オールナイトレポート7
(クレしん映画かく語りき・終盤)



INHALTSVERZEICHNIS


上映スケジュール

鑑賞前

第7作目(短編)

第7作目

第8作目

第9作目

第10作目

鑑賞後







史上初!“伝説を呼ぶ!オトナだけのクレしんNIGHT”
at TOHOシネマズ 六本木ヒルズ


TOHOシネマズ 六本木ヒルズでは、
4月15日公開「クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!」を記念し、
史上初の「クレヨンしんちゃん」完全“イッキミ”を実施!


実施劇場 TOHOシネマズ 六本木ヒルズ

料金:3月24日、31日=¥3,000

4月7日=¥4,000

4月14日=¥4,500

チケット販売 各日とも上映日の1週間前から


伝説を呼ぶ!オトナだけの クレしんNIGHT PART2
4月7日

「クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉」 11:00〜11:20
「爆発!温泉わくわく大決戦」 11:20〜1:10

「嵐を呼ぶジャングル」 1:25〜2:55

「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」 3:10〜4:45

「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」 5:00〜6:35






鑑賞前

4月7日、いよいよTOHOシネマズ六本木ヒルズの、史上初の「クレヨンしんちゃん」完全“イッキミ”も、第3回目を迎えました。この7日の夜、私は前回や前々回の時よりも1時間早く出発しました。というのは、今回と次回のオールナイトでは、作品が3本ではなく4本上映されるからです。ただし、それはあくまでも長編のみで、今回は短編も1つ含まれていますから、厳密に言えば5本になります。

というわけで、上映開始時間も1時間早い、午後11時からというわけです。さて、私がTOHOシネマズ六本木ヒルズに着いたのは、午後10時前でした。例によって、少し早かったですね。前回、前々回でも一緒で、今回も付き添いの水橋ホトリさんはまだ来ていませんでした。集合時間は10時でしたので、あまり気にかけませんでしたが。私はロビーのベンチでボーっと座って待っていました。

しかし、集合時間の10時を過ぎても、水橋さんはまだ来ません。上映開始まであと1時間ありましたが、先週に比べるとかなり遅く、私は少し不安になりました。そんな時、おもむろに携帯を見てみると、着信とメールの知らせが。どちらも水橋さんからで、メールは9時5分、電話は9時51分のものでした。

つまり、私は両方とも見過ごしていたわけです。マナーモードにしていたとはいっても・・・。まあ、私の携帯はあまり電話やメールは来なかったりするので、うっかりスルーしてしまうこともしばしばなのです。こういうのを改めねばいかんとは思っているのですがね。で、メールの内容ですが、10分か20分遅れるとの事でした。私は慌ててその旨の了承の返信をしました。

それからしばらく待っていると、隣に座っていたお婆さんが私に話しかけてきました。そのお婆さんは、タイトルは忘れてしまいましたが、何かの映画をレイトで観に来たということです。私は、自分がクレしんをオールナイトで観に来たことを告げると、しんちゃんってテレビでもやってるんじゃないのと返してきました。私は確かにテレビでもやっているが、劇場でしか観れない作品だから観に来たという事を告げました。少しいい加減な事を言っていましたね。

さて、10時20分を過ぎた頃、水橋さんが慌ててやってきました。とりあえず、1週間前から発売される来週のオールナイトのチケットを購入しました。1週間前なので、ちょうどその日から発売開始なので。

私は水橋さんに翌日の事も話しておきました。というのは、最新作「伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!」の公開初日(4月15日)に、有楽町の日劇での初回が、上映終了後に舞台挨拶が開催され、私はそこに行く気でいたのですが、水橋さんはどうするかという事を訊いておきたかったからです。

もし、行く気なら、オールナイト終了後、そのままチケットを買いに行きますが、大丈夫ですかという事を訊くと、水橋さんも行くとのことだったので、それではオールナイト終了後、有楽町へ行きますという事を告げておきました。

また、試写会についての話もしました。実は、このオールナイトの翌々日の日曜日、「伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!」の試写会があり、私と水橋さんはそれに応募していました。そして、オールナイトの前、双葉社から当選の知らせと試写会の招待状が届きました。昨年に引き続き試写会に行ける事を大変喜んだものですが、水橋さんもが当選したという事を、メールで知りました。

実は、試写会の招待状は、1枚につき2人まで入場可能なのです。私と水橋さんの招待状2枚で計4人、つまりあと2人試写会に行くことができるのです。しかし、私も水橋さんも誘う相手がいなかったため、このまま二人だけで行きましょうかということになりました。

また、私は前回のG-8の男性に対抗して(オールナイトレポート6鑑賞前参照)、今回上映される「温泉わくわく」から「戦国大合戦」までのパンフレットを持ってきていました。水橋さんにお見せしたところ、「オトナ帝国」のパンフレットに大きな関心を示していましたね。また、G-8の男性(H-11の女性、H-10の女性にも言えるのですが)のように、チョコビを持ってこれたかという話もしました。水橋さんはあちこち探したけれど、無かったとのことでした。私は、この話しについて、持っているか否かは言わず、適当にはぐらかしました。その理由は、後で分かります。

それと、当時の当サイトの更新状況についても話をしました。このオールナイトの前日、私は雑談室に血塗れの伯爵夫人を掲載しており、水橋さんも既に読んでくれていました。私はお知らせに内容がグロテスクだから注意するよう書いていましたが、水橋さんも同様の感想を話していました。

さて、午後11時が近づき、いよいよ開場となりました。今回上映される劇場は、前々回、前回のSCREEN@ではなく、ARTという劇場でした。この劇場の座席数は108(+車椅子様子ペースが2)席、スクリーンサイズは縦3.0メートル横7.4メートルです。SCREEN@の座席数は164(+車椅子用スペースが2)席、スクリーンサイズは縦3.7メートル横9.1メートル、つまり前々回及び前回に比べ、劇場の規模が若干小さくなったのです。うまく行かないと判断したからでしょうかね。確かに、前々回も前回もかなり空いていましたが。

しかし今回は、客席が8割は埋まっていました。映画館側の打算と見事にすれ違いが生じたと言えます。何で、こんなに集まったのか。「オトナ帝国」か「戦国大合戦」が目当てに決まっています。それ以外に考えられません。この2作が他の劇しんとは別格扱いされるのには、私はどうかとは思いますがね。

私はG-5の座席に座りました。水橋さんは私の右隣G-6に座りました。私の左には2人分の席が空いており、男性が2人座りました。席に座ると、私は水橋さんに109円持っていますか、無ければ1円あるので110円でもいいと言いました。水橋さんは不思議がりながら、110円持っていると答えました。というわけで、私は水橋さんにお渡ししました。チョコビを。

水橋さんは、私から渡された時、あまりの唐突な出来事に戸惑っていましたが、すぐに喜んでもらえました。実は、私は都内の某コンビニのミニストップ(って、モロ書いていますが)で、見事にチョコビを手に入れることが出来たのです。それで、そのミニストップでいくつも購入していたと言うわけです。わざと会話をはぐらかしたのも、わざと水橋さんを驚かせようと思ったわけです。ちなみにこの時、私は水橋さんにお渡しするのと、自分用のと2つ持ってきていました。なお、109円というのはチョコビの値段のことです。

さて、水橋さんにとっては驚きだったでしょうが、この直後、私も大変驚く出来事に遭遇することになるのです。

チョコビを水橋さんにお渡しした直後、誰かが「チョルスさん」という声を聞きました。水橋さんではありません。振り向くと、そこに立っていたのは、何とおんりーオラ!管理人のくなけさんではありませんか!私は驚きと喜びの気持ちで一杯になりましたね。何しろ、くなけさんとは昨年の5月4日のオフ会(オフ会レポート4(さいたま新都心・大宮編)参照)以来でしたので。まあ、このオフ会から水橋さんと再会したのも、今年の3月なのですがね。

