイングランドから出た事がなかったからです。閑話休題。

他にも,ドイツのシラー(1759〜1805)も似たような誤りをやっています。彼の「ヴァレンシュタイン」という作品の中に避雷針への言及がありますが,これも時代考証的には誤りです(1634年2月が物語の時代ですが,避雷針の発明は18世紀)。

というわけで,優れた作品というものは,現実にはありえないようなミスを犯していても,それで咎められる事はないわけです。だからと言って,時代考証が正確であるのは無意味だと言うつもりは全くありませんが。

それでも,「戦国大合戦」にも不自然なシーンがいくつかあります。まず,登場人物の身長です。「クレヨンしんちゃん映画大全」(双葉社)にある,本作品の登場人物の対比表を見ると,又兵衛など戦国時代の男性キャラクターは,ひろし,つまり現代人と比べてみてかなり背が高い事が分かります。現代ならともかく,当時の日本人男性にしてはやけに大きいのですね。戦国時代は,平均身長は日本の歴史上でもかなり大きかったと言われていますが,それは縄文時代からの各時代と比較した話,やはり現代人よりは低かったと思われます。

ひろしの正確な身長は不明ですが,現代でもひろしはそれほど低くもなければ高くもないようであることから,大体170センチほどだと思いますが,170センチ以上の男性が,当時からゴロゴロいたのは,妙な話です。

まあ,それは男性だからと言えば,納得がいくかもしれませんが,女性はさらに不自然です。廉姫の背はみさえよりもわずかに低いくらいですから(「母ちゃんの健康が心配だゾ」(2000年12月9日放送)によれば,みさえの身長は159.2cm),大体158センチほどだと思います。当時,160近くもあった女性はかなりの大柄ではないでしょうか。

吉乃に至っては,みさえとひろしの中間くらいで,165センチくらいに見えます。今でも,身長が165センチある女性はかなり背が高いと思いますが,当時としてはとんでもない大女だったのではないでしょうか。

まあ,そんな事を言ってしまえば,しんちゃんの身長は105.9センチ(単行本4巻より)ですから,対比表を見ればみさえやひろしは一体何メートルの巨人になるんだということになってしまいます。こういう身長の比率の問題は,そもそもテレビアニメにも存在するものです。もし,忠実な比率でキャラクターを描いたら,非常にキャラクターのバランスが悪く見えてしまうでしょう。例え現実にリアルなアニメであっても,時にはこのような配慮も必要となる事でしょう。

また,又兵衛がしんちゃんに「男が好きなの?」と言われ,慌てるシーンが出てきますが,この又兵衛のリアクションも,当時の時代考証からすると少々嘘をついたものだと思います。織田信長と森蘭丸の関係からもよく知られている通り,当時は男色が肯定的に見られており,少なくとも現代のような否定的なものは無かったからです。

ただ,この時又兵衛の反応が,いや,自分は少し変わっていて男の趣味は無いんだよな,あるいは,そうだ,戦場で兵達と一致団結するためにも,俺は男たちと睦み合うんだといった返答じゃあねぇ・・・。しんちゃんは相当引くだろうし,観客の印象も悪化するでしょう。

少なくとも,クレしんは子供向けアニメ,そこまでリアルにやる必要も無いのです。どんなにリアルさを追求しても,それが作品にマイナスの影響を及ぼすのであれば,時には時代考証を「捏造」する必要も出てくるわけです。何でもかんでも,リアルにやれば良いというわけではないのです。

さて,「戦国大合戦」は,春日という小国の行方を縦糸に,又兵衛と廉姫の心が開かれ,そこに展開される2人の悲恋を横糸として織りなされている事は,映画編でも書いたとおりですが,その横糸の部分の根底を成している,この作品の重要なテーマが,アイデンティティの模索,つまり自分はいかなる存在なのか,という事です。