そして、さらに驚くべきことに、くなけさんの席はG−7、つまり水橋さんの隣だったのです。くなけさんによれば、つい先ほどチケットを買ったとのことです。いやぁ、こんな事ってあるのですね。とにかく驚きでした。

で、私は試写会の事を思い出しました。実は、試写会があと2人行けるのだけれど、良かったら来ませんかと、くなけさんに尋ねてみました。くなけさんは喜んで同行を承諾してくれました。あと1人ですが、くなけさんのお知り合いの方と一緒に行くということになりました。とにかく、本当に驚きましたよ。

それと、初日(4月15日)の舞台挨拶付きの回のチケット購入についても話しました。くなけさんによると、前のその回で前の方の座席を確保するには、チケットぴあか何かの販売所に行かねばならないということ。どうせなら前で見たいと思ったので(強欲ですね)、オールナイト終了後は、くなけさんの案内に従って、チケットを購入することにしました。

さて、劇場から廊下に出ると、例によってクレしんのオールナイトのスケジュールが書かれた看板が出ていましたが、「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」のところが、「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」になっていたゾ。つまり、「オトナ帝国」が2度書かれていたわけです。「オトナ帝国」を2度上映するつもりだったのでしょうかね。

で、そこの上映時間ですが、前回と同様、12時とか1時2時ではなく、24時、25時26時と書かれていました。看板に書かれていたスケジュールは以下の通りになりますが、24時はともかく、25時だの26時といった表記はややこしくなりますので、時間はやはりこの看板の通りに表記しないつもりです。なお、以下の表記は、「オトナ帝国」のミスもそのままにしています(笑)。


「クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉」 23:00〜23:20

「爆発!温泉わくわく大決戦」 23:20〜2510


「嵐を呼ぶジャングル」 25:25〜26:55

「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」 27:10〜28:45


「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」 29:00〜30:35




午後11時、場内は暗くなり、まずは予告編が開始されました。その内容は、前々回、前回とほとんど同じものでした。「踊れアミーゴ」の宣伝も同様です。

こうして、10分弱の予告編を経た後、東宝マークが映し出されました。





終わるなーっ!!



東宝マークから、何やらカタカタと時計の音が聞こえてきますが、ここで始まるのは「野原刑事の事件簿」。

園長先生がなぜか下着泥棒の容疑で取り調べを。あの園長先生が下着ドロをやる姿は、なかなか想像できるものではありません。

で、ここでの最大の見所は、しんちゃんがバンッとテーブルを叩く、そして一言。「やった 蚊つぶした」。もはや黄金パターンと化したギャグという感じです。原作の18巻のb-1でもお馴染みですね。

しかし、私にしてみれば、後ろにいるぶりぶりざえもんの方が笑いを誘います。観客もそう思ったのでは?そもそもこの話がテレビアニメ版の「野原刑事の事件簿」(1996年12月27日、1999年10月7日放送)の設定を引きずっいるからなのでしょうね。

じゃあ、ぶりぶりざえもんは名前は何なのでしょうかね。96年のフランス人(豚?)のジャン・ピエール・アンドレ・ジョセフ・ド・シャトーブリアンか、それとも99年のイタリア人(豚?)のアレッサンドロ・フランチェスカ・デ・ミコラって、これが公開された当時、まだイタリア版の方の放送はされてなかったですよね。じゃあ、この刑事はフランス人(豚?)ということになるのでしょうね。

で、ここで始まる作品は、クレしん映画唯一の短編、とより掌編といってもいい作品「クレしんパラダイス! メイド・イン・埼玉」です。もし、99年の劇場版が大ヒットしていれば、クレしん映画ではその後も短編が作られていたのかもしれません。また、短編やって欲しいですよ。

この次は「ひまわり ぁ GOGO!」です。ひまわりの視点から鑑賞するのですが、あまり気持ち悪くなったりしないですね。あのアングルからだと、頭痛などを起こしそうですが。それと、金玉をぶつけられ、悶絶するしんちゃんの口元が一瞬笑ってもいることから、しんちゃんはマゾヒズム的嗜好もあるのでしょうかね。。

ひろしの頭を叩いてしまうひまわり、まあ赤ん坊ですから許してやりますか。それで今度は第3作目に入ります。

その3作目「ふしぎの国のネネちゃん」ですが、もはや水島監督の趣味丸出しの作品です。水島監督は好きな映画の一つに、「不思議の国のアリス」を挙げたことがありますが、タイトル、そして冒頭シーンからでも(ネネちゃんはウサギを追いかけて「ふしぎの国」に迷い込んでしまうが、これは「不思議の国のアリス」と同じ展開)同作品のパロディであるのは明白です。

この作品は、同時上映された「温泉わくわく」と同様、監督の趣味に徹底的に走り、子供向けをあえてあまり意識していない作品であると考えられます。それは、麻雀のシーンや花札、競馬、ゴルフ、パチンコ、競輪、競艇の描写があることからもうかがえる事です。

って、これは映画編のところからそのまま持ってきただけですね。ちゃんと真面目にやります。それで、麻雀なんですが、ボーちゃんが大三元、しんちゃんが四暗刻スーアンコー単騎、風間君が国士無双ってヤツですね。私は(大学生のくせに)麻雀のルールってよく知らないので、これらの意味は分かりませんが。

この後ネネちゃんが裁判にかけられますが、あの花札が人格を持つことをうかがわせるシーンは、なんだか初めて見た気がしないのですよね。というのは、昔ディズニーのアニメで、トランプのキングやらクイーンが人格を持って、主人公を困惑させるというものを見た記憶があるのですね。もしかすると、そういう作品なども参考にして、ああいうシーンを作ったのかもしれません。

結局は夢オチだったのですが、単に夢オチで終わらせないのがクレしんならでは。また冒頭のシーンと同じことが繰り返されると思いきや、やっぱり現実なのね、と思わせるような展開で終わるのですね。

第4作目「ヒーロー大集合」、ス・ノーマンが怪獣として登場しますが、人気の高いキャラであることをうかがわせます。台詞はありませんが。

で、そこからヒーロー大集合ということで、カンタムロボ、アクション仮面、ネネママセヴン、お兄ちゃん仮面、マタニティライダー、サラリーマン仮面の6人が登場しますが、ぶりぶりざえもんはなぜか登場しないのですよね。まあ、ぶりぶりざえもん後で「大活躍」するから必要ないのでしょうね(笑)。

それに、ヒーロー達は仲たがいしますが、ぶりぶりざえもんは真っ先にやられちゃうでしょうね。仲たがいの内に入っても、ス・ノーマンと戦っても。

「私のささやかな喜び ―A motion for a long time―」。この第5作が「クレしんパラダイス」の中で最も人気の高い作品ではないでしょうか。私も一番好きな作品です。

この中で、ひろしがみさえの悪口をしんちゃんに列挙しますが、最後の「お便秘怪獣ウンコマン」というところがよくウケていました。この後の超高速ビンタの方がおかしいと思うのですが。まあ、大きいお友達の観客の皆さんも同じ目に遭っていたりして。それじゃあ笑えませんかね?

この後の運動に励むみさえですが、ひろしを巻き込んで雨の中をジョギングするのも、ウケていましたかね。よく覚えていませんが。ウケるシーンだとは思いますが。

さあ、遂にみさえはお通じが来て、いよいよミュージカルの開始です。それで、何が出たって?そんなの決まっているじゃないですか。このオールナイトレポート7(クレしん映画かく語りき・終盤)が出たのですよ。これを読まれた方は、おシリ合いの方々にもぜひ教えてあげてください。

最後はクレしんのキャラクターによる大合唱ですが、山田ジョン少年や郷博士もさりげなく登場しているのには嬉しいです。いつか、劇場版かテレビアニメで、ああいう大勢のキャラによる大合唱をやって欲しいです。

第6作目、そして最後の「ぶりぶりざえもんのぼうけん 銀河篇」はまあとんでもないオチで終わるわけですが、クレしんに長年親しんできた方には、ああいうオチが来るというのは予想できるのではないでしょうが。ちなみに、私は99年の劇場公開当時、ああいうオチだろうと予測していました。

で、最後のぶりぶりざえもんの台詞ですが、当時はただ笑っていればよかったですが、ぶりぶりざえもんを演じていた塩沢兼人氏がいない現在、そういうわけに行きません。私はこのぶりぶりざえもんの台詞が単なるギャグとして戻ることを願っています。要するに、私はぶりぶりざえもんの代役を立てないという考えには反対の立場なのです。

もっとも、塩沢氏のぶりぶりざえもんは、もはや永久に戻る事は無く、それを踏まえれば、単なるギャグに過ぎなくなるというのは、そもそも始めからありえない事なのかもしれませんが。・・・・

またしても映画編からそのままですが、今度は真面目なつもりです。もう一度書いておきますが、ぶりぶりざえもんの代役を立てるべきだというのが私の考えです。

さて、これで全6作が終了した後、一旦映像が真っ暗になり、虫か何かの鳴き声が聞こえてきます。





俺はジェームズ・ボンドと一緒に
風呂に入ったこともある



鳴き声が聞こえつつ、画面は埼玉の奥秩父へと移ります。で、ふたば幼稚園の先生達が社員旅行に来ていることが分かります。

ところで、クレしん映画は東宝が配給であるため、最初は東宝マークが映し出されますが、この作品のみ前に短編が上映されていますから、東宝マークは映らないのですよね。もし、この作品が後のオールナイトなどで上映されれば、クレしん映画では唯一東宝マークなしで上映開始になるのでしょうかね。そんな事をふと思ったりもしました。

話を戻しますと、この奥秩父(大滝村か?)は後でひろしも言っているように、本当に埼玉かと思うくらい山奥です。しかも、夜なので一層そのように思ったりします。こんな所では何か出そうな雰囲気がしますが、本当に出てきましたね。ただ、あまりおどろおどろしいものではなく、やたら巨大で派手なものです。それに、出てくる前はよしなが先生とまつざか先生のいさかいなので、何か出てきそうな気など起こらないのですがね。

しかし、この後のタイトル表示の方がかなりおどろおどろしいです。というわけで、そのおどろどろしいタイトル表示に書かれている、クレしん映画第7作目の「爆発!温泉わくわく大決戦」が上映開始というわけです。

幼稚園はお休みで、しんちゃんは外へ遊びに行きますが、何であんなところに丹波と名乗る男は倒れていたのでしょうかね。なんか、あまりにも唐突というか、わざとらしい展開です。それとも、ああやって倒れて、自分にかまってくれる人間の家の地下に「金の魂の湯」を入れようとしたのでしょうかね。

風呂に入るシーンで、しんちゃんと丹波のぞうさん踊りは相当ウケていました。私も007にハマるようになってからは(007シリーズの「007は2度死ぬ」に丹波哲郎が出演)、このシーンはウケるようになりました。

こんな凄いシーンを挿入してしまう原監督も原監督ですが、それを演じるのに(パンフレットによれば)簡単にOKしてくれたという丹波哲郎の偉大さにも感動です。やはりクレしんはこうでなければと思います。「風呂は体だけじゃなくて心の汚れも落としてくれる」。無論、この台詞が伏線である事は言うまでもありません。

翌日、ですかね、ふたば幼稚園では園児達が大騒ぎしていますが、怪獣を見たとなってはそりゃあ大騒ぎするでしょう。強盗やテロリストに遭っていたとすれば、あそこまで大騒ぎまで騒がれることは無かったでしょう。

「来年の旅行は露天風呂のない所にしましょう」。なんかどこかで聞いた言葉です。ぶっちあげ言ってしまえば、「ソフトボール大会だゾその1」(1994年2月28日放送)を踏まえたものだと思いますが。

で、後で分かりますが、金の魂の湯が眠っているということで、野原一家は温泉Gメンの秘密基地へと連れて行かれます。ここで隊長の草津と出会いますが、草津は非常に好きなキャラです。何か、しんちゃんが大人になったら草津みたいになるのではないのでしょうかね。しんちゃんとやたら気が合っていましたし。

ところで、TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた今回のイッキミで、この「温泉わくわく」が一番ウケていたと思います。丹波とのぞうさん踊の他、後生掛の言っていた「絶対温泉感覚」、ひろしが後生掛にどう誘惑されて基地へ連れて行かれたのか、その経緯を説明するシーン(「健全な店だって言うから・・・」)、基地を出た後、ひろしが「何だ ここ 大宮じゃねえか」というシーン、そしてこの直後に出る大宮が表示された埼玉県の地図などです。特に、後者二つの「大宮」関連は非常にウケていました。何であんなにウケるのでしょうかねと、ふと思いましたが。

そうそう、私より2つ左隣の(G-3で、一番奥の席でした)男性がやたらウケており、笑い声がよく聞こえてきました。この男性は背広を着ており、サラリーマンといった感じでした。

それで、ウケていたシーンはこの後にも、ひろしが指宿と後生掛に対し、異様にシャキッとするところです。銭湯「彩の湯」での会議で、ひろしの「わかりました」、また温泉Gメンのジープ運転を、この2人にせがまれ、OKするシーンです。OKのシーンでひろしは「しょうがないなあ 世界平和のために ひと肌脱ぐか 俺 脱いでもスゴいんだぜ なんてったってビッグキャノン砲なんだからな ハハ」と言っていましたね。なお、太文字になっている部分は、私の妄想です。ひろしはこんな事言っていません。

ただ、温泉Gメンの基地の風呂で、ひろしはしんちゃんに「見られると恥ずかしいようなモノなのかね?」と突っ込まれていましたが、実際のひろしのアレは大したことないのでしょうね。少なくとも、ビッグキャノン砲というわけではないようです。

この後、野原一家らはいよいよ敵の本拠地へと乗り込んでいくわけですが、結局敵の方が一枚上手で(本拠地なんだから当たり前?)、あっさり捕まってしまいます。敵の名はYUZAMEという風呂嫌いテロ組織で、首領の名はドクター・アカマミレ、草津隊長によれば「身も心も汚い大悪党」だとのこと(なお、この台詞は例の伏線とリンクしています)。

なお、この時草津隊長は「男より女の方が好き」だと言っており、しんちゃんが同感していましたが、私も同感です。え、女性の皆さん何でかって?それはですね、私が男だからです。(ジョーも含む?)オカマさんには分からないでしょうが。

しかし、フロイラン・カオルは嫌ですね。いかにも性格が悪そうで。後に彼女は地球温泉か計画について「たくさんの人が温泉でおぼれるんでしょうね 恐ろしい・・・」と深刻な表情で言ってつつ、「オホホホホホ!」と笑っているのですから。性悪な女ですよ。悪女の典型ですね。

アカマミレ、カオル、ジョーの3人は焼肉が大好物ですが、この「温泉わくわく」って、さりげなく焼肉の美味しさを伝えており、それも「ヤキニクロード」のように意図的に強調しているのではなく、あくまで「さりげなく」ですから、ある意味「ヤキニクロード」以上に食欲がそそられたりします。

この後、野原一家が不健康ランドでの拷問を受けるわけですが、そもそも民間人である野原一家に苦しみを与え、温泉Gメンの指宿と後生掛にはその様子をじっくり見てもらうというのですから何とまあ心の歪んでいること。

そして、その不健康ランドとやらですが、運動を強制される、サボればペナルティ、それもサボった本人にではなく、他の誰かにランダムに当たるというのですから、何をか言わんやです。やはり、YUSAMEの連中は体だけでなく心までもが汚れきっていますね。

この不健康ランドで、ひまわりが泣く姿はかなり痛々しいシーンですが、心の汚れきった連中のやること、ある意味当然かもしれません。

で、野原一家がギブアップして秘密を吐かせた(そういえば、温泉Gメンが春日部で金の魂の湯を掘っているという秘密を吐かせるシーンってありませんでしたね)後、山に捨てただけで、殺さなかったのだから、そんなに悪くないのかも?