戦国大合戦では,又兵衛は廉姫に好きであるという自分の気持ちを必死に押し殺していました。それは,当時の身分制度など,社会的な影響からです。しかし,しんちゃんに「身分が無かったらどうするの?」と突っ込まれ,やがて自分が廉姫が好きであるという自分の気持ちを自覚するようになります。

そして,廉姫も自分は又兵衛が好きなのだという気持ちを自覚することになります。泉のほとりで,又兵衛の胸に飛び込んだことからも,それは明白なわけです。

その後,又兵衛は野原一家の助けもあって,高虎との戦いに見事勝利しますが,その後,又兵衛はどこからか飛んできた銃弾によって撃ち殺されます。

又兵衛を撃った銃弾はどこから飛んできたのか,劇中には何も説明は無いため不明ですが,又兵衛の死は必然であったと言えます。それは,映画編の方にも書いていますが,さらに書きますと,又兵衛はここで廉姫を好きになった自分がいかなり存在なのか,そのアイデンティティを遂に見出すことになったと言えます。

それは,又兵衛が冒頭で岩月の人間に撃たれて死ぬはずだったのが,しんちゃんに救われた,それは又兵衛が廉姫らを守るためだったと,彼自身が死の直前に語っていますが,もし彼が冒頭で死んでいたら,自分の本当の気持ちを知ることは無かったのです。そして,それは廉姫も同様で,おそらく高虎かどこか,「顔も見たことの無い」男のところへ嫁ぎ,彼女も本当の自分の気持ちを知る事は無かったはずです。

しかし,しんちゃんが現れ,又兵衛も廉姫も自分の気持ちに気付く。そして,最後になって二人はいかなる存在であるべきなのかを,遂に見出すことになるのです。

もし,又兵衛が生きていても,社会的な身分から,二人が結ばれることは事実上不可能でしたし,一種の野合にもなりかねず,不健全極まりないわけです。そもそも,又兵衛も廉姫も,そこまで「低俗な」人物ではないはずです。

実際は,又兵衛は死に,廉姫はどこにも嫁に行かないと言いますが,これは裏を返すと,自分には又兵衛以外の相応しい男がいないということです。このような廉姫の気持ちをさらに解釈すると,自分は又兵衛が好きであるという気持ちに忠実に生きていくということで,社会的には結ばれなくても,精神的な側面では自分は又兵衛と結ばれたということです。

そして,死んだ後の又兵衛は雲となったと思われます。雲は,時代も場所も関係なく,常に現れるものです。雲となった又兵衛は,戦国時代の廉姫の前にも,現代の野原一家にも現れ,大空から常に彼ら,自分の愛した女性,自分と親しくなった仲間達を見守るという,彼の真のアイデンティティが本作品のラストで見出せると考えられるわけです。

そして,野原一家も廉姫も又兵衛が雲になった事を認識し,それぞれ又兵衛に対して自分なりの接し方をするのです。それがしんちゃんなら腰刀を掲げることであり,廉姫なら「おい,青空侍」と,劇中で最初に又兵衛に話しかけたときと同じことを話しかけるわけです。

廉姫は,自分が,又兵衛がいかなる存在であるべきかを見出し,その通りに生きていく決意をした後,ようやく平穏な日常が戻り,たとえこの世にいなくても,空を眺めれば出会える又兵衛とも,日常通りに話しかけるわけです。つまり,廉姫にとっての,この時の又兵衛は特別な存在でもなんでもなく,ただ自分の最も身近な人という自覚を持つようになったわけです。それは,自分達のアイデンティティを認識したからだとも言えるでしょう。

「戦国大合戦」は,しんちゃん達が戦国時代に迷い込んだ後も,そこでの日常の生活が営まれ,やがて戦という非日常を迎えることになります。そういう事から,本作品は日常→非日常→日常という従来の劇しんの構造を踏襲しているとは言え,非日常の中にも日常と非日常に分ける事が可能です。これは,非日常における日常の部分で,又兵衛や廉姫がいかなる存在であるのか,その心理的な描写が行われており,非日常における非日常で,各々のアイデンティティに向かって,一気に作品が動き出し,そしてラストはその各々のアイデンティティに位置に存在する事となるわけです。