さて、遂に地球温化の計画の発動です。埼玉県の街が次々と壊されるわけですが、あのロボットって浦和も通過したのかなと思ったりします。この辺りは私の地元で、ニュース番組では浦和も危険区域に入っていましたが。で、政府は自衛隊を出しますが、攻撃は全く効かず、逆にやられてしまいます。まあ、怪獣映画のお約束ですね。

自衛隊やら地球防衛隊やら科学特捜隊の攻撃は全く効かず、そんな時正義のヒーローが現れてやっつけるという黄金パターンの踏襲(オマージュ?)が「温泉わくわく」の後半の展開ですから。

しかし、この作品は原監督の趣味に走りすぎているという点で、やや悪ふざけの度が過ぎていると言えるでしょうね。だって、アカマミレが何で風呂嫌いになったかというと(風呂を嫌うと悪役という時点で、悪ふざけの度合いが分かるものです)、長嶋の3番の札が取られていたということ(それを取ったのは草津隊長、やっぱり名隊長ですかね)。

そして、正義のヒーローの野原一家ですが、あのコスチュームって・・・。このコスチュームについては、「草津隊長は「温泉って素晴らしい!」と、アカマミレは「やっぱり バカだ・・・」と評していますが、観客の(客観的な)側からすると、味方の草津隊長に全面的同意は非常にしづらい、つまりバカバカしさゆえに、味方に共感出来ないようになっているのです。このようなバカバカしさに走ったことが、ヒットを妨げた側面を持っているように思われます」と私は映画編の方で書きましたが、そうだと思いますよ。

そこで家族愛を強調しても、確かにその野原一家の絆の強さを再確認しつつも、何だかな〜という感情は拭い難いのではないでしょうか。しかし、原監督の趣味に走り、やや悪ふざけの度が過ぎている事は、大きいお友達の観客には非常によくウケやすいともいえるだろうかと思います。実際、今回のオールナイトの全14作のうち、最もウケていたのはこの「温泉わくわく」でしたから。

もちろん、観客の数も考慮にいれるべきでしょうが、それでもやはり、大人には非常に笑える素地をこの作品は持っているのだとも思います。ただ、仮にも子供向けの「クレしん」であったために、クレしん映画の中で興行収入が最低になってしまったのでしょうね。

で、野原一家に敗れたアカマミレは自ら金の魂の湯に入りますが、丹波が解説しなくても、この温泉でアカマミレが改心する事は、慧眼な観客は気付くわけです。なぜなら、その伏線があるわけですから(「風呂は体だけじゃなくて心の汚れも落としてくれる」)。

さて、エンディングですが、未だにCD化されていませんよね。「いい湯だな」のしんちゃんたちが歌うバージョン。著作権か何かの問題があるのかもしれませんが、ぜひそういた問題をクリアして、CD化してもらいたいです。ところで、私とはこのエンディングの登場人物たちの手の動きの真似をしていましたが、水橋さんもしていましたね。ただ、私は片方の手でペットボトルを持ってやっていました。

上映終了後、劇場は再び明るくなりました。この後、15分ほどの休憩をはさんで、(例によって予告はなく、いきなり場内は暗くなり)東宝マークが再び映し出されました。





王様ってのは欲張りで
気まぐれで・・・ 残酷で・・・
退屈してるんだ



東宝マークが再び映し出されて、上映された作品は、第8作目「嵐を呼ぶジャングル」です。前作「温泉わくわく」で趣味に走りすぎたという原監督の反省を込めて、この作品は子供向けをかなり意識したものとなっています。

この作品で、クレしん映画の興行収入は初めて上昇に転じたわけですから、やはりクレしんは子供のものなのでしょうね。10年前ならともかく、今や大きいお友達となった私が好きでいるのは、いささか奇妙なことなのかもしれません。そもそも、このオールナイトが開催される事自体も、奇怪極まりないことなのでしょうかね。しかし、好きなんだからしょうがねえだろ!という思いもあるのですがね。

話が横道にそれました。それで、冒頭のアクション仮面の映画の予告編で、アクション仮面は本当に死んでしまったのか、ミミ子の運命は、といった事は最後まで分からないのですよね。何か、意地悪な感じもします。さて、豪華客船の旅なんて、野原一家が自費で、それも家族全員で行けるのかと思うのですが、そこは抜け目の無い製作スタッフ、「4組一緒に申し込むと安くなるっていうのが ききましたよね」。ナアルホド、そういうことですか。

ところで、ボーちゃんの家族が参加できないわけですが、なにがなんでもボーちゃんの親は登場させないつもりのようです。まあ、原作でも未登場だから仕方ないのでしょうが。一方、しんちゃんのいない春日部は平和でのどかとの事ですが、そうでもないんじゃないの、やっぱりしんちゃんがいないと、火が消えたみたいに寂しいのでは、とも思うのですがね。

夕方になると、いよいよアクション仮面こと郷剛太郎の登場ですが、しんちゃんと郷剛太郎はそういえば面識があったのですね。もう、その事を描いた話はずいぶん昔に放送されていたので(1994年8月8日放送の「アクション仮面に再会だゾ」など)、どういう関係なのかはよく覚えてなかったりしますが。で、「アクション仮面に再会だゾ」では、そもそもテレビアニメのクレしんは日常を舞台とした話であるにもかかわらず、当時の本郷監督はアクション仮面を実在するものだと位置づけていたようですね。

しかし、ここでは原監督の意向のようで、アクション仮面はあくまで架空の存在となっています。日常を描くテレビアニメ版で非日常が挿入され、非日常を描く劇場版で日常が挿入されるという逆転現象が、その時の監督の方針によって起こったのですから、なかなか興味深いものです。

で、いよいよ映画の試写会が始まりますが、途中(予告編とほぼ同じところ)で、上映が中止になってしまいます。このシーンを見たとき、その時見ていたこの「ジャングル」も上映中止になるのでは、とふと思ったりもしました。で、上映中止になったと思ったら、大人は全員サルに連れて行かれてしまいます。

つまり、大人だけが非日常の世界へと連れ去られ、子供はどうすることも出来ずに、ただ日常に置きざりにされるわけです。これは、不本意か本意という違いはあるものの、「オトナ帝国」と同じ構図です。言い換えれば、大人達が非日常の世界へ行ってしまうことで、大人と子供という2つの勢力の分断が描かれているのです。まさに「ジャングル」は、(大人向けが多分に意識されてゆくクレしん映画において)一旦子供向けに回帰したある種のモラトリアムを感じさせる一方、このような「オトナ帝国」の前哨といった役割を果たしているのだとも言えます。