劇しんには,このような作品的構造の,「戦国大合戦」と同類の作品が存在します。それが,「カスカベボーイズ」なのです。両作品とも,登場人物のアイデンティティの模索が主要なテーマで,その模索のために,非日常の中にも前半部分は日常として描かれているわけです。

2時48分,映画が終了しました。映画終了後,私の左隣の男性が付き添いの男性に「さすが質が高いすね」と言っており,また前の方の席で「誰が(又兵衛を)撃ったんだろ」という声が聞こえてきました。左隣の男性達はAKB48はもう帰っただろ,楽屋で寝てるんじゃないのかと言った話もしていました。さすが,手渡しでポップコーンを受け取ったことから,なかなか忘れられないのでしょう。

3時3分,少し場内が暗くなりましたが,またすぐに明るくなりました。一体,何だったのでしょうかね。

そして,3時7分,いよいよオールナイト最後の上映作品であり,「嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」が始まりました。




じゃ そういうことで
行きますか



この時,8回目の鑑賞になった「嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!」。そんなわけで,ストーリーはもちろん,細かいシーンに関しても,随分色々と分かっていました。おそらく,こんな観客は私ぐらいだったのではないでしょうか。

最初にケツだけ星人(遂にケツだけ星人を擬人化!)はケツのダンスを踊るところから始まります。このケツだけ星人,あんな凄い爆弾を自在に操っている事から,見かけのわりに凄い文明を持っているようです。見かけでは判断できないわけですね。

それで,爆弾が太陽系を通過していくシーンでは,冥王星の描写はありません。なぜなら,冥王星はもはや惑星ではないからです。もし,この映画が去年公開されていれば,冥王星の描写もきっちりあったでしょうね。

主題歌は,AKB48が歌ったものですが,まあテレビアニメみたいに実写が出ていないので良しとします。伝統あるねんどアニメに,実写なんか登場されてはたまったものではありませんからね。

さて,沖縄に来ていた野原一家,この時の台詞も暗記済みです。
「ハイビスカスー」(みさえ)
「いああー」(ひまわり)
「シーサー」(ひろし)
「白い雲,青い海」(しんのすけ)
「さすがは沖縄!」(野原一家)
「さらに,青い海に欠かせないのが,おねいさん」(しんのすけ)
ですね。

野原一家は,ひろしの勤続15年という事で,沖縄旅行をプレゼントされますが,勤続15年のご褒美の旅行というのは,単行本の11巻でも既に行われています。この時はハワイ旅行で,しかもビジネスクラスだったのですね。何でひろしは2回も勤続15年のご褒美をもらってんだという突っ込みはやめておきましょう。劇場版と原作やアニメの世界観は異なるものなのですから。

それにしても,ひろしの15周年を持ち出したという事から,相当「15」という数字にこだわりが制作スタッフの中にあったのでしょうね。きっと,スタッフの皆様方も,クレしんの映画15年を喜んでおられるのでしょう。

さて,シロは爆弾を発見し,それをしんちゃんが見つけます。で,シロのお尻に爆弾が装着完了でケッツとなってしまいます。その爆弾を,衛星を通じて監視していたのが「国際宇宙監視センター」,英語名“Unidentified Nature Team Inspection”(日本語に直訳すると,「未確認自然物体調査隊」とでもなるのでしょうかね),通称「UNTI(ウンツィ)」です。ただ,UNTIを正確に発音すると,「ウンティ」なのですが,まあその辺りは目をつぶっておきましょう。

それにしても,このウンツィの紹介シーンはなかなかカッコいいですね。私のサイトも,あんな感じに宣伝できれば良いなあと思いますよ。「クレヨンしんちゃん研究所」,ドイツ語名“Institut für Crayon Shinchan”(日本語に直訳すると「クレヨンしんちゃん研究所」),通称「ICS(イーツェーエス)」ってね。なお,当サイトの場合,英語ではなくドイツ語の名前で紹介するのが特徴です。