ここでしんちゃんは「待つのも飽きたし 探しに行きますか?」と自ら非日常に飛び込む姿勢を示します。「弱虫宣言」をしていた「ヘンダーランド」の時とは対照的なシーンです。確かに、「ヘンダーランド」では魔法を使う悪者がいるという事を既に知っていたという事から、そもそも状況が異なっているわけですが、それを差し引いたとしても、やはりしんちゃんは「ヘンダーランド」の時に比べて、精神的に成長したと言えるでしょう。というより、「ヘンダーランド」で成長したのでしょう。

というわけで、かすかべ防衛隊の5人は島へ上陸するのですが、ジャングルの中を歩いている様子を見ると、「ブタのヒヅメ」で荒野を歩くよりも大変なようです。まあ、「ブタのヒヅメ」の場合、サバイバルキットがありましたが、「ジャングル」の場合、そのサバイバルキットに該当するのがしんちゃんの荷物で、その荷物の中身が・・・。ただ、何でしんちゃんがそういうものを持ってきたかを言うシーンは、思わず納得してしまうのですよね。枕はお昼寝するかと思って、トランプは暇な時に遊ぼうかと思って、グローブは暇な時にキャッチボールしようと思って、んでもってボールはと言うと、「あっ いけね」。このシーンは非常に良く出来ていると思います。私も個人的に気に入っています。

ところで、しんちゃんはコーラを間違えて醤油を持ってきていましたが、醤油も塩分(と水分)を補給すると言う意味で、非常に役に立つと思うのですがね。醤油をいくらか飲めば、普段だったら不健康でしょうが、あの汗だくの状況なら良い栄養補給になると思うのですがね。あの明敏な風間君もそれを知らなかったのでしょうかね。それとも、暑さと水分喪失でそこまで頭が回ってなかったのかな?

しかし、ボーちゃんが途中で池を見つけて(さすがボーちゃん!)、やっと水にありつけるわけです。池のワニはマサオ君がおとりになることで、どうにか解決します。このおとりのシーンが、「ジャングル」随一の笑いのシーンだと言えるでしょう。この時はどのくらいウケていたかはよく覚えていませんが、そもそも「ジャングル」自体あまりウケていなかったと思います。やはり、この作品は大人向けという点から乖離していると言えるでしょうね。

で、おとりのシーンですが、確かに当初は私も気に入っていましたが、最近はその後のマサオ君がしんちゃんの口移しで水を飲まされるシーンの方が好きになってきましたね。これって変ですかね〜?しかし、あれはマサオ君ではなく風間君だったらもっとおかしいのに、と思ったりもします。今のムトウ監督ならやっちゃいますかね。

この後の、しんちゃんが童謡「ピクニック」を歌うシーンも気に入っています。どうせなら、この歌も「サウンドトラック大全集」、もしくは「クレヨンしんちゃん どうようきけばぁ〜」に収録してくれれば良かったのですがね。

さて、この後いよいよひまわりとシロも島に上陸しますが、ここでなぜ、かすかべ防衛隊はジェットスキーで上陸したのか、上陸シーンを派手に描こうという意図とは別の理由が明らかになります。だって、いくらひまちゃんでも(それにしても赤ん坊とは思えない馬鹿力。将来が不安、いや楽しみです)ジェットスキーの操作はまず無理だろうし、危ないもんね。

夕方、しんちゃんが海の男は誰かと言う問いに「ネネちゃん」と答えるシーンも、気に入っています。まさに名言ですよ。だって、意外と当たっているんで。その夜、ひまわりとシロはかすかべ防衛隊と再会しますが、非常に感動的なシーンでなはずです。私はなぜかあまり感動しませんでしたが・・・。

翌朝、しんちゃんが風間君のほっぺに吸い付くシーンで、風間君がどんな夢を見ているかは、「みんなでサバイバルするゾ」(1996年8月2日放送)、または原作の13巻のf-11を見ていれば、分かるのですよね〜(笑)。ここは、「温泉わくわく」とは違った意味でマニアックなシーンだと言えるのかもしれません。

さて、この翌日で、話は急展開します。ぶっちあげ言えば、しんちゃんとひまわり以外はサルに連れ去られ、しんちゃん達もその後を追うと、パラダイスキングの船に着くわけです。

船に乗り込んだしんちゃんとひまわりは、サルになりすまして(やはりサルは所詮サルのようです)、みさえとひろし、それに船員達も助けますが、このシーンでもはやパラダイスキングの野望は打ち砕かれたという予感がします。

そして、ケツだけ歩きでそれが現実化していきます。あのアニメの製作現場(アニメより実写の方が洗脳するためのプロパガンダ映像になりやすいのではとも思ったりしますが)でサルを追い出したところでそれがますます現実に近づいているのが分かります。ちなみに、ケツだけ歩きですが、私は全く出来ません。あの状況になれば、出来るかもしれませんが。

さて、ついにアクション仮面とパラダイスキングとの戦いですが、何だか「ハイグレ魔王」の時とは違い、アクション仮面には悲愴が漂っているような気がします。不本意な戦いですしね。それで、アクション仮面は滅多打ちされてしまうのですが、しんちゃんの応援によって、再び立ち上がるのですね。あのシーンでは、私もしんちゃんや他の乗客たちと一緒になってアクション仮面を応援していました。

「クレヨンしんちゃん研究所管理人のチョルスだゾ!よく覚えとけぃ!」(何を言っているのだ)。

で、最後はパラダイスキングは逃げ、サル達もジャングルへ帰るわけですが、ここで話が終わったわけではありません。何か、これで一件落着化のように見せかけて、また戦いが始まるというのは「雲黒斎」を思わせます。

で、これは映画編の方でも書いていますが、パラダイスキングを最終的に倒したのはしんちゃんであり、ここでしんちゃんこそが主人公なんだと再確認されることになります。これがはっきりとなされるのは「ヘンダーランド」以来でしょうね。

パラダイスキングは結局降参するのですが、このシーンで、マサオ君は下の白いシャツ1枚だけなのですよね。あのアロハシャツは返してもらえなかったようです(笑)。

で、やっと映画の続きです。ようやく冒頭から気になる展開が別れていますが、「ジャングル」のストーリーとは直接関係無いのですよね。直接関係が無いのに、このようにネタバレありのシーンでもあるのですから、かなり珍しいのではと思います。

エンディングですが、「ジャングル」〜「戦国大合戦」まで(背景が黒い)同じタイプのものですよね。この3作は原監督の後期作として一つの枠組みとして捉えることが可能なのかもしれません。

さて、劇場は再び明るくなった後、再び15分ほどの休憩をはさんで、(例によって予告はなく)いきなり場内は暗くなりました。第9作目の上映が開始されました。





また 家族に邪魔された



鑑賞前でも書きましたが、この日のオールナイトは、座席の8割ほどが埋まっており、4回のうち最もかつずば抜けて多くの観客が来ていました。そして、それほど多くの観客が目当てにしていたと思われる、第9作目「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」が、いよいよ上映されました。

言うまでもなく、この作品は大きな評判を呼び、クレしんの社会的評価を大きく高めました。そこまで評判を呼んだ本作のテーマはずばりノスタルジー。というわけで、東宝マークの後、太陽の塔、即ち大阪万博の風景が映し出され、(ひろしを除く)野原一家がそこにいます。

ところで、この冒頭に出てきた、月の石見るんだとゴネていたあの少年って、実際に大阪万博に来ていたという原監督がモデルでしょうね。月の石が見たかったのに、あまりの混雑で親に諦めさせられたと語っていましたし。さて、何でしんちゃん達は何で万博にいるのと思いきや、何と彼らは万博防衛隊で、会場に現れた怪獣を退治しに行くのです。