ところで,しんちゃんがみさえの事を「シーサーの向こうにシーサーが」というシーンがありますが,最初,このシーンはどういう意味かよくわかりませんでした。この頃になって,要するにみさえをシーサーと同じ顔だと言っているのだという事が分かりました。「ブルータスよ,お前もか」。いや,それはシーザー(←このシャレの元ネタは某エロ漫画)。

その夜,野原一家の踊りのシーンですが,私は最初観た時は退屈を感じましたが,この頃には非常に楽しんでいました。特に,しんちゃんとみさえとひまわりの踊りが素敵でした。

この踊りのシーンは,映画版の「ブリブリ王国」を思い起こさせましたが,原作版の「ブリブリ王国」を思い起こさせるのが,翌日の帰りの飛行機で,シロをぬいぐるみとして乗せるという厚かましい事をやってのける事です。この時,みさえとひろしは不本意でしたが,今回は乗り気です。「暗黒タマタマ」でも,シロをぬいぐるみと称して新幹線に乗せていましたが,その時に免疫が出来上がってしまったのでしょうかね。

さて,シロはひなげし歌劇団にも狙われる事になります。このひなげし歌劇団の,お駒夫人の踊りや歌のシーンは,最初は退屈なシーンでしたが,この時は私のお気に入りのシーンの一つとなってしまいました。

このひなげし歌劇団に欠かせない(?)のが,歌劇団3人衆のうらら,くらら,さららです。この3人はやたら胸を強調しているようにも見えますが,私が見たところ,一番のデカパイは緑のくららですね。次は赤のうらら,そして一番の貧乳(それでも一般的には小さくないと思いますが)が黄色のさららですね。一番のくららのバストは90以上,Fカップと見ました。しんぱい,オッパイ,Fカップ〜。

で,今回も,金色のカンタムが粉々になってしまうシーンで,私は(心の中で)叫びましたよ。

カンタム〜〜!!

てね。

自宅にようやく帰った野原家,そこに待ち受けていたのは時雨院率いるウンツィの隊員です。この時,時雨院は17分6秒の遅刻だとか言っていましたね。まあ,途中でひなげし歌劇団の妨害に遭いましたしね。

ここで,時雨院は事情を説明し,シロの爆弾を外そうとしますが,出来ません。というわけで,シロをロケットで宇宙に飛ばすと野原一家に言います。ここで呆然としているひろしとみさえのBGMが,アクション仮面の曲です。日常の世界において,極めて非日常な現実を聞かされるというこのギャップ,この辺りに,非日常の恐ろしさがにじみ出ているような気がします。

この他にも,ひろしとみさえがヘリなどが動員される外の様子を見て,事の重大さを認識する一方,しんちゃんがアクション仮面やテレビのCMを眺めるシーン,この辺りの演出もなかなかなものだと思います。ムトウ監督の力量の凄さがこういうところにも表れているような気がしますが,どうでしょうかね。

しかし,しんちゃんはシロを引き渡そうとしません。それで,かすかべ防衛隊の面々と合流,ウンツィ達から逃れるシーンは,子供が多く入った劇場ではおおいにウケていましたが,この劇場ではほとんどウケていませんでしたね。やはり,子供と大人では,ウケる箇所は違うようで。

この後の,ひなげし歌劇団のミュージカルは,同歌劇団のシーンの中でも私が最も気に入っているシーンです。戸田恵子さんの歌唱力は素晴らしいですね。「よくって〜〜〜〜〜」。

さらに,この後のウンツィと歌劇団との戦闘シーンは,私が「ケツだけ爆弾」の中で最も気に入っているシーンです。やはり,劇しんにはこのようなアクションが無ければ面白くありません。ここで,いつの間にかラグビーをやってしまっているのですが,ウンツィの隊員がゴールを決めるシーンでは,私は見るたびに(心の中で),「うおおおっっっしゃあああああ!!!!!!」と叫んでいました。