そして、ひろしも戦闘機に乗って怪獣に攻撃するものの、全然効きません。ところで、この時のソ連館の崩壊を見て、「やるね〜」などと思ったのは私だけ?で、ひろしの戦闘機も怪獣によって撃墜かと思ったところで、ひろしは巨大化し、ひろしSUNに変身。何か、どこか頼り無さそうな雰囲気ですが。まあ、なんたって、ひろしですから(笑)。

実は、これは特撮で、ひろしはあくまでヒーローになりきっているだけだというのが判明します。特撮が終わると、今度はみさえの出番で、魔法少女を演じることになります。一体、これはどういうことかと思いきや、これらは皆20世紀博という、大人のためのテーマーパークであったことが判明します。

しかし、この20世紀博で風間君が語っているように、大人達はこの20世紀博に異常なほどのめりこんで、明らかに様子がおかしいです。つまり、もはや本作品における非日常は既に開始されているという事が分かります(映画編でも同じような事を書きましたが)。この20世紀博を動かしているのはケンという男で、彼は前作「ジャングルの」パラダイスキングと同じく、大人達を自分達の勢力に引きずりこもうと画策するわけです。

しかもそのやり方は、手下のサルによる暴力に訴えるパラダイスキングよりもはるかに巧妙で、20世紀博というテーマパークから、20世紀という過去を懐かしく感じさせ、徐々に20世紀への思いを強くさせていきます。そして、ここで大人達はノスタルジーが自分達の人格を侵食していると言うことを自覚し、それに防御を張ることだったのですが、その侵食には全く気付かないままそれを許してしまい、結局は大人という自覚をなくし子供に戻ってしまった、つまりケンの勢力に引きずり込まれてしまったのです。

あの8時の「明日の朝 お迎えに上がります」の放送を境に、大人から子供に戻ったというのは容易に想像がつきます。この後、腹減ったとゴネるしんちゃんに、みさえはネギを渡しますが、これはまさしくしんちゃんがかつてシロに対して行った事(原作では1-c-1、テレビアニメでは「小犬を拾ったゾ」(1992年5月25日放送))と全く同じです。

つまり、しんちゃんが犬(シロ)に対して生のネギをそのまま出すという非常識な行動は、まだ常識の備わっていない子供のやることを表しているのであり、このときのみさえは大人として身についているはずの常識が欠如している、つまり子供に戻ってしまった事を端的に表している象徴的なシーンだと言えるでしょう。それにしても、歴史って繰り返すものなんですね。

翌朝、ひろしとみさえはお菓子をむさぼり食っていますが、これも2人が子供に戻ってしまった事を示していますね。それにしても、あんなにお菓子やジュースを飲み食いして・・・、体に悪そう・・・。この後、20世紀博からのオート三輪(ここんところの演出が渋いですねぇ)で大人達は20世紀博へ、さらに言うならケンによって非日常の世界へと連れ去られてしまったわけです。

しかし、前述したように、このやり方は「ジャングル」でパラダイスキングが行った方法とは全く異なります。そもそもなぜ大人達を連れ去るのか、その理由に横たわる事情も大きく異なります。

2人とも単に自分の思い通りの世界を築こうとすることは同じですが、パラダイスキングは単に自らのエゴや欲望が誇大化していったのに対し、ケンの場合は20世紀に戻すと言うエゴの裏に、21世紀に対する絶望も含まれているわけです。そして、その絶望、あるいはそこまで行かなくとも失望をひそかに抱いている大人は多いわけで、大人達が20世紀博に熱狂する、つまり20世紀に対する懐古はそのような絶望に対する裏返しなのだと言えます。

ちなみに管理人の個人的体験で、雑談室の嵐を呼ぶ モーレツ!アイチ帝国の逆襲でも書いていますが、私の父も大阪万博に行ったことがあるとのことです。月の石は見なかったようですが。「オトナ帝国」で、当時は外人さんにサインをする事が流行ったという言及がありますが、私の父によれば、当時はインド人がいるだけで大騒ぎになったというのです。あの時代は何かがあるともの凄い騒ぎになっていたが、今はそんな事がすっかりなくなってしまったという話を聞いたことがあります。

さて、そんな夢と希望に溢れていた20世紀を懐かしむあまり、大人達は子供に戻り、20世紀博に行ってしまい、子供達は取り残されてしまいます。で、大人がいなくなったという事は、治安が空白状態になったとも言え、コンビニはワル達に占領され、しんちゃんらかすかべ防衛隊は食料の調達が出来ないわけです。

で、こっそり失敬するのですが、このシーンでのカンチョーは、確か劇場版では初めてなのではないでしょうかね。その後、水島監督やムトウ監督の作品でしばしば見られるようになりましたね。で、このカンチョーもそうですが、スナック・カスカビアンでのシーンなど、しっかり笑えるシーンが挿入されていて、決して涙一筋と言うわけではないのがクレしんのいいところです。

しかし、翌朝には大人達が子供を捕まえに来るわけで、それ以前に連れて行った子供達もそうですが、捕まえた後は20世紀の人間として再教育、言い方を変えれば洗脳するのですね。何か、やっていることが独裁国家にも似ていなくもないですが、それに大人が既に洗脳されているから、一層恐ろしいものです。しかし、だからこそかすかべ防衛隊の大活躍が期待されるわけでもあるのですがね。

その大活躍と言えば、やはりあの幼稚園バスでのカーチェイスシーンでしょうね。ところで、あのシーンでふと気になったのですが、ひろしが園長に「あっ あ どーも」と言うシーンがあるますが、あれってどうみても大人の対応ですよね。子供ならそれよりも、もっと稚拙なと発言をするはずです。ということは、ひろしは、まだ大人としての理性が残っていたのでしょうかね。その辺り、ちょっと気になったりします。

バスは結局20世紀博に突入するのですが、そこでかすかべ防衛隊は浮かれてしまい、シロの胴上げ何かやっているから、バスが柱に衝突して捕まってしまうわけです。で、しんちゃんとひまわりとシロは何とか逃げますが、ここから先は野原一家の活躍が期待されるのわけです。その最初の「活躍」が靴の匂いをかいだひろしが過去を回想し、洗脳が解けるシーンです。

このシーンは後の階段の場面と並んだ感動シーンとされていますが、私はこのシーンではあまり感動しないのですよね。サウンドトラック大全集でこのシーンのBGM(Disk2の20)を聴いていた時、一度涙が出そうになるほど感動したことがあるのですが、それ以来は感動しません、なぜか知りませんが・・・。

さて、靴の匂いによってひろしとみさえの洗脳が解け、野原一家が終結するわけで、野原一家はケンの野望を食い止めることになります。しかし、ケンとチャコよりも先にタワーの頂上に到着するといった勝ち負けは、もはやどうでも良くなるのですね。

というのは、どのくらい21世紀を生きたいのか、未来に対する希望を持っているのか、その事を監視カメラを通じて「街」の住人達に見せつければ、彼らも21世紀を生きたくなり、もはや匂いは消えてなくなるのですから。そういう意味でも、「街」に充満する20世紀の「匂い」に対する、野原一家に放たれるオーラの勝利だとも言えます。

そして、そのオーラが最も放たれていたと思われる、しんちゃんが階段を必死に駆け上がるシーンですが、これに関してはもはや言うべき事はありません。ただ、このシーンは私の「劇しん3大感動シーン」の第2位であり、このシーンがあるからこそ、(管理人のページで書いているように)「オトナ帝国」は私のBEST3に入っているのです。もし、このシーンが無かったら、BEST3には入っていませんよ。

ところで、「街」の住人達が野原一家を見て、21世紀を生きたくなったのですから、その野原一家の様子を監視カメラで見せるべきではなかったのに、なぜ見せていたのかという疑問が残ったりします。ケンは住人達が心変わりすることはありえないという絶対の自信があったのか、あるいは(20世紀に戻るという)自分の行っている事が正しいのかという不安が実はあり、正しいか否かを住人の意志によって確認したかったのかもしれません。もし、後者の理由に当てはまるのであれば、ケンというキャラクターは非常に複雑な存在であり、彼もある意味21世紀に「毒された」人間であると言えるでしょう。

で、この後ケンとチャコは自殺を図るのですが、20世紀に戻るという野望はまさに命がけで行われていたのでしょうね。しかし、しんちゃんとキジバトによって自殺は断念されます。結局、ケンとチャコは自分達の行動を2度も家族に邪魔されて、21世紀を生きらざるを得なくなる、言い方を変えれば生きる意思が生まれたわけです。

こうして、春日部の住人は春日部に帰って行き、野原一家も自宅に帰ることになります。21世紀の日常を再び過ごしていくために。

上映終了後、劇場は再び明るくなった後、またまた15分ほどの休憩がありました。そして、(例によって予告はなく)いきなり場内は暗くなり、第10作目の上映が開始されました。

この日の上映はこれで最後なのですが、5作(1作は短編ですが)もの作品を1晩で観るのですから、さすがに少し疲れたりします。しかし、その疲れはしんちゃんを見ると吹き飛ぶものです。





お前は日がな一日
空でも眺めていれば良い



「第6回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞」
「第57回毎日映画コンクールアニメーション映画賞」
「東京国際アニメフェア2003優秀作品・監督賞」
「ニフティ映画大賞2002邦画部門作品賞」
「第22回藤本激励賞」

以上がクレしん映画の第10作目「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」で受賞した賞です。なお、他にも色々受賞したらしいですが、上記の記録は2005年双葉社発行の「クレヨンちゃん 漫画アクション9月11日増刊号」からの、つまり公式の記録と言うことなので、当サイトも「戦国大合戦」のとった賞は、上記のものであるという認識をしています。

冒頭のシーンですが、なんとも静かな始まり方です。クレしん映画の冒頭は、どれもその作品の非日常ないしはそれを暗示する内容が描かれており、「戦国大合戦」も決して例外ではない(これが夢であるという事から後者の暗示ということになります)のですが、「静」の部分のみに徹しており、「動」の部分は見られません。ここからも、この「戦国大合戦」が他の作品とは違うという事が暗示されているような気がします。

しかし、この後のオープニング「ダメダメの歌」は明らかに「動」的な歌なんですよね。「オトナ帝国」にも言えることですが、このオープニングと作品の内容があっていないような気もしますが、劇場版のオープニングは、公開時にテレビアニメで使われるのを使用する事が原則なので、仕方ないのでしょうが(「カスカベボーイズ」の時はこの原則は破られましたが)。

で、廉姫が出てくると言う同じ夢を見た野原一家は戦国時代へ行くことになり、まず最初にしんちゃんが行くことになります。しかし、その前に日常も描いておきましょうと言うことなのでしょう。幼稚園でのシーンが挿入されていますが、時代劇ごっこをやっているようなのですね。日常の遊びまでもが時代劇なのですが、この遊びにはちょっとした伏線が張られていたりするのがクレしんならではだったりします(風間君とマサオ君の家系って?)。

その後、しんちゃんはシロに手引きをされて、戦国時代へ行くわけですが、行った早々ある1人の武将の命を救ってしまいます。そして、その武将井尻又兵衛由俊が生き続けることで、本来の歴史に亀裂が生じてしまうのですが、亀裂が生じてでもしんちゃんが戦国時代に行った意味は何なのか、それがこの作品の大きなテーマなわけです。

春日の城に導かれ、殿様の春日和泉守康綱と謁見したしんちゃんは、未来の事をあれこれ話すのですが、この辺りのシーンは何だか吹き出してしまいそうです。家老の新八郎が「空を飛ぶ乗物や 他国の者と家(うち)にいながら話せる道具など とても信じられませぬ」ですからねぇ・・・。まあ、信じられんでしょうね。

さて、謁見後、しんちゃんは又兵衛の家に住むことが決まり、廉姫と初めて会う(しんちゃんの感覚では再会)のですが、しんちゃんはさっきまで自分から「ブリブリ〜」とやっていたくせに、廉姫の前では羞恥心が湧いてくるようで、お尻を出していた事を思い切り恥ずかしがるわけです。このときの反応は、確かななこおねいさんに対しても同様でした。きれいなおねいさんの前に限っては、しんちゃんも神経が繊細になったりするのですね。

又兵衛の家を見たしんちゃんは、「じいちゃんの家に似てる」と言いますが、確かに銀之助の家に雰囲気は似ています。それに、その後又兵衛が鎧から普段着に着替えて現れる場面など、現代の日常によくある光景なのではないかと思ったりします(いや、21世紀に入った現代ではずいぶん減っているのでしょうが)。あのシーンは何度見ても、まるで現代に戻ったような錯覚を私は覚えるのですね。もっとも、現代なら鎧ではなくスーツでしょうが。

それと、ガスや水道を使わず、土間で料理をするシーンですが、あれも昭和の中ごろくらいまで、田舎に行けば見られた光景なのではないでしょうか。400年以上経っても、我々の過ごす日常はあまり変わらないもので、戦国時代と言えども同じ日本人、しんちゃんが又兵衛たちとすぐに打ち解けられたのは、しんちゃんの性格もさることながら、お互いが根底に共有するものが同じだからなのでしょう。

一方(話が現代へ行くわけで、そういうわけで「一方」という書き方はおかしいかも知れませんが)、みさえとひろしはしんちゃんの捜索をやっているわけで、ひろしはしんちゃんの残した手紙の「天正2年」というフレーズに反応して、タイムスリップしたのではとすぐに感付きますが、みさえは(天正という言葉は)漫画が何かで知っているだけで、単なる手の込んだイタズラに過ぎないと言うのですね。

ここで、「雲黒斎」で見られたお2人のSF観が垣間見れるのです。即ち、ひろしは(自称)SF初段であり、タイムスリップのよな現象を簡単に受け入れるのですが、みさえは受け入れようとはしません。あの時のみさえの心情を別の言葉にすると「SFって嫌いヨ!」ということになるのでしょうね。

しかし、図書館で「野原信之介」という名前が出ているのを見つけ、ひろしは過去へ行く決意をします。当然みさえはかなり戸惑いますが、ひろしの「しんのすけのいない世界に未練なんてあるか?」という言葉に懐柔することになります。家族愛というのは、SF嫌いなるアレルギーを簡単に治療してしまうという、とっても不思議な特効薬という働きをしているのですね。まあ、ちょっと茶化してあのシーンを振り返ればそういう風にも読み取れるわけです。

さて、車を庭の穴に持って行き、戦国時代行きの列車に乗ったひろし達ですが、ここで21世紀のシーンはラストまで無いわけです。こうして、野原一家全員が過去へ行くことになったのですからね。さて、しんちゃんは廉姫が結婚するらしいということを聞かされて、少し落ち込んでしまった様子です。

ただ、廉姫がしんちゃんをして「なな子おねいさんはどおしよぉ」と言わせしめるほどなのに、その落ち込み方は「なな子お姉さんの婚約者だゾ」(2003年11月22日)で見られた激しい号泣とは違います。これは、ななこおねいさんとは違い、まだ廉姫とは会ってから日が浅いという事と、あんな号泣を今見せてはいけない(後で見せねばならない時が来る)という2つの理由からでしょう。