さて,この後もしんちゃんは逃げるわけですが,この逃走シーンは笑いから涙のシーンへと移行していきます。かすかべ防衛隊という仲間を失い,自分だけで何とかしなければならなくなり,段々追い詰められて,やがて絶望へと向かっていくわけです。この辺りは,「オトナ帝国」のカーチェイスの後のシーンと似て非なるものだと思います。「オトナ帝国」は,ひろし達の洗脳を解く事が出来たのですから。

桜の木の下で,しんちゃんが涙を流して走るシーンは,何だか美化しすぎているような気がして,私はあまり泣けませんでしたね。むしろ,橋の下でシロが日常の日々を思い返すシーンや,シロが自らウンツィに元に向かうほうが泣けました。不器用さの中の日常,器用ではあるが,その代償があまりにも大きい非日常というわけで。この事については,いずれ映画編の方で。

翌日,しんちゃんはひろしとみさえを説得し,遂に野原一家は団結,シロの救助へ向かいます。ここは,「オトナ帝国」のひろしとみさえの洗脳が解けるシーンに該当すると思いますが,「ケツだけ爆弾」は少々遅れていましたね。

それで,「シロくんありがとう」の缶詰のシーンは,試写会以外ではあまりウケていなかったのですよね。ここでもそうでしたし。

さて,ひろし達がウンツィの新人女性隊員達にロケットの場所を聞きだすシーンで,最初観たとき,私はこの女性隊員達もひなげし歌劇団のスパイかと思っていました。どうも,登場人物が混乱してしまっていたようですね。この時は,全然そうでもありませんでしたが。

この後の,ひまわりがウンツィの隊員に「フッキン」をやるシーンは,まあまあウケていたとは思いますが,それでも子供が多く入っている劇場ほどではありませんでした。あそこは,やはり子供向けのシーンなのでしょうかね。

さあ,ひなげし歌劇団が再び襲来してきます。ここら辺で,スパイのマホちゃんなるキャラがわずかに登場しますが,私はここでしか登場しなかったこのマホちゃんには,もう少し活躍して欲しかったと思っています。少なくとも,未消化に終わったキャラでしょうね。

金波と銀波がコンピューターを破壊する直前,ウンツィのカバの隊員が「マルス133はそこじゃないの」と言うシーンがありますが,私はこの時のそうでしたが,ずっと後になるまで,「マルス」を「マウス」と聞き間違えていました。後日,掲示板に「マルス133」を言う台詞があったというご指摘をいただいた時も,そんなシーンあったかと,ずっとこのシーンに気付かなかったわけです。ちなみに,「マルス133」とは,「ウルトラマン」に登場する兵器の名前です。こういうところにも,さりげないパロディがあるわけです。

そして,お駒夫人はロケットに乗り込み,しんちゃんと追いかけっこを演じる事になりますが,ここでしんちゃんが爆弾に自分のお尻を乗せたために,爆弾は外れます。この爆弾もねぇ,構造が単純なんだか複雑なんだか・・・。で,化粧の取れてしまったお駒は,ようやくロケットのドアがロックされてしまった事に気付きますが,私は最初,お駒は自分の化粧が取れてしまったことにパニクっているのかと思っていました。

一方,ひろしとみさえは時雨院にロケット発射を中止してくれと言いますが,時雨院は計画の変更はしないと言い,ロケットを意地でも打ち上げようとします。ここでひろしは,「おい!UNTIのおかんちょう!!俺の名前、野原ひろしは仮の名前。本当の名前は必殺仕事人、組紐屋の竜だぜ!!」と,持ってきた包帯を投げ,見事時雨院の手帳を奪う