しかし、しんちゃんは又兵衛が廉姫に惚れている事を本人に暴露し、身分が無かったら廉姫に好きと言うのかと歯に衣着せぬ言い方をするのです。そして、遂にしんちゃんは又兵衛と金打(きんちょう)という誓いの儀式をするのですが、仮にも一国の武将を担っている人物と男同士の誓いを行うのですから、しんちゃんは子供なのにとんでもない面をここで見せ付けるわけです。

まさに、「嵐を呼ぶ園児」と呼ぶにふさわしいです。逆に言えば、子供だからこそ又兵衛が隠し続けていた心を見抜き、彼に誓いの儀式をさせるほど心を開かせることが出来たとも言えるわけです。「王様は裸だ」と言ったのも子供でしたし。

この後、かすかべ防衛隊の4人のご先祖様との対面ですが、この4人は当初と後では全く異なる性格を表しているわけです(オオマサは実は気が弱い、ねねはウサギが憎らしくなる)。ここで、彼らもある意味又兵衛と同じ、本当の自分を隠していたのですが、これはしんちゃんによってではなく野伏の襲撃で露わになります。同じ子供のしんちゃんだけでは彼らの本性を露わにするのは無理だったのかもしれません。

その野伏を倒した又兵衛ですが、その又兵衛は廉姫に迫られ、それを目の当たりにしたしんちゃんは目が点になるのですね。この時点では、又兵衛と廉姫がくっつくのには大きな抵抗(廉ちゃんとくっつくのはオラしかいないという心情)がまだ存在していたというわけです。

この後、いよいよ野原一家も到着し、つまり21世紀の現代から理性ある大人がやってきたことで、これによって話は急展開します。その後の歴史で自分達の名前が残っていない事を、康綱はひろしから聞かされ、廉姫を高虎の嫁に出すという建前より、もっと自分のそばにいて欲しいと言う自分の本音を優先させることになります。逆に言えば、21世紀からの人間によって本音を露わにしたわけです。

戦国時代に生きる人々がそれまで隠し続けてきた自分の個性や本音が、21世紀の人間によって表れていき、時代と葛藤しながら個人の意志や自由を追い求めていく。それが「戦国時代」に潜むもう一つのテーマなのではないでしょうか。

で、結局康綱の決断は高虎との戦になるわけです。これが、本作品の大きな見せ場というわけで、それは時代考証に忠実にに沿ったところもさることながら、野原一家がお助けするシーンも非常に見応えがあります。高虎の兵士が得体の知れない乗り物に脅えるのは無理も無いですね。

そして、しんちゃんら野原一家の大活躍によって、遂に高虎を倒すわけです。ところで、「アニメーション監督 原恵一」によれば、ひろしが高虎の顔をぶったたくシーンの絵コンテには、「巨人の星」の花形が大リーグボールを打った時のような(絵にしたい)と書いてあるのだそうです。それがどういうものなのかは、原監督の世代(またはそれに近い)の製作スタッフなら全員が知っているのだそうです。私には何の事かさっぱりです。世代が違うわけで・・・。

そして、しんちゃんの「頭突き」によって高虎は倒れ、それを見た太郎左衛門がもはやこれまでとばかりに「これまでだ やれ」と又兵衛に自らの覚悟を伝えますが、又兵衛は「あんたは惜しい」ということで、戦いをここで終わらせます。又兵衛の目標はあくまでも高虎の首のみであり(結局は首も取らなかったのだから勝利という事実のみとなる)、それ以外の目的に刀で人を殺傷しないわけです。自分の大将が敗れると潔く負けを認める太郎左衛門、勝利したことが分かれば、敵味方の垣根を取り払う又兵衛。どちらも侍です。

戦には見事勝利した又兵衛、しかし、又兵衛は突然どこからかの銃弾に倒れ、結局無事に帰還することはなかったのです。「戦国大合戦」で、又兵衛は死んで欲しくなかった、あの展開は好きになれない、というファンも多いようですし、その気持ちも分からなくはないです。

しかし、私はあえて言っておきます。「戦国大合戦」は時代劇のみならず、人間の心理などあらゆるものをリアルに描いた作品であり、リアルだからこそ、彼の死としんちゃんの号泣は必然であったと。これなくして「戦国大合戦」は完成しなかったのです。その理由については、ここでは触れません。映画編にそのヒントが存在しているつもりなので、そちらを参照していただければと思います。

ただ、1つ書いておきますと、戦場での兵士の死は戦争をリアルに描き、人の死をリアルに描くことは無かった。そして、戦の終わった後に、又兵衛の死という形で、人の死をリアルに描いた。しんちゃんの号泣は人の死の描写の一環としての役割を果たしているのだという事です。

また、この又兵衛の死、そしてしんちゃんの号泣のシーンは、映画やテレビを観ても涙を流すことの無かった私が、涙を流した唯一のシーンです。私の「劇しん3大感動シーン」の第1位であるわけです。

さて、ラストの池のほとりでのシーンでは、又兵衛と廉姫の絆の深さをしんちゃんは認識するようになり、オラと廉ちゃんは一緒になるという思いより、2人に一緒になってもらたかったという思いが強くなる、言い換えれば心からそう思うようになるわけです。ここで、しんちゃんは2人が結ばれて欲しかったという、この2人と一緒に過ごすことで芽生えていったと思われる、自分の心の本当のあり方を認識するようになったのかもしれません。

こうして、野原一家は現代に帰っていき、もはや又兵衛はもとより、廉姫とも2度と会うことはないのですが、彼らと野原一家の絆は永久に消えることはないのです。





鑑賞後

午前6時35分、遂に全5作の上映が終了したわけです。

この後、鑑賞前でも書いたように、私と水橋さんはくなけさんと付き添いの方と一緒に、「踊れアミーゴ」の初日(4月15日)の舞台挨拶付きの回のチケット購入ということになりました。

その回で前の方の座席を確保するために、チケットぴあか何かの販売所へ、くなけさんの案内で行くことになっていたわけです。

さて、劇場を出た後、私と水橋さんはくなけさんの付き添いのひなぎさんという方と挨拶を交わしました。ひなぎさんは何と、私のサイトを見ていてくれたこともあったそうです。いやはや、実に感謝です。

そして、私達4人は、六本木駅から日比谷線で有楽町駅まで行き、そこで時間になるまで喫茶店化どこかに入ろうと言うことになりました。それで、JR有楽町駅前の高架下にあるドトールに入り、クレしんの談話に花を咲かせました。確か、水橋さんはイラストも描いていたと思います。

ところで、このドトールでくなけさん達はサンドイッチか何かを食べていましたが、私は何も食べずコーヒー1杯だけにしました。

オールナイトレポート5鑑賞後で、私はファミリーレストランでモーニングセットを食べた後、異様な眠気に襲われ、そのまま1時間以上も爆睡していたと書いたように、下手に何か食べると眠気が襲ってくる恐れがあったからです。

同ページで、私はここでの体験が後に大きな教訓を残すことになったと書いていますが、それがこのドトールでの出来事だったのです。おかげで、私はどうにか眠気の襲われずに済みました。

時間が近づくと、チケットぴあの販売所があるという新橋へ行き、そこでチケットを見事手に入れることが出来ました。チケット購入後は解散となり、私は水橋さんと一緒に帰ることになり、途中でお別れになりました。

さて、全4回のオールナイトも、こうしてあと1回というところまで来たのです。というわけで、ラストの第4回目は次回に。





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