,という妄想をし,「よし、この手で行くぜ。おい!UNTIのおかんちょう!!俺の名前、野原ひろしは・・・」とやります。この「よし、この手で行くぜ」というシーンでは劇場が大きな笑いに包まれていました。おそらく,今回のオールナイトで最もウケたシーンだと思いますが,ひろしのこのシーンは,「ヤキニクロード」のゲッチューと並ぶ,ひろしの爆笑名シーンに数えられるでしょう。もはや,素晴らしすぎるという事で(笑)。

しかし,計画(?)は失敗,ひまわりの力(?)もあって,一時は形勢が逆転しますが,結局ロケットの打ち上げを許してしまいます。しかし,ロケットの中で,この事にパニクっていたのはお駒だけで,しんちゃんもシロもあまり深刻そうな様子はありません。

そして,シロのオシッコでドアが開き,しんちゃんとシロはお駒のパラシュート代わりのマントにちゃっかり乗って,お駒を振り回しては,自分のマイペースさを取り戻します。管理人のページで,私がこの作品をベスト3に入れるほどの評価をしたのは,一つにはこのしんちゃんのマイペースなところがあるのです。いかなる状況にも深刻にならず,呑気に構えており,そして自分のマイペースさで危機を逃れるというのは,まさにクレヨンしんちゃんの面白さの根底を支えていた部分なのです。

こういうしんちゃんをラストに持っていったのは,まさにクレヨンしんちゃんの本質を作品そのもののテーマとして持っていこうとした意図があると思われるのです。決して,桜の木の下で走るシーンは,ラストシーンにしてはならなかったと私は思います。それでは,クレヨンしんちゃんの原点から外れてしまう気がするので。「オトナ帝国」の階段のシーンは確かに感動ものですが,クレヨンしんちゃんらしさを逸脱している感が否めないのですね。

そして,しんちゃん達は地上へと降りて行き,遂にひろしは老骨に鞭打ってしんちゃんとシロを受け止めます。こうして,ようやく野原一家にも日常が戻ってきたのです。一方のお駒はすっぴんが団員にバレてしまい,時雨院はひろしに殴られて,ウンチをもらしてしまいます。歌劇団とウンツィ(というより時雨院)のその後がちょっと気になったりします。

私は最初観たとき,富士山のシーンでこの映画も終わりかと思いましたが,まだ日常のシーンが残っていました。まさに,純粋な日常であり,このシーンこそ,劇しんが今まで何を観客に訴えてきたのか,そのメッセージが凝縮されていると思いますが,まあそれは映画編の方で。

で,ラストのエンディングですが,多分エンディングのランキングでは,私は「ケツだけ爆弾」を文句なしに1位に持ってきますね。あのエンディングは,とにかく泣けるものです。何で泣けるのかと,不思議に思う方は,この映画が何を伝えているのか,それをよく観直してから,ご覧になる事を勧めます。

4時49分,上映が終了しました。これで,今回のオールナイトに幕が下ろされたわけです。





鑑賞後

その後,外に出ると,テレビ朝日のビルが見えたのですが,その窓の向こうに,テレビ朝日の中まで見えてしまい,何とクレしんの放送を流しているのが見えました。遠くてよく見えませんでしたが,オープニングなども流れている事から,おそらく今後放送予定のものだったと思います。いやはや,なかなかの収穫でしたね。

その後,私は大学に行くことになったのですが,地下鉄日比谷線の駅のシャッターがなかなか開かず,他の観客だった人達と一緒に待っていました。

電車の発車時間が近づいても,一行に開かないのを不審に思った私は,麻布警察署を通り過ぎた,別の出口に行きました。そこは,普通に開いていました。

私は慌てて,ホームに向かいました。もし,シャッターの開いていないところで,ずっと待ち続けていたら,間違いなく乗り過ごしていたでしょう。

その後,まだ朝早かったため,私は途中のネットカフェに入り,しばらく仮眠を取り,時間が迫ってくると,大学へと向かいました。

そして,この日の夜,私は大阪へ向かうこととなるのですが,それはオフ会レポート9の方で。





